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会社は宗教に取って代わるべき

2022年09月28日 | 社内事情

安倍さんの国葬

無事終了しましたね。

Yahooの世論調査を見ると

この国葬に関しては

国民の意見は真っ二つでしたね。

賛成反対それぞれ49%となっていました。

この数字を見て

国民が分断されてる

なんて意見もありましたが

まぁそれは間違いですね。

理由は自分を見れば分かります

私はどちらかと言うと反対ですが

だからと言って

何が何でも反対と言う訳ではありません

多分日本人には私と同じような考えの人が多いと思いますので

別に分断されてる訳でもありません。

ただ

今は意見が割れてますが

銃撃事件の直後は

多分安倍さんの国葬反対機運はそれほど強くありませんでしたよね。

私もそうですが

安倍さんを銃撃した男の犯行理由

これが詳しく報じられる事によって

旧統一教会の問題が広く知られるようになり

それを選挙に利用していた安倍さん

国葬はどうなの?

って疑問が大きくなったのです。

しかし面白いですよね。

安倍さんは殺された訳ですから被害者ですが

時間の経過と共に

国民感情としては

被害者と加害者が入れ替わった

って感じですね。

私自身この行為は認められませんが

この山上と言う男に対しては

同情する気持ちも少しあります。

どうもこの男

旧統一教会が無ければ

普通に優秀な人材として会社では重宝され

順調な人生を送ってた

そんな気がするのです。

まぁしかしそうは言っても実際には分かりませんよ

いくら厳しい人生だからと言って

銃撃までは普通は考えませんからね

その意味では特殊な内面も間違いなく持ってたと思います。

ただその特殊な内面は

統一教会がなければ表に出る事無く人生を終えた

そんな可能性もあると思ってる訳です。

私は旧統一教会と書きましたが

どうしてそう呼ぶかと言うと

マスコミがこぞって旧統一教会と書いてるからです。

なんせそんな訳ですから

この団体の正式名称

世界平和統一家庭連合

って名前を書いても

浸透してませんからね

もしかしたら読む人によっては違和感を感じるでしょうし

私がその団体に好意的

なんて誤解を生むかもしれません。

これも今回の事件の特殊な面ですよね。

まぁしかし皮肉な物ですね

教団名に堂々と家庭と言う言葉を入れてるのに

実際には家庭を崩壊させまくってる訳ですからね

実態として家庭崩壊連合が合ってるように感じます。

ただ家庭を大切にすると言う考え

これは誰も否定はできませんが

私達のようにたくさんの人を扱う仕事をしてると

この言葉の持つ意味は違って見えてきます。

家庭を大切にしましょう

なんて言葉は間違ってるとは言いませんが

今の時代

その家庭自体が元々存在しない一人暮らし

これがたくさんいるのです。

それと

例え両親がいたとしても

同居は現実的ではありませんし

自分の事ができなくなれば

すぐに施設に送られるのです

ですから

家庭を大切にしましょう

なんて言葉を否定する気はありませんが

ではそれが叶わない人たちはどうするの?

って思いが私はすぐに湧いてきます。

私自身は

もうずいぶん前から

その家庭が失った役目

これを企業が担うのが理想

そんな気がしています。

かと言っていまどうする訳でもありませんが

社員同士は元々は他人ですが

なんせ家族より遥かに長い時間を共有するのです。

私は妻と一緒に暮らしていますが

社員と比べると

ほんの僅かしか会っていません。

ましてや別々に暮らす息子たちの家族となれば

1週間に一度、3時間くらいの時間しか共有しません。

それでも私は多くの時間を一緒に過ごしてる方です

私のゴルフ仲間の方達の中には

孫はいても数か月に一度とか

人によっては数年に一度しか会わない

なんて人たちもいます。

そんな感じで

今の社会構造の中では

家族と過ごす時間は

ほとんど取れないのです。

にも関らず

昔のように

大家族が一緒に暮らす

この理想がさも実現するかのように

家族の価値感を取り戻す

みたいなスローガンには違和感があるのです。

家族の絆の価値は間違いなく認めますが

それが得られない人たち

これが大多数の社会になってる

まずそこに政治家の皆さんも思いを巡らすべきでしょうね。

それと今回の旧統一教会もそうですが

宗教は

実際には家族との絆が失われた社会の受け皿になってるのです。

家庭が無く将来の不安とか

あるいは自らの人生の価値だとか

そんな物に疑問が湧いた人たちに

その答えを提供してくれる

だからこれほど科学技術も

経済も発展してるのに

宗教は世界中で大盛況なんです。

本来は

欧米やイスラムの国々のように

社会にしっかり根を下ろし

そして地域の大半の人々心の拠り所になれば

宗教は大変有難い存在です。

日本でも恐らく経済発展の前は

神社やお寺がその役割をしっかり担ってたはずです。

ところが

社会経済の発展は

日本での宗教の役割

これが断ち切られたのです。

ですから

たくさんの人たちが

新興宗教に走るのです。

そして今回の事件のように

その中には

本当に家庭の絆をズタズタにする

そんな団体がたくさんありますから

それに走らないためにも

もっと会社は

社員の絆としての役割

担うべでは無いのか?

って私の頭の中にはいつもある訳です。

家庭が無ければ会社がある

それが私の理想でもあります。

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