アイカム不動産専務のブログ

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S先生葬儀

2023-05-01 10:13:49 | 日記
週末に「誠」で飲んでいると誰からともなく、ある噂が流れてきた。「S先生死んだらしいで!」。「木から落ちて以来調子悪かったもんな」。

 翌朝事務所に「篠さん」が寄ってくれた。「こんちゃんSセンセが死んでしもたがな」と確かな情報がもたらされた。これは葬儀に行かなくては。愛媛新聞で会場を確認し「小倉」へ向かった。

 会場近くなると、かなりの人数がなだれ込むように受付に向かっている。お香典を差し出すと故人の意向で受け取らないのだそうです。記名だけしてさらに奥に進むと会場にはS先生のトレードマークと言うべきスーツとネクタイが飾られていた。そこから順に若い頃の数々の写真が壁に掛けられていた。そこを通り過ぎると焼香台とお棺があり、親族が廻りでご挨拶をしていた。終わった方から順次出口向かうという流れだった。「最近はこんなんなっとんですね。そういえばコロナ禍に入ってから葬儀には参列したことが無かったな」

 別れを惜しむ人たち用に、少しだけ椅子が並べてありそこに腰を掛けた。意識せずともまわりの話し声が耳に入ってくる。「S先生はほんまに地元によくしてくれたな~。あれはお母さんがそういう人やったからやと思うで~。いま顔を見てきたけどお母さんそっくりの顔になっとった」。

 私もそろそろと思いお焼香とご挨拶をして出口から外に出た。駐車場の奥のほうに神輿会の人らがパイプ椅子をならべたくさん座っていた。頭取さんが出てこられ「私らはお棺を出すときに一緒にかいてくれと言われとんですよ」と語った。

 ほんとS先生とは不思議なほどにたくさんのご縁があったんですよ。最初は勤務先から選挙の手伝い部隊に派遣されたのがきっかけだった。その音頭取りが先の「篠さん」。その頃の選挙運動はおおらかなもんで、街宣の後は事務所の奥の部屋で毎回先生を交えてよく飲んだもんだ。

 その後何気に見ていた名簿でわかったのだが、お嬢さんがM大学の同級でその時の保護者代表がS先生になっていた。

 S道会館の空手の大会に行くと毎年来賓席に座っていた。聞いてみるとN師範と同じ時期にM大学の夜間に通っていたのだと。その頃の面白い話も聞きましたよ。もう時効だから言っちゃいます。「Nさんとは夜間に通ううちに親しくなったんだよ。その頃は学生運動が盛んで左翼学生がバリケードをはって教室に入れんようにしとったんよ。腹が立ったんで二宮さんと二人で「親から食わしてもらいよる奴が何を言よんぞ。主義主張やか自分でいっぱし飯食ってから言うもんじゃが!」と言いながら二人で看板やバリケードを壊して回ったんじゃ!Nさんが空手が強いけん学生がビビッてちょうど良かった。それでますます親しくなったんじゃ」。

 神社の総代会にもよく出てこられ「幼少の頃からここで遊んで育ったんじゃ。だからI神社あっての自分やと思っとる」とおっしゃっていた。神輿会が出してる夜店で缶ビール1缶だけ買うのに1万円札を出して「つりは取っとけ」。あれはかっこよかったな~。

 選挙前には全日空でT会を盛大にやっていたな。そうそうたるメンバーで会場に入りきらないくらいの人数やった。参加費よりもだいぶ豪華な料理が出てきて嬉しくなって自分らのテーブルは勝手に盛り上がって飲みまくったな~。「S先生あの時はうるさくしてしてすみませんでした。裸になって筋肉自慢してすみませんでした」
 
街宣で伊台や五明にいくと山に住んでる人らがゾロゾロ出てきてくれて人気ぶりがすごかったな~。「山の人らがおるけん、がけ崩れとかが起きずにすんどんぞ。山を保ってくれよるけん水も確保できるんぞ。山の人らがおらんなったらそれも無くなるんぞ。だから農政は大事なんじゃ」。
            
                           さようならS先生。あなたは偉大だ!


(専務)

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