世界の政治的指導者が伝説のフットボリスタ、ディエゴ・アルマンド・マラドナに別れを告げた。かれは11月25日、60歳、心不全で死亡した。フランシスコ教皇もが祈りを捧げ、この数年間のあいだの出会いを「愛情を込めて」思い出した。

 

ブラジルのルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルバ元大統領は、マラドナを「決して忘れることはない」と言った。そのスポーツの才能によって、しかしそれだけではなく、「人民の大義」と「ラテンアメリカの主権」を擁護したことによってと。「ピッチにおいて、かれはおそらくブラジル代表にたいする最大のライバルの一人だった。スポーツではライバルであったとしても、かれはブラジルの偉大な友人であった」。この労働者党(PT)の元代表はツイッターに書いた。

 

「ディエゴ・アルマンド・マラドナはフットボールの巨人であった。アルゼンチンの、そして世界の。その能力、個性は唯一のものだった。フィールドでの才能と熱情、人生での激しさとラテンアメリカの主権への傾倒、それはわたしたちの時代を画した」。元ブラジル大統領は、たくさんの会見の一つでの写真とともに想い出を書いた。

 

アルゼンチンのアルベルト・フェルナンデス大統領はアルゼンチンでの国民の服喪の日として3日間を布告するとともに、ウルグアイのホセ・“ペペ”・ムヒカ元大統領とかれの妻、ルシア・トポランスキ上院議員とメッセージをともにした。「かれの家族と、すべてのフットボールを愛するサポーターたちに届くことを。この限りなく痛みのときに、兄弟の大きな抱擁を捧げる」。

 

ボリビアのエボ・モラレス元大統領も、マラドナの死にたいして、痛みを表明した。「魂の痛みとともに、わたしの兄弟ディエゴ・アルマンド・マラドナの死を知った。かれは貧困のために感じ、これと闘った世界で最高のフットボリスタだった」。社会主義運動(MAS)の指導者はツイッターに書いた。

 

「ディエゴは高地におけるフットボールの偉大な擁護者で、ボリビアを非常に愛していた。正義の主張での偉大な友人だった。世界のフットボールだけではなく、世界の人民が泣いている」。モラレスは2番目のツイッターに書いた。この投稿には写真が添えられており、それは世界のフットボールのスター、マラドナと一緒のもので、2008年FIFAが海抜2,750メートル以上の高地での試合を禁止する決定と争う、展示会をおこなったときのものであった。またこのときこの高地の国での洪水による被害者への支援をおこなった。

 

昨年マラドナは、エボ・モラレスを大統領職から引きずる降ろしたクーデターを厳しく批判した。このコカ栽培の指導者は、選挙で相当数で勝利していた。

 

モラレスの言葉に、ボリビアのルイス・アルセ大統領が加わった。「偉大なフットボール10、ラテンアメリカの兄弟ディエゴ・アルマンド・マラドナの悲しい死を、深く悔やむものである。世界はこの回復することのない喪失に泣いている。かれの愛する家族とすべてのフットボールの兄弟に哀悼を送る」。大統領はツイッターをした。

 

マラドナの死は大陸で多くに打撃を与え、パラグアイ国会は審議の始まるにあたって1分間の黙祷を、ボカ、アルゼンチン・ジュニアなどで活躍した元フットボリスタに捧げた。一方パラグアイのフェルナンド・ルゴ元大統領は、ツイッターに表明した:「世界でもっとも偉大なものに、永遠の栄光を!」

 

ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領は、マラドナを「兄弟」と、かれの死去を惜しんだ。「フットボールのレジェンド、ベネズエラの無条件の兄弟、友人は、多くの悲しみをわたしたちに残した。愛すべき無礼なペルサ[マラドナの愛称、縮れ毛]、いつまでもわたしの心、思いのなかにあるだろう。いま感じることを表現する言葉を持たない」。大統領はツイッターに書いた。忘れることの出来ないこのフットボリスタは、いくつもの機会に、ベネズエラ政府への完全な支持を表明してきた。2017年、この年は野党の多くの抗議行動が記録されたが、マラドナはマドゥロの「兵士」であると宣言した。

 

メキシコのアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドル大統領は、マラドナがメキシコに、「かれがフットボールの花形であったとき」に住んでいたことを思い起こした。「個人的にはーと話したーかれによってわたしはこのスポーツの面白さを知ることができた。しかしわたしの最大の賞賛は、かれがつねに一貫していたことだ。“政治的に正しくない”とコストを払うことがあっても、かれは自分の理想を放棄することはなかった」。

 

マラドナがキューバ革命の指導者フィデル・カストロの死から、ちょうど4年目の日に亡くなったのは運命であったのだろうか。かれはフィデルを尊敬し、かれがキューバで回復するあいだの数年間に、友情を作り上げていった。マラドナはキューバで2回薬物中毒からの治療を受けた。最初は2000年に、2度目はその5年後に。

 

「マラドナの死はちょうど11月25日に、わたしたちを襲いました。キューバとの友情、とりわけフィデルとの友情は、この人民の部分となったのです」。ブルノ・ロドリゲス・パリジャ外相はこう語った。「世界はこの人物に、フットボリスタ、友人のために泣きます。わたしたちの哀悼の気持を多く、その家族とアルゼンチン人民に捧げます」。ロドリゲス・パリジャは続けた。

 

世界的なフットボリスタのスターとの別れに、欧州の何人もの政治家たちも加わった。スペインのペドロ・サンチェス首相もその死を悼んだ最初の人々の一人であった。「その左手で、何世代もの夢を描いた[神の手のハンドのエピソードにからんで]。永遠の子ども」、首相がツイッターに書いた。この社会主義の指導者は、11月25日がフットボールの歴史に、「レジェンドの一つを失った」日として残るであろうと強調した。

 

スペインのパブロ・イグレシアス副首相は、マラドナのおかげで「多くの幸福なとき」を生きることが許されたと感謝した。ラップバンド、ロス・チコス・デル・マイスの歌、「D10sに頼む」の一節を引用した。その断片の一つ、宗教的祈りのスタイルで祈った:「わたしたちのディエゴ、神の宇宙の小さな樽、神は背中に10をつけて、かれはアルゼンチン人」。

 

イタリアからはジュゼッペ・コンテ首相が強調した:「世界中がマラドナの死に泣いている。その才能は比べようもなく、フットボールの歴史に忘れることの出来ないページを書き込んだ。永遠のチャンピオン、さようなら」。かれの死は亀裂をも超えることが出来た。前内相で現在は上院議員の極右「同盟」のマッテオ・サルヴィニは、10[背中の番号]との別れに加わった。かれを「たった一人の天才、完全で不世出の世界のフットボリスタ」と呼んだ。

 

フランススコ教皇までも元フットボリスタとの2014年、2015年、2016年の会見を思い起こし、かれに祈りを捧げた。「教皇はディエゴ・マラドナの死を知らされて、ここ数年間のかれとの会見を愛情を持って思い起こされた」。バチカンでスポークスマンの役割のマッテオ・ブルニが語った。さらにバチカンの公式サイト、バチカン・ニュースには、かれを「フットボールの詩人」と思い起こしている。

(通算3112) (Pagina12による)

 

(フィデルにフィデルの入れ墨を見せるマラドナ。このキャラが愛された。foto:Pagina12)