編集のダンナ、今夜は極上のブツが… | ウチューのトチュー ~  池田モノリス

編集のダンナ、今夜は極上のブツが…

深夜の歌舞伎町、ヤバイ石ころの取引現場

~四畳半モニター、パネルの下張り。

 

「ヘッヘッヘッ…編集のダンナ、

今夜は極上のブツが手に入ったんですけどねぇ」

 

入稿〆切間際に海外配信社の怪しいオッサンが

A4の茶封筒を持ち込んで来る。
僕は一万円札を数枚そいつの手に握らせ写真を受取り、

急いで記事をでっち上げて、
人目に付かぬようにバイク便で大日本印刷に送る。

 

80年代半ば、深夜の歌舞伎町のアングラ写真誌編集部の取引現場。
求職広告出したのにストーンズへの就職も不採用に終わったから、

僕はフリーライターに変装をして
シューカツは毎日、西武新宿線の始発まで続いていた。

 

実は…この二年前まで

大日本印刷で日払い製本バイトをやってたから、

そこに印刷を発注するとか、何か涙が出そうになったり。

錯綜の歌舞伎町デイズ。

 

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*1985年暮?イアンの告別式でのストーンズのメンバー。

イアン・スチュワート(愛称はスチュ)は

ローリング・ストーンズの結成時からのメンバーで
ピアノを担当していた。


プロデューサーのアンドリュー・オールダムの

「ルックスがバンドの雰囲気に合わない」という意見で、
レコードデビュー前に
ストーンズのメンバーから外されたと言われている。


だけど脱退後もローディーとしてバンドを支え、

セッション・ピアニストとしてもレコーディングやライブに参加、

メンバーからの信頼も厚く「6人目のストーンズ」とも呼ばれた。

1985年12月心臓発作で死去。

スチュワート他界後の1989年、

ロックの殿堂入り授賞式においてミック・ジャガーは、

ストーンズ成功の功労者として
ブライアン・ジョーンズとスチュワートの名を挙げ

「スチュのおかげでストーンズはブルースの道を踏み外さずにすんだ」
と語った。

 

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