ドラマ『silent』最終話で、紬は想に、こう言いました。


人それぞれ違う考え方があって、違う生き方をしてきたんだから、分かり合えない事は絶対にある。(中略)それでも一緒にいたいと思う人と、一緒にいる為に、言葉があるんだと思う。


実は大学1〜2年の時に福永武彦の「愛の試み」を読んで以来、愛と理解の違いについて、もう40年も考えています。


「理解は求められるべきものではなく、最初の印象を具体化すための理性的な精神活動によって生じるべきものであり、常にまず求められるべきものである愛とは、根本的に異っている。従って愛のない理解があるように、理解のない愛だって少くはない。この二つを同時に望むことは、謂わば贅沢な望みである」


でも、"愛と理解の違い"でググっても、上記の本の同内容のレビューが8件ヒットするだけ。こんな事考える人は、ネット時代にはいないということなのでしょう。


そもそも、愛とは何かということも曖昧なうえ、それ以上に、理解とは何かについては学問的に全く解明されていないらしい。結局、自分で考えるしかないようです。