【随筆】マルコのこと | ねこバナ。

【随筆】マルコのこと

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今年の初め、マルコの身体に異常所見が見つかった。

昨年末、座って寛いでいるはずのマルコの呼吸が、妙に速いのに気が付いた。
年の所為かもしれないし、極端に神経質な彼の性格もあって、少しばかり通院をためらっていたが、年越しの前後から呼吸数が安静時に毎分40回以上、覚醒時も毎分60回を数えるようになり、腹だけで呼吸をするようになって、さすがに状況を把握しておかねばと、年明けすぐにかかりつけ医に予約を入れた。
検査の結果、血液に全く問題なし、腎臓や肝臓も、そして白血球数も通常の価で、年のわりには至って健康。
ただ、レントゲンには、気管支がかなりはっきりと、白く造影されていた。
医師によれば、気管支の組織が石灰化しているのではないか。その所為で肺の機能が半分程度に落ちているように見えるという。もちろん原因はわからない。これが今後進行するようなものなのかどうかは、CTや組織検査をせねばならないが、それでも不明で終わることもある。そんな診断結果だった。そして検査には全身麻酔をかけての処置が必要となる。ただでさえヨロヨロとしていて、たった一度の通院で一気に衰弱してしまう彼のことを鑑みると、とてもそんな検査を受けさせることはできない。医師もそれには同意してくれて、あまり期待はできない、と前置きしたうえで、とりあえず気管支拡張剤と二次感染防止のための抗生物質、それにストレス緩和のサプリメントを調剤してくれ、投薬しながらしばらく療養するようにとのことだった。
帰宅後、ストレス満載のマルコに投薬を試みた。抗生物質は最近流行りの苦くない錠剤で、これは粉にしてもらったものをウェットフードに混ぜれば問題なく食べてくれる。ストレス緩和のサプリメントは、犬猫の初乳に含まれるタンパク質なのだそうで、これも特に嫌な味がするわけでもないので、普通に与えることができる。
問題は気管支拡張剤だ。とりあえず粉にしてもらったものをちゅ〜るに混ぜて与えてみたが、とてつもなく不味く感じたらしく、すぐに吐き出してしまった。錠剤を喉の奥に入れてみたが、これもすぐに吐き出した。直後、これまでみられなかった激しい咳をするようになり、食欲も減退して、一気に衰弱が進んでしまった。
かかりつけの医師に電話で相談し、いくつか投薬の方法を試してみたものの、どれも失敗に終わった。悩んだ挙げ句、そもそも効くかどうかわからない薬剤で彼の衰弱を早めるよりも、ストレスをなるべく少なくして、静かに過ごさせてあげることに、決めた。
この決断が、彼と私たちにとって、最良のものであるかどうかは、もちろん判らない。今も悩みは尽きない。ただ、今私たちが彼にしてあげられることは、静かに穏やかに、家での生活を全うしてもらえるよう、心を尽くすことだと、そう思っている。
そう思うことにしている。

  *  *  *

マルコの症状に気が付いてから約一ヶ月が経った。症状は確実に進行している。速く浅い呼吸をしながら,お気に入りの敷物の上に鎮座するマルコの姿を、私は至近距離で見続けている。寝るときは私の枕元に、仕事や食事のときはテーブルの上に、彼の居場所がある。
食事やトイレの時だけ、彼は床に降りてヨロヨロと歩く。まだ食欲は旺盛で、朝晩は好物のウェットフードにまっしぐらに向かってくる。だが彼はそもそも、若い時から食べるのが下手なのだ。フードをボロボロこぼすし、舌ですくうのも苦手のようで、ちゅ〜るですら私が指につけて差し出さないと食べないことがある。それでも自分の取り分は逃すまいと、今もマメやトットの3倍くらいの時間をかけて、ゆっくりと口に入れている。
置き餌のドライフードには、1日に3〜4回取り組んでいるようだ。時折奥歯のあたりにひっかかるようで、そんなときは顎を傾けてシャリシャリいわせながら、文字通りフードと格闘している。この格闘のためか、食事を終えて水を飲むと、彼の呼吸が途端に速くなる。テーブルに上がるためにしつらえた階段の前で立ち止まり、呼吸を整えて、ようし、と意気込むようにして、たった2段の階段を登り、私の椅子を3段目の踏み台にして、やっとテーブルの上に到着する。そこでもひと息つく時間がしばし必要で、どうにか落ち着いたあと、彼はようやく敷物の上に腰を下ろし、やれやれといった面持ちで、私をじろりとねめつける。役に立たぬ下僕め、とでも思っているのかもしれない。
ただ、役立たずの下僕の涙ぐましい努力のせいか、顔は随分穏やかになったようにみえる。時折マメやトットにシャーを喰らわせることはあっても、彼らとの接触の時間や機会を程よく調整してあげることで、自分だけの居場所、自分だけの時間を彼が堪能できるようにはなったようだ。
今から約10年前、マメとトットが突如として我が家にやって来て、マルコは唯我独尊の地位を失ってしまった。マメが尿路結石になった時など、その看病に必死になる下僕たちの様子を横目に、随分と淋しい思いをしたのではないかと、今にして思う。
あの時、食欲が減退して衰弱したマメを、私は仰向けに寝転び腹の上に乗せて、頭から肩、背中、尻のほうまで、ゆっくりと長い時間をかけてマッサージしてあげたものだ。マメはそのことを良く憶えていて、今でも仰向けに寝転んだ私の腹に乗っかり、得意げに鎮座してゴロゴロと喉を鳴らす。あの頃より随分短めになったマッサージを堪能すると、マメは太い尻尾を振りながら、さも満足げに去ってゆく。
このマッサージの様子を横目で見ていたマルコは、最近就寝前に必ず、私の腹に乗って来るようになった。マメより随分華奢な彼の肩と背中、そして頬と首の辺りを優しく念入りにマッサージしてやると、彼は気持ちよさそうに目を細める。私が眠くなって手を止めてしまうと、まだ寝るなもっと撫でろと、彼は手で私の頬を叩く。私が睡魔に抗えなくなった頃、彼は私の枕元に設えられた寝床に座り、少し呼吸を整えて、横になる。そんな彼の様子を見届けて、私はようやく、眠りに入ることが許される。

  *  *  *

眠りに入って2〜3時間後、私は決まって目を醒ます。枕元のマルコの様子を確認する。丸まって寝ている彼は驚くほど浅く、かすかな呼吸を続けている。これで本当に命が保てているのか不安になるほどだ。しかし30分ほど経つと彼は目を醒まし、うんと小さな伸びをして、ベッドの脇に作った彼専用の食事台に向かって、フードを食べ、水を飲む。そのあとやはり呼吸は速くなるが、昼間の覚醒時ほど辛そうには見えない。
睡眠時の使用エネルギーの最適化という高度な生命維持機能が、彼の日常を保っているのだと、改めて気づく。そして、この誰にも邪魔されることのない貴重な睡眠時間があるからこそ、明日も彼は日常を送ることができるのだ。下僕としてはここを死守せねばならぬ。だから、彼の寝息を確認するのも、そうっと近づいて鼻に指を近づけ、下っ腹をそうっと触る程度でおこなう。辛そうでなければ、首や頬のあたりを掻いてあげる。反応があることもあるし、ないこともある。でも、彼がまだここに在ると確認できるだけで、私などは言いようのない安心感に包まれる。
ふと、この微かな睡眠の間に、彼が生命の終わりを迎えることができたら、それは大層安らかなものではないか、と埒もないことを考えることがある。無論それは、必死に日常を紡いでいる彼のおこないを否定するものだし、私にそれを望む権利などない。彼の終わりは彼自身の生命が決めるのだし、その有様がどのようなものであれ、下僕たる私たちは、それに真正面から相対せねばならぬ。
ただ、私たち下僕も、日常を普段通り送ることをやめない。彼の様子は何時も気になって仕方がないし、ずっと彼の傍らに居られたらどんなによいかと思う。しかし普段通りの生活を送ることは、何より私たち自身のためでもあるし、マメやトットの日常も出来る限り平穏に保つためでもある。だいいち、私たちは彼らの食い扶持を稼がねばならない。介護のために生活が困窮してしまうのでは本末転倒である。
彼は咳の発作の後呼吸困難に陥るので、仕事や通院に出掛けている間に何かあったら、と思わないでもない。ただ、人間の場合だって四六時中介護していても、愛する人の死の瞬間に立ち会えないことがある。私は実父も義父も、その死に目に立ち会えなかった。残念だが、後悔はない。仕事をおっぽり出して病院に駆けつけても、ふたりは同じように、こんなところで何をしている、さっさと仕事をせいと怒ったことだろう。そんなふたりの父を持ったことを私は心から感謝している。
愛猫マルコに父たちの姿を重ねるのはいささか無理があるし、そもそも甘えん坊の彼のことだから、本当は何時も近くに居て欲しいのかもしれない。しかし生命の気まぐれに心を揺さぶられるよりも、今私が彼らに出来ること、世の中のために出来ることを、着実に淡々とおこなうほうが、いっそ健康的というものだ。なにより私自身が長期にわたって不健康の只中にあるのだから、少しでも自身の日常を保っておかないと、それこそマルコやマメ、トットの日常を保ってあげられないではないか。
私たちは覚悟を決めたのだ。その覚悟から逃げずに、家族みんなの日常のために、私は今日も、ささやかな仕事に出かけてゆく。

  *  *  *

最近、先代猫ゴン先生の気配を、家のそこかしこに感じるようになった。
勿論只の錯覚である。しかし、それだけ私が、先代猫のことを思い出し、その生前の姿や、終わりの時について思いを巡らすようになった、その結果なのだろうと想像している。
人懐っこく鷹揚な性格で、誰にでも愛想を振りまいたゴン先生と、極度のビビリで来客に殆ど姿を見せず、「幻の珍獣」と称されたマルコは、あまりにも対照的だ。彼らがあの世で出会ったとして、さてゴン先生はマルコにどんな説教を垂れるものだろうか。それとも、マルコはキンチョーのあまり脱兎の如く逃げ出して、ゴン先生の失笑を買うのではないだろうか。そんな他愛もない妄想が、最近私の脳内にじわりと拡がっている。
下らない妄想はさておき、私は今日も、小さくなったマルコの背中を見守り、あれこれ世話を焼けることを感謝しながら、私たちの明日について思いを巡らせられるよう、小さな努力を、続けたいと思う。


 



 


 


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