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カテゴリ:歴史
Q 日清戦争の経緯(教科書の記述等)に照らし、福澤諭吉の主張と根拠、勝海舟の主張と根拠(前記事で紹介した資料)についてどう判断するか? 三、日清戦争、第二時 3、それぞれの主張・根拠についてまとめた資料(模造紙)を用いて発表する。 自分がまとめた資料なので、生徒たちは要点を分かりやすく説明する。時おり、発表者としての意見も入る。「勝海舟のとらえ方は適切だと思う、」「福沢諭吉を一万円札の顔にするのはどうなのか、」など。 4、両者の主張をどう評価するか、主張や根拠に問題はないか等、教科書の記述部分(あるいは地図などの資料)に沿って検証し、発言する。 出された意見・内容は以下のようなものだった。(複数の講座の意見をまとめて)。 5、当時において、なぜ福沢諭吉の考え方が多数を占め、勝海舟の考え方が広がらなかったのか、その理由を問いかけながら話をする。 「『時事新報』が良く読まれていた」とか「勝海舟の考えは当時一般には知られていなかったから」、「戦争前はどうしても反対論よりも賛成論が強くなる」といった意見が生徒から出る。特に三番目のものに関しては注意すべきだと確認。最後にガンジーの言葉を引用しながらPPも用いて、以下のように問題を提起。授業のまとめとした。 福沢諭吉の言葉を再度確認してみよう。「日本は文明、清国(及びそれと結びついた朝鮮政府)は野蛮」、「朝鮮の実権は日本が握るべきで脅迫も当然」。ここで日本をイギリスに、清国や朝鮮をインドに置き換えてみると(上記スライドの国名を入れ替えると)、まさに福沢諭吉の考え方こそ、ガンジーが敵だとした「彼らの考え方」ではないだろうか。しかし当時、多くの日本人は「この考え方」に染まっており、ここにいる皆の多数が支持した意見(勝海舟のような意見)は広がらなかった。 それとは逆に、ガンジーとキング牧師の運動が広がった理由は何だろうか。(間)支配されていることには強い実感が伴うからではないか。「人間としてあるべき当然の権利」を唱えるガンジーの言葉や行動に対する共感は、「支配される立場」だったインドの人たちには広がりやすかった。それに対して「支配者であるイギリス人」(キングの場合には白人)へ通じていくためには多くの時間が必要で、ガンジーの不服従運動が始まってから、独立までにかかった年月は28年間だった。 ひるがえって、日清戦争当時の多くの日本人だが、いつの間にか(自由民権派も含めて)「支配する側の立場と視点」、自らを高く相手を低く見る発想(日本は文明、清国・朝鮮は野蛮)に染まっていたのではないか。そのような場合、支配する側の不当性を自覚・認識した上で、支配される側の苦しみに共感することが難しくなる。 現在にも通じる点はないだろうか。まさに、「歴史を公正に見られない言説」が増えているようにも見える。いつの間にか、支配する側の視点、自らを高く相手を低く見る発想に染まって歴史や現在を見ているのではないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.12.20 21:10:54
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