稲荷神社と、馬の水飲み場跡と、禅林寺と ~東京都羽村市の神社・史跡・寺院 | 九州下町おやじの珍道中

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先日2020年8月15日に、プライベートで、青梅・奥多摩に出撃した速報レポをアップしましたが、こちらもまた、シリーズでアップして行きますよ~

 

 

2020年8月15日の青梅・奥多摩散策の速報レポ

 

 

 

 

 

今回の散策は、JR青梅線羽村駅からスタートです。

羽村駅の西口広場のすぐの交差点は、旧青梅街道です。旧道を歩くのも、いいな~

 

 

 

そのまま真っ直ぐに進むと、羽村市観光協会の建物があって、その壁には、『はむら「マイMY」ロード』というマップが掲示してありました。見所は、いろいろあるんですね。

 

 

 

更に進んで行くと、右手の坂道を上がった所に朱の鳥居を発見。

 

 

 

近づいてみると、「稲荷神社」がありました。

 

 

 

朱の鳥居をくぐると、右手に…あら?社殿!?どうやら、また正面ではなく、裏側から入ってしまったようです(^^;

 

 

 

御祭神は、素戔嗚尊、宇迦之御魂神、玉祖命(たまのおやのみこと)です。

 

 

 

由緒書き「羽村市指定有形文化財 稲荷神社本殿」。創建年月は不詳ですが、江戸時代後期の地誌「新編武蔵風土記稿」に「稲荷社」と記述され、東ヶ谷戸の鎮守です。

 

 

もと「禅林寺」に南西にあったのを明治39年にこの地に移し、平成2年に拝殿覆殿等を大改築しました。

本殿の形は一間社流造で、社殿全面に彫刻が施され、宮大工は小林播磨(藤馬)等の作で、木割帳等の記録により、弘化3年(1846)に着手し、嘉永元年(1848)に竣工したものと推定されます。

 

 

なるほど…先程見えていた社殿は、平成2年に大改築された覆殿で、その中に、江戸時代後期に造られた本殿が入っている、ということなのか~

 

 

 

拝殿に近づいて…

 

 

 

拝殿前の狛犬。

 

 

 

拝殿の全景。

 

 

 

手水所。

 

 

 

拝殿の正面にある鳥居。あら?参道がフェンスになっていて、まっすぐに続いていない…?

 

 

 

その鳥居をくぐり、境内を…

 

 

 

鳥居の脇に石段がありますので、下って振り返って、パチリ。

 

 

 

先程の朱の鳥居に向かう坂道の下に、何やら、空間があるんですよね。

 

 

 

こちらは、「馬の水飲み場とお寺坂」。ここには、豊かな湧き水を利用した馬の水飲み場があり、坂の下に住む農家の人たちは、畑がハケ(段丘崖)の上にあったので、この坂を登るのに大変苦労し、肥料や農作物の運搬は、荷車を引く馬に頼っていましたので、急な坂を登った途中に水飲み場を作り、馬をいたわりました。

 

 

明治27年(1894)青梅鉄道が開通してからは、多摩川の砂利を羽村駅まで運搬する馬の水飲み場としても大いに利用されました。

この坂は、近くに「禅林寺」があるので、「お寺坂」と呼ばれ、明治時代の中頃までには、荷車がやっと通れるほどの道幅でした。

 

 

 

中を覗くと、水が溜まっていました。今でも湧いているのかは、よく分かりませんでしたが、この先は下り坂になっていて、下から上がって来るには、昔は大変だったことでしょうね…

 

 

 

お寺坂を下って行くと、左手に「禅林寺」が見えて来ます。石柱には「禅林禅寺」とあります。

 

 

 

中里介山之墓」という案内板が…

 

 

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中里 介山(なかざと かいざん、男性、1885年(明治18年)4月4日 - 1944年(昭和19年)4月28日)は、日本の小説家。本名は、中里 弥之助。

甥に、ロシア・ソビエト文学者の中里迪弥(なかざとみちや)。

(中略)

略歴

神奈川県西多摩郡羽村(現在の東京都羽村市)に精米業者の次男として生まれる。玉川上水の取水堰にほど近い多摩川畔の水車小屋で生まれたと伝えられる。生家は自由民権運動で三多摩壮士と呼ばれた人びとの根拠地で、民権運動の気風が色濃く残る土地であった。(後略)(ウィキペディア「中里介山」)

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境内を進んで、鐘楼。

 

 

 

本堂。あら?こちらもまた、正面から境内に入らなかったようです…お恥ずかしい(^^;

 

 

 

石塔。

 

 

 

こちらは、お地蔵様がお祀りされているようです。

 

 

 

本堂に近づいて…

 

 

 

本堂の横には、洞窟の中に納められた祠があって…。扁額には「水晶宮」とありました。

 

 

 

本堂脇に、石仏がたくさん並んでいて…

 

 

 

本堂の裏手にも、石仏が!

 

 

 

禅林寺」の由緒書き。開基は島田九郎右衛門。当地の島田氏の祖先で、屋敷が寺の前の道路の向こう側一帯になり、文禄2年(1593)の創建で、九郎右衛門が自分の寺として開いたと伝えています。

 

 

開山は春学禅師。鎌倉円覚寺の世代、三伯玄伊禅師の法を嗣いだ和尚さんです。

山号は東谷山(とうこくざん)。この辺りの地名である東ヶ谷戸によるもので、寺名は開基の戒名「島田院殿」からすれば島田院(とうでんいん)となるところですが、建長寺の「天下禅林」の額から二字を頂いて「禅林寺」としたと伝えられています。

 

大菩薩峠」の作者中里介山居士の菩提寺で、中里家は寺の前の方のずっと奥まった場所にあり、山門の傍の梅は、中里家の庭にあった樹です。

 

 

 

その由緒書きの下には、「中里介山居士墓案内図」もありました。墓所は結構離れているので、この日は、立ち寄れず…残念!

 

 

 

禅林寺」の山門をくぐり、振り返って…

 

 

 

羽村駅から「稲荷神社」「馬の水飲み場跡」「禅林寺」と回った後は、「羽村堰」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

稲荷神社

東京都羽村市羽東2-14

 

 

馬の水飲み場跡

東京都羽村市羽東2-14

 

 

禅林寺

東京都羽村市羽東3-16-23

 

 

 

 

 

 

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