東上野の街並と、アメ横と、徳大寺(摩利支天)と ~東京都台東区の街並・寺院 | 九州下町おやじの珍道中

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2019年2月上旬に、プライベートで、上野公園に出かける用事があったので、途中、街歩きして来たんですよね。

 

 

東京メトロ銀座線稲荷町駅から、南側の路地を歩きます。

住所でいうと、東上野というエリアです。

 

すると、昔ながらの御宅がいくつも見られるんですよね。

こちらの御宅は、外壁に銅板を貼っていて、見事な緑青が!

 

 

 

こちらの御宅の外壁は、デザインに凝っていますよね。

 

 

 

こちらの建物も、銅板が貼られていて…

 

 

 

東上野には、焼肉店や韓国のお店が密集しているエリアがあるんですよね。

東上野コリアタウン」と呼ばれているそうです。

 

 

 

東上野コリアタウン」には、狭い路地が残っていて…

 

 

 

下町風情を残しています。

 

 

 

国道4号線・昭和通りを渡ると、「アメ横」です。

 

 

 

アメ横」と呼ばれる「アメヤ横丁」には、衣類やお菓子・魚介類、飲食店などのお店が密集していますよね~

 

 

 

この日は休日でしたので、人出が多かったです。

 

 

 

ニキ、ニキ、ニキ、ニキ、ニキの菓子!」 このTVCM、忘れられない(笑)

 

 

 

アメ横」の一角、店舗の屋上に、「摩利支天」という看板を発見。お店の上に、御堂があるの!?

 

 

 

その御堂に向かってみることに…。こちらがその「摩利支天」で有名な「徳大寺」です。ホント、お店の上階・屋上に御堂があるんですね。

 

 

 

徳大寺」の由緒書き。約400年前にこの地に創立され、摩利支尊天をお祀りしています。

摩利支天は、「力(気力・体力・財力)」の守護神です。

 

 

 

石段脇の狛犬。

 

 

 

石段を上り、朱の堂宇を…

 

 

 

御堂の中の様子。

 

 

 

 

本尊摩利支天の由緒書き。

仏教を守護する天部の神で、参詣祈願の人々に「気力・体力・財力」を与え、「厄を除き、福を招き、運を開く」守護神であると伝えられ、そのお姿が猪の背に立つことから、古くより十二支の亥の日が御縁日とされて来ました。

 

 

楠木正成や足利尊氏、毛利元就や徳川家康などの武将たちは、摩利支天の尊像や旗印とともに合戦に出陣したと伝えられ、忠臣蔵の大石内蔵助も髷の中に摩利支天の小像を入れて討ち入りに臨んだと伝えられています。

 

当山は日本三大摩利支天の一つ、「下谷摩利支天」と呼ばれ、江戸時代から下谷広小路(現上野広小路)において、聖徳太子の御作と伝わる摩利支天像をお祀りしています。

 

 

 

御堂の中には、浄行菩薩もお祀りされていて…

 

 

 

堂内には、昔の写真も掲示されていました。

こちらは、昭和10年の上野広小路全景。中央右寄りのビルが上野松坂屋、左奥の広場が不忍池ですね。

 

 

 

昭和11年の上野広小路の写真。奥のビルが上野松坂屋のようです。

 

 

 

大正期の上野広小路全景。奥に見える緑は上野公園のようですね。

 

 

 

由緒書き「摩利支天徳大寺縁起」。

寛永年間に、慈光院日遣上人によって創建され、正式には、日蓮宗妙宣山徳大寺と言い、大摩利支尊天を奉安することから摩利支天徳大寺とも称し、下谷広小路(現在の上野広小路)に位置したことから下谷摩利支天とも呼ばれて来ました。

 

 

寺宝として奉安する摩利支天像は、江戸時代中期の京都にて霊夢感得された御尊像と伝わり、宝永5年(1708)に当山へ安置されました。

大正12年の関東大震災、昭和20年の戦災による火災類焼によって堂宇は二度にわたり灰燼に帰しましたが、御尊像はその都度類焼を免れました。

終戦後の混乱期に闇市の形成などによる街並の変化に伴い移転再建が検討されながらも、創建以来のこの地に留まり、昭和39年11月、堂宇再建がなされ、今日に至っています。

 

 

 

境内には、「力の亥」というモニュメントもあって…亥の背に乗る摩利支天だから、ということなのですね。

 

 

 

日蓮上人像

 

 

 

七面大明神という御社もあって…

 

 

 

縁結び地蔵尊。

 

 

 

石橋稲荷神社もありました。神仏習合の名残ですね。

 

 

 

石橋稲荷御縁起

江戸時代中期、信仰篤い石橋久七という人がこの地の発展を願い、元禄元年に稲荷神社を創建。その後、付近の地境に争いが起き、時の奉行大岡越前守が御神徳を頂き裁定し収めたと言います。

 

 

戦後の混乱期に神社は荒廃衰退しましたが、昭和24年の火災の際に、御神体と故事が石に刻まれて神地より出土し、犬塚信夫氏が旧建物の2階に安置し、多くの人々が厚く信仰。ビルの新築に伴い、信者の浄財で屋上に再建し、守護神として御遷座しました。

 

 

 

境内には、多宝塔もありました。

 

 

 

境内からの眺め。建物の2階にあるからですが、「二木の菓子」の看板が目の前に!

 

 

 

東上野の街並を歩き、東上野コリアタウン、アメ横を通り抜け、摩利支天の「徳大寺」をお参りした後は、「上野公園」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

上野アメ横

 

 

 

 

徳大寺

東京都台東区上野4-6-2

 

 

 

 

 

 

 

 

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