2019年8月16日の福岡県北九州市戸畑・若松の歴史散策の続き。
「日本水産株式会社 戸畑ビル ニッスイパイオニア館」を見学した後は、「恵比須神社」に向かいました。
ニッスイパイオニア館(その2)のレポ
「ニッスイパイオニア館」から、東の方に進んで行くと、広場のような空間に鳥居を発見。
鳥居をくぐると、「御乗船地碑」と刻まれた石碑があって…揮毫は、正三位勲二等侯爵黒田長成卿。
その横には「大正天皇御乗船の地碑」と刻まれた石碑がありました。
「御乗船地碑」の由緒書き。
明治33年(1900)10月、当時の皇太子殿下(後の大正天皇)が中原で陸軍第十二師団の演習をご覧になった後、戸畑の渡船場から船に乗り、開業間近の八幡製作所を視察されました。その時の乗船地を記念して、明治43年(1910)に建立されたものです。
題字は、黒田家当主黒田長成(ながしげ)の書、文は中央政府で活躍した遠賀町出身の添田寿一の作です。
当時、第十二師団の軍医部長として小倉に赴任していた森鷗外は、皇太子殿下の視察にも同行し、この時の様子を「小倉日記」に記しています。
「御乗船地碑」の裏側には、碑文が刻まれていて…
この辺りが、かつての海岸線になるんですね。
鳥居をくぐると、正面に社殿。
社殿の近くには、由緒書き「戸畑恵美須神社」がありました。
寿永の昔(1182年)平家の一門が壇ノ浦の合戦に敗れ、落ち延びた平家の残党が飛幡の浦に隠れ住み、漁業を営んでいましたが、地付きの人々と相談して、出雲国美保ノ関の美保神社より、事代主命(えびす様)を勧請し奉祀したお社です。
破風の彫刻は、渦潮のように見えます。
社殿の横には、「恵美須神社移築碑芳名」という石塔があって…
「改築記念碑」
「戸畑恵美須神社」の脇を抜け、路地を東に進んで行くと、右側にお寺が見えて来ます。
こちらは「東光寺」。
「東光寺地蔵堂の由来」
遠い昔、戸畑がまだ半農半漁の寒村の頃、名護屋岬(今は製鉄所の構内で埋立地深く没している)に至る松原の河代浜(こうしろはま)(田代浜)に無住の東光庵と地蔵堂があって、当時の河●島(かばしま)(俗に中の島と呼ばれる若松と戸畑の間にあって今はない)の城主森氏の建立と伝えられていて、村人の厚い信仰を仰いでいました。
東光庵が焼失後、お堂は残されていましたが、明治になって東光寺が現在地に移り、地蔵堂も帆柱四国二十一番札所として建立され 芦屋町の妹尾氏によって、更に立派な御本尊延命地蔵菩薩が寄贈されました。
地蔵堂の中の様子。仏様がたくさんいらっしゃいました。
こちらの御堂にもたくさんいらして…
境内には、石仏が並んでいる一角があります。右手の背の高い仏像は、聖観世音菩薩。
「東光禅寺」の御堂に近づいて…
「東光寺」から、更に路地を進むと、右側に鐘楼が見えて来ました。
更に進むと、立派な門が!こちらは「照養寺」。
山門脇には、「戸畑小学校発祥之地」という石碑があって…
側面には、明治7年8月1日、鳥旗下等学校として開校した旨、刻まれています。
山門の彫刻が見事!
山門をくぐり、本堂。
本堂に近づいて…
先程見えていた鐘楼。
鐘楼の前辺りから、山門を…
山門脇にはある石碑の裏面に、当山縁起が刻まれていました。
洞の海中之島城主竹之内治部、永正12年(1515)得度して釈了正と称し、一宇を開基しました。
「照養寺」から更に東に進むと、駐車場の一角に、石碑を発見。
その石碑には「八幡神社跡」と刻まれていて…大正9年移築とありました。
「戸畑恵美須神社」「東光寺」「照養寺」とお参りし、「八幡神社跡」を見学した後は、更に戸畑の町中を歩きました。
その様子は、また後日。
戸畑恵美須神社
福岡県北九州市戸畑区北鳥旗町9-6
東光禅寺
福岡県北九州市戸畑区北鳥旗町6-16
照養寺
福岡県北九州市戸畑区北鳥旗町6-21
八幡神社跡
福岡県北九州市戸畑区明治町5
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