2020年5月上旬の旧東海道歴史散策・大森界隈散策の続き。
「磐井神社」の続き。
入新井萬霊地蔵尊・アサヒビール東京工場跡・磐井神社(その1)のレポ
「大田区文化財 鈴石・烏石(非公開)と江戸文人石碑群」の横には、丸い大きな石があります。力石・さし石のようです。
こちらは、「竹岡先生書学碑」のようです。寛政8年(1796)建立。
「鳥石碑記」。元文6年(1741)建立。
こちらは…狛犬のようです。これも古そう!
手水石。
こちらは、「狸筆塚」。文化6年(1809)。
これら「江戸文人石碑群」の由緒書き。
「磐井神社」の参拝を終え、境内の外に出ると、第一京浜国道、国道第15号線沿いに、何やら玉垣と井戸のようなものがあります。
こちらは、「磐井の井戸」。大田区文化財。
この井戸は「磐井」と呼ばれる古井戸で、社名の由来となっていて、東海道往来の旅人に利用され、霊水または薬水と称されて古来有名です。
この位置は元々神社の境内でしたが、東海道(現第一京浜国道)の拡幅により、境域が狭められた為、社前歩道上に遺存されることとなりました。
現在、飲むことはできませんが、土地の人々は「この井戸水を飲むと、心正しければ清水、心邪ならば塩水」という伝説を昔から伝えています。
「磐井の井戸」の横には、「当神社 重要縁起 磐井」という石碑があって…
境内に「磐井」があるから、「磐井神社」というのか~♪
「磐井の井戸」をじっくりと…
「東海七福神 おめぐり図」
「磐井神社」から国道15号線を横浜方面に進み、一つ目の信号、大森北交差点を右折。八幡通りを西に進むと、左側にお寺があります。こちらは、「蜜厳院」。
山門脇に、由緒書きがありました。「大田区文化財 地蔵菩薩立像 (俗称お七地蔵)」。
江戸大火(天和2年・1682)を引き起こした八百屋お七の霊を慰めるため建立されたと、伝えられていて、この事件は当時、井原西鶴の「好色五人女」に描かれ、その後も、浄瑠璃などで人々に親しまれました。
お七の刑死は天和3年(1683)3月29日で、台石銘文の貞亨2年(1685)4月24日は、その三回忌に当たります。
建立者は小石川村百万遍仏講中。
本像はもと鈴ヶ森刑場に建てられていましたが、ある日、一夜にして当寺に飛来したという伝説があります。
八百屋お七慰霊の地蔵尊があるんですね…
その横にも由緒書きが…「大田区文化財 庚申供養塔」。
石造舟型で阿弥陀如来像を彫った庚申供養塔で、寛文2年(1662)のもの。大田区では2番目に古く、法界定印を結ぶ弥陀の坐像を彫った庚申供養塔は、全国的にも稀と言えます。
参拝しようと思ったのですが、訪問時間が遅く、山門が閉じられていて、参拝できず…残念…涙
「蜜厳院」の南側に路地を入って行くと、「最徳寺」があります。
「最徳寺」の本堂。
本堂に近づいて…
境内には、無量寿廟があります。
奥には、観音様がいらっしゃって…
大きな擬宝珠も!昔の本堂の屋根に載せられていたものなのでしょうね。
山門の前は、参道の名残が残っていました。参道を下ると、石柱がある場所がありますので、振り返って、パチリ。
「最徳寺」の参道の突き当たりを左折。路地を歩いて行くと、公園のような空間があって、その奥に朱の建屋が見えました。
更に進むと、鳥居が見えて来て…こちらは「東貫森稲荷神社」。
手水所。
狛犬。
朱の社殿と、その手前の石灯籠。柵で囲われていますね…倒壊防止?
社殿手前には、お稲荷さん。
「東貫森稲荷神社」の社殿。
社殿の中の様子。
「磐井神社」「磐井の井戸」「蜜厳院」「最徳寺」「東貫森稲荷神社」と回った後は、旧東海道に戻り、更に横浜方面に歩いて行きました。
その様子は、また後日。
磐井神社
東京都大田区大森北2-20-8
磐井の井戸
蜜厳院(お七地蔵)
東京都大田区大森北3-5-4
最徳寺
東京都大田区大森北3-18-25
東貫森稲荷神社
東京都大田区大森北3-18
八百屋お七…好きな人に会いたいばかりに、放火して、鈴ヶ森で火あぶりの刑に…涙
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