今戸神社と、山谷堀公園・聖天橋と、山谷堀と ~東京都台東区の神社・史跡・街並 | 九州下町おやじの珍道中

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2020年4月中旬の東京都台東区浅草・今戸・吉原・三ノ輪散策の続き。

 

稲荷神社」をお参りし、桜橋を渡って、「称福寺」をお参りした後は、「今戸神社」に向かいました。

 

 

橋稲荷神社・桜橋・称福寺のレポ

 

 

 

 

称福寺」から南の方角に路地を進み、通りに出ると、「今戸神社」に到着です。

 

 

 

 

今戸神社」の由緒書き。御祭神は、応神天皇、伊弉諾尊、伊弉冉尊、福禄寿。

元今戸八幡宮と称し、後冷泉天皇の時代、康平6年(1063)源頼義・源義家父子は奥州の夷賊安太夫安倍貞任、安倍宗任を討伐の折、今戸の地に到り、京都の石清水八幡宮を鎌倉鶴岡と浅草今津村(現 今戸)に勧請しました。

 

 

 

応神天皇の母君神功皇后は新羅を始め、三韓親征の際、天皇を宿されその帰路天皇を急襲筑紫で誕生しましたので、応神天皇は別名胎中天皇・聖母天皇とも称し、安産子育ての神として崇拝されています。

 

伊弉諾尊・伊弉冉尊は加賀の白山比咩神社の御祭神で、嘉吉元年(1441)千葉介胤直が自分の城内に勧請。子孫繁栄とともに縁結びの神として崇敬されています。

 

昭和12年今戸八幡宮と合祀され、今戸神社と改称されました。

 

 

 

鳥居の足元には「えんむすび」と、「招き猫発祥の地」、「沖田総司終焉の地」の看板が!

 

 

 

 

鳥居をくぐり、境内を進みます。

 

 

 

 

こちらは…扉に町会名が書かれていますので、神輿庫のようです。

 

 

 

 

こちらは、本社神輿庫。大きい~お神輿も大きいのでしょうね♪

 

 

 

 

狛犬には、金網がかぶせられていて…その脇には「度数拝禮碑」と刻まれた石碑がありました。上には、招き猫でしょうか、ネコちゃんの彫刻が置かれていますね。

 

 

 

 

社殿が見えて来て…

 

 

 

 

社殿手前の狛犬。こちらは、金網がない…(^^;

 

 

 

 

手水所。

 

 

 

 

沖田総司終焉之地」と刻まれた石碑。ここ今戸が、終焉の地だったのか…知らなかった…(^^;

 

 

 

 

石碑の後ろには、由緒書きがありました。

当地に居住していた御典医松本良順の治療の甲斐なく、当地で没したと伝えられています。

碑字は、橘右近書です。

 

 

 

 

今戸焼発祥之地」という石碑もあって…

 

 

 

 

今戸焼」の由緒書き。

現在の台東区今戸の地で焼かれて来た日用品の土器類・土人形類のことで、かつては江戸を代表とする焼き物として繁栄して来ました。

今戸神社の狛犬台座には、宝暦2年(1752)に奉納した43名の陶工らの名が刻まれていて、数多く軒を並べていたことが伺えます。

 

 

 

今戸焼の起源は定かではありませんが、伝承では天正年間(1573~1591)に千葉氏の家臣が今戸辺りで焼物を始めたとか、徳川家康入府後三河の陶工が今戸に移って来たとも言われています。

今戸焼の名としては18世紀末頃から明らかに見られ、18世紀前半頃に本格的な土器生産が始まったと思われます。

 

近年の江戸遺蹟の調査によって施釉土器、土人形や瓦類が多く出土し、その中には今戸焼職人の名が刻印されている土器・土人形、今戸の地名を印した瓦も見られ、隅田川沿岸の窯業との関連が注目されます。

 

関東大震災や東京大空襲により職人が次々と区外へ移り、現在今戸には一軒のみが残り、伝統を伝える「口入れ狐」「招き猫」などの人形が今でも製作されています。

 

 

 

今戸神社」の由緒書きがこちらにもありました。

 

 

 

 

招き猫のモニュメント。台石には、「お江戸は浅草 今戸で生まれ 愛され続ける 招き猫」と刻まれていて…

 

 

 

 

拝殿に近づいて…

 

 

 

 

おっ!ネコちゃんが♪

 

 

 

 

社殿を横から…

 

 

 

 

今戸神社」から、裏手から出ると、都立浅草高等学校があります。

 

 

 

 

その敷地の一角に、石碑があって…「都立台東商業高等学校 東京市立山谷堀尋常小学校国民学校跡」と刻まれています。

浅草高校の敷地は、以前は、台東商業高校だったんですよね…

 

 

 

 

浅草高校の前を浅草寺方面に歩くと、緑道が見えて来ます。

 

 

 

 

その緑道には、橋の親橋のような石碑があって、「聖天橋」というプレートがあるんですよね。

 

 

 

 

緑道を眺めて…キレイに整備されていますね♪

 

 

 

 

由緒書き「山谷堀ヒストリカルツアー 猪牙舟(ちょきぶね)」

船首が長細く尖った屋根のない形で、江戸時代から支柱の水路でよく使われていた舟で、遊郭が新吉原に移転した後、猪牙舟を用いて山谷堀(さんやぼり)をよくとおったため、山谷船とも呼ばれていて、当時の江戸の人々にとって、舟に乗り山谷堀を通って吉原へ遊びに行くことは、大変贅沢でした。

 

 

 

舟の長さは約30尺、幅は4尺6寸と細長く、語源は舟の形が猪の牙に似ているからとか、長吉という人が考案した「長吉船(ちょうきちぶね)」が訛って「ちょきぶね」になった、と諸説あり、速度の速い舟でした。

浅草聖天町出身の池波正太郎作「鬼平犯科帳」の中にも多く登場しています。

 

この緑道は、「山谷堀公園」。かつての山谷堀だったんですね!

 

 

 

山谷堀公園」は、船のモニュメントが!猪牙舟にしては、やけに寸足らずのような…笑

 

 

 

 

山谷堀公園」を、吉原・三ノ輪方面に進むと、大通りに出るのですが、吉野橋があって…

 

 

 

 

吉野橋を横切り、「山谷堀公園」を進みます。

 

 

 

 

今戸神社」をお参りし、「山谷堀公園」を「聖天橋」から「吉野橋」と回った後は、更に「山谷堀公園」を進んで行きました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

今戸神社

東京都台東区今戸1-5-22

 

 

 

 

東京市立山谷堀尋常小学校国民学校跡碑

東京都台東区今戸1-8

 

 

 

 

 

 

 

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