2021年5月3日の福岡県田川市と福岡県飯塚市の歴史散策の続き。
「旧三井田川鉱業所伊田炭鉱跡地」「石炭記念公園」「田川市石炭・歴史博物館」の続き。
旧三井田川鉱業所伊田炭鉱跡地(その6)石炭記念公園・田川市石炭歴史博物館のレポ
「コールカッター」で採掘された石炭は、ベルトコンベヤーで運ばれて行きます。
こちらが「パンツァーコンベヤー(長壁式切羽運搬機)」。
Wチェーンコンベアともいい、採炭効率の向上が要望されるに伴い、能率の悪いV型コンベヤーに代わり登場したもので、昭和30年頃にはほとんどの炭鉱で使用されました。
当初はドイツから輸入しましたが、その後、日本の鉱山機械メーカー等で製作されました。
ベルトコンベヤーで運ばれた石炭は、トロッコに載せられて…
しかし、石炭って、いろいろな種類があるんですね~
船も展示されていました。
この船は「川艜(かわひらた)模型」。
長さ五間、幅一間(一間は約1.8m)の底が平たい杉の船(約6t積)が標準的な川艜で、真ん中に帆柱があり、石炭を積む部分は前後に一間半ずつ、合計三間の長さを占めています。
帆柱のすぐ後ろが畳一枚分くらいで居間兼寝起きする場所で、そこに船箪笥・戸棚・水瓶・竈を置き、茶碗やその他生活道具を備えていて、かまどは箱の中に泥で作っていました。
芦屋町歴史民俗資料館所蔵の川艜と安藤修一氏の納屋壁にあった川艜を参考に復元図を作成し、実物(下流用の七間船)の4分の1に縮小復元したもので、帆と舵は、浮羽町歴史民俗資料館の資料を参考にしました。
福岡県芦屋町の川艜、先日見学して来ましたが、まだレポしていないんですよね…
もっと巨大な船でした…
由緒書き「川艜での石炭輸送」
筑豊の石炭は、川艜と呼ばれる平底の船で遠賀川を下り、運ばれていました。
当時の川は浅瀬が多く、未熟な羨道はよく座礁しており、堰も多く堰を閉め1日数回しか開けられない農繁期には、堰の前で長時間待たねばならず、往復には多くの日数を必要としました。
明治20年(1887)頃から、筑豊の出炭高は上昇、採炭量に見合う輸送量を維持しようとすると、川艜の数が増え水路の混雑を招き、また運賃に加え、坑口から川艜へ積み込むまでの人力や車力による運賃がかかるため、輸送コストが炭坑主にとって負担となって行きました。
館内には、「田川映画資料館」という展示コーナーがありました。
昔の映画のポスターがたくさん!
おお!?蒸気機関車の模型もある♪♪それもD51♪
D51、田川地区においては、線路路盤の強度問題などによって、日田彦山線・香春以北しか入線できなかったため、大正生まれの貨物機9600型ほどの馴染みはないようです…
「鉄道での石炭輸送」
石炭輸送量の増加に伴い、鉄道輸送の必要性が生じ、筑豊では明治24年(1891)筑豊興業鉄道によって若松-直方間が開通し石炭の陸送が開始。翌年、直方-小竹間が、翌々年には直方-金田間が開通し、田川郡に初めて機関車が乗り入れることとなりました。
明治28年(1895)豊州鉄道が田川炭の輸送を主目的とし、行橋-伊田間に開通。
その後も鉄道網が整備され、明治40年(1907)頃には、筑豊の鉄道網は完成し、石炭輸送のほとんどを担うようになりました。
石炭ストーブや石炭七輪(ガンガン七輪)も展示してありますね~
豆炭に練炭も…練炭七輪に練炭火鉢もありました。
コークスに、レールも…
館内には、幟旗がたくさん立てられた山車のようなものもありました。
こちらは、「山笠」。
永禄年間(1558~1570)疫病が流行した時、村人たちが願掛けをした「風治八幡神社」へ成就のお礼として催された神幸祭に始まったと伝えられています。
大神輿が幟山笠と踊山笠とを引き連れて、勇壮・豪華に彦山川を練り渡ったのですが、これが現在の川渡り神幸祭です。
神幸祭の時に使用されていた幟山笠の主要部分を展示しています。
炭鉱夫たちの入浴シーンの模型。湯船のお湯は真っ黒になっていますね…
「田川市石炭歴史博物館」の見学を終え、外に出て、裏手に回ると、古そうな石碑がありました。「解剖紀念碑」とあります。
こちらは、「解剖記念碑」。
明治20年(1887)田川郡下落合 野北モト氏の遺言により解剖が行われ、医事新聞に肝臓髄様癌腫とし詳細に発表されましたが、野北氏の世人の為にと思う献体、その意思を尊重しての解剖による病因究明は画期的要素として田川医療史に残されるべきであり、明治21年(1888)記念碑を建立、昭和52年(1977)保存の目的にて旧田川医師会館に平成18年(2006)現在地に移設されました。
その横には「野北茂登女 解剖記念碑」がありました。歌碑のようです。
更に進んで…「石炭記念公園」には、遊具の置かれたスペースもありますよ~
蒸気機関車もあるんですよね♪
こちらは、「9600形蒸気機関車」。石炭の運搬に使用されたSLになるんですね。しかしフェンス越しだし、文字もかすれていて、読みにくい…(^^;
9600形蒸気機関車の周りを一回り。
腕木式信号機もありました♪
蒸気機関車の後ろに連結されている貨車。
セ型で積載量10t、三池港務の構内で石炭運搬に使用されていたもので、三池港務所から寄贈されたものです。
「9600型蒸気機関車」の由緒書き。
番号59684、川崎造船所兵庫工場で大正11年に製造されたもので、最終所属は行橋機関区。走行距離は2,710,210km!?スゴい…(^^;
ここ田川で、9600型蒸気機関車が見られるとは♪嬉しい限り♪
「その8」に続く。
旧三井田川鉱業所伊田炭鉱跡地・石炭記念公園・田川市石炭歴史博物館
福岡県田川市伊田2734-1
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