浦添グスク(その3)~浦添城跡・石畳道 ~沖縄県浦添市の城跡・史跡・公園 | 九州下町おやじの珍道中

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202112月17日に、沖縄県浦添市散策の続き。

 

浦添ようどれ」「浦添城跡」の続き。

 

 

浦添グスク(その2)浦添城跡のレポ

 

 

 

 

浦添城跡」をさらに進むと、石垣が見えて来て…

 

 

 

 

更に進むと、「トゥン」という案内板がありました。

 

 

 

 

トゥン」の由緒書き。

殿トゥン)」は、ウマチー(麦や稲の豊作を祈願・感謝する祭)などの村の祭を行う場所で、浦添城跡の殿では仲間集落と前田集落が一つになって祭りを行っていました。

 

 

 

ウチマーの際は、2本の竹を結び合わせたアーチを作り、それに向かってノロ(王府から任命され王国や村々の祭祀を取り仕切った神女)を始め参列者が手を合わせてから祭を戸なったそうで、アーチは神々が通る門を表現したものと考えられています。

 

 

 

奥に進むと、また別の案内板が見えて来て…

 

 

 

 

こちらは、「正殿跡?」。

1998年の発掘調査で見つかったもので、縁石が置かれ、石が敷かれている様子を確認。

他にも、石列や柱の跡とみられる穴などが見つかっていて、ここに正殿があったことを示すものと考えられています。

 

 

 

浦添城跡」の北側は、沖縄戦後の採石で大きく削り取られた為、ほとんど残っていません…

 

 

 

案内板の脇の地面には、並んでいる石を見ることができます。

 

 

 

 

更に奥に進むと…

 

 

 

 

琉球石灰岩の大きな岩が見えて来て…

 

 

 

 

フェンスがあって、行き止まりになっていました…地図上では、更に奥にも遺構があるようなのですが…汗

 

 

 

 

仕方がないので、「殿(トゥン)」の方に戻りつつ、坂道を下って行って…

 

 

 

 

こんな案内板も…「埋葬人骨」。

1983年の発掘調査で、当地の城壁裏の地ごしらえからグスク時代の人骨が発見されました。

人骨は20歳前後の女性で、身長150cm程。状態は良好で、仰向けで両腕、両脚を胴体に密着するまで強く折り曲げられた状態で葬られ、副葬品はありませんでした。

 

 

 

 

その先には、立派な石碑があります。

 

 

 

 

石碑に近づいて…碑文は読めませんでしたが…汗

 

 

 

 

こちらは、「浦添城の前の碑」。

1597年に浦添グスク首里を結ぶ道路を整備した時の竣工記念碑で、石碑の表に平仮名の琉球文、裏に漢文で、尚寧王の命により国民が力を合わせて石を積んで橋を架け、岩を刻んで道路を造ったことが記されています。

 

 

 

碑首は、16世紀の琉球王国の象徴文様である日輪双鳳雲文で飾られています。

石碑の前にある大きな石は「馬ヌイ石」と呼ばれ、馬に乗るための踏み台と言われていて、元の石碑は去る沖縄戦で台座もろとも破壊されたため、1999年に復元しました。

 

 

 

浦添城の前の碑」の裏に回ると…おお!漢文が刻まれている!

 

 

 

 

カガンウカー」という案内板を見かけたので、矢印の指す方向へ行ってみることに…

 

 

 

 

先にも、案内板があって…写真左の高まりの先にあるようです。

 

 

 

 

その高まりを上って…

 

 

 

 

突き当たりに、口を開けた穴ぼこが!

 

 

 

 

由緒書き「カガンウカー

旧暦5月、6月のウマチーや12月の拝願解ウガンブトゥチ)などの年中祭祀の際に、仲間集落の人々によって村拝みが行われている井泉です。

戦後は、ここから湧き出た水で「宝船」という泡盛を作っていました。

宝船はかつて浦添にあった地酒で、タカタものをわんさか積んだ船の帆に「宝」の文字を描いたラベルが印象的です。

 

 

 

 

カガンウカー」に近づいて…

 

 

 

 

カガンウカー」から引き返し、坂を更に下って行くと、石畳の小道が見えて来ます。

 

 

 

 

こちらは、「石畳道」。

1597年に整備された、首里浦添城を結ぶ石畳道です。

首里の平良橋(太平橋)が木製の橋で、雨が降ると道がぬかるみ、人々が往来するのにとても不便であったため、尚寧王の命により整備したことが、道の完成を記念して建てられた「浦添城の前の碑」に記されています。

 

 

 

2006年からの発掘調査では、尚寧王が整備した当時の石畳を確認し、当時の石を生かしながら復元整備しました。

 

 

 

その石畳道を下って行きます。いい雰囲気ですね~♪

 

 

 

 

石畳道を下ってすぐ右手に、「カラウカー」という案内板を発見。

 

 

 

 

石積みの穴ぼこがありました。こちらが「カラウカー」と呼ばれる井戸・井泉なんですね。

 

 

 

 

石畳道を更に下って、振り返って、「浦添城跡」の高台を…

 

 

 

 

下り切ってから、下からも石畳道を眺めて…

 

 

 

石畳道」と言えば、「首里城」の南、金城町にも石畳道がありますね。

以前レポしていますけど…

 

金城町石畳道のレポ

 

 

 

 

 

 

浦添城跡」がある「浦添大公園」を見学した後は、ゆいレールに沿って、首里方面に南下して行きました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

浦添城跡

沖縄県浦添市仲間2-53

 

 

 

 

浦添大公園

沖縄県浦添市仲間2-53(南エントランス管理事務所)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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