マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

匈奴(5)

 もし、あの時、匈奴の君主・冒頓(ぼくとつ)が、漢の初代皇帝・劉邦(りゅうほう)を殺していたら――

 中国大陸の運命だけでなく――

 ユーラシア大草原の運命も、大きく変わっていたかもしれぬ。

 

 冒頓は大軍を率いて一気に南下――

 漢の都・長安を攻め落とし、そのまま――

 後世、モンゴルが、そうしたように――

 中国大陸を自身の版図に組み込んだかもしれぬ。

 

 もし、冒頓が、ユーラシア大草原の東部と中国大陸の全域とを押さえたなら――

 以後、その目は西方へ向けられたろう。

 

 冒頓の視線の先には、遠く、ロシア平原が横たわっていたに違いない。

 

 モンゴル高原から中国大陸までの距離は、ざっと 1,000 キロメートル――

 モンゴル高原からロシア平原までの距離は、ざっと 5,000 キロメートル――

 

 むろん、中国大陸のほうが距離的には遥かに近い。

 

 が――

 冒頓たち匈奴遊牧民にとっては――

 中国大陸よりもロシア平原のほうが、近く感じられたろう。

 

 匈奴遊牧民たちにとって――

 ほぼ一つの草原で繋がっているという点で――

 ロシア平原は心理的に近い距離にあった。

 

 むろん――

 ロシア平原に至るまでには――

 後世、モンゴルが、そうしたように――

 ユーラシア大草原の各所に偏在をしていた数々の遊牧民たちを自分たちの支配下に置く必要はあった。

 

 そのような長征が、当時の馬の装備や長距離移動の技術で可能であったかどうかは、ともかくとして――

 そのような夢想を抱いたことは想像に難くない。

 

 モンゴルがユーラシア大草原を統べる 1,500 年ほど前に――

 同じことを匈奴がやってのけた可能性は、ないとはいえぬ。

 

 『随に――』

匈奴(4)

 匈奴の君主・冒頓(ぼくとつ)は――

 漢の初代皇帝・劉邦(りゅうほう)をなぜ見逃したのか。

 

 ……

 

 ……

 

 ――最初から殺すことを考えていなかったから――

 と考えるのが自然であろう。

 

 あの時、冒頓が考えていたのは――

 おそらく、

 ――漢の皇帝以下、農耕民たちを懲らしめる。

 ということであった。

 

 中国大陸の農耕民たちからすると――

 遊牧民たちは、北から襲って来て、農地を荒らし、収穫物を奪っていく。

 

 遊牧民たちをこそ懲らしめる必要があった。

 

 が――

 

 ユーラシア大草原の遊牧民たちからすると――

 農耕民たちは、南から移り住んで来て、草原を耕し、農地に変えていく。

 

 どちらの民にも、いい分はあった。

 

 冒頓が劉邦に弁えさせたかったことは、

 ――中国大陸の農耕民たちに、草原と農地との境界を不用意に侵すのをやめさせよ。

 ということであろう。

 

 裏を返せば――

 そこさえ弁えてくれれば、

 ――それ以上の手出しはせぬ。

 ということではなかったか。

 

 ……

 

 ……

 

 以後――

 漢と匈奴とは和親を保つ。

 

 匈奴の君主は漢の皇帝の娘を妻にする――

 漢は匈奴に毎年、品を贈る――

 などの条件が設けられた。

 

 その「和親」の実態は――

 漢が匈奴に対し、

 ――平身低頭に徹する。

 というものであった。

 

 漢の皇帝以下・文武百官は、むろんのこと――

 中国大陸の農耕民たちにとっても――

 屈辱的な恭順であったに違いない。

 

 『随に――』

匈奴(3)

 匈奴の君主・冒頓(ぼくとつ)が、漢の初代皇帝・劉邦(りゅうほう)を国境紛争の末に取り囲んだ時――

 中国大陸の運命は激しく変わろうとしていた。

 

 1,500 年後のモンゴルによる征服と同様のことが――

 この時、起こっていたかもしれぬ。

 

 ……

 

 ……

 

 実際には起こらなかった。

 

 なぜか。

 

 ……

 

 ……

 

 その経緯は――

 

 実は、どうにもわからぬ。

 

 ……

 

 ……

 

 史書が伝えるところによれば――

 

 この時、劉邦は、軍師であった陳平(ちんぺい)という者の策を採り――

 冒頓の正妻へ品を贈って夫に兵を退かせたという。

 

 にわかには信じ難い。

 

 匈奴遊牧民であるから――

 遠征には家族全員が移動をする。

 

 よって――

 冒頓の正妻が戦場の近くにいたことはわかる。

 

 が――

 仮に、冒頓の正妻が完全に買収をされたとして――

 それだけで、夫が兵を退くだろうか。

 

 ……

 

 ……

 

 単に、品を贈っただけではなかった――

 と説く者もある。

 

 ――貴女の夫は、このまま漢の皇帝を殺すと、中国大陸の美女たちを欲しいままにすることでしょう。

 と、まことしやかに告げて――

 その悋気を誘ったと伝わる。

 

 もし、それで冒頓が兵を退いたとするならば――

 この匈奴の君主は、よほど定見を欠いていたことになる。

 

 そうでは、あるまい。

 

 あるいは――

 以下のように説く歴史小説家もある。

 

 ――この時、匈奴の軍は圧倒的優位だったわけではない。漢からの降将の元部下たちが匈奴に寝返って援軍となる約束であったのが、まだ到着をしていなかった。また、漢の軍の主力が追いつくと、今度は匈奴の軍が取り囲まれる可能性もあった。

 

 よって――

 冒頓は、あえて劉邦の首級を狙わなかった――

 

 ……

 

 ……

 

 真相は、わからぬ。

 

 ……

 

 ……

 

 漢の皇帝親率の騎兵を囲むこと 7 日――

 

 匈奴の軍は、あえて囲みを解き――

 冒頓は劉邦を見逃した。

 

 『随に――』

匈奴(2)

 匈奴が、モンゴル高原を統べ、ユーラシア大草原の東部に帝国を興したのは、紀元前2世紀の序盤である。

 

 それから約 1,500 年後――

 モンゴルが、同様にユーラシア大草原の東部に帝国を興した。

 

 モンゴルが、ロシア平原を版図に組み込み、ユーラシア大草原の全域を支配下に置くことで、“草原の帝国”を築き上げたのに対して――

 匈奴が、ロシア平原まで版図を広げることはなかった。

 

 匈奴とモンゴルとで――

 何が違ったのか。

 

 ……

 

 ……

 

 中国大陸への侵略の成否である。

 

 中国大陸を――

 モンゴルは版図に収められた。

 

 匈奴は版図に収められなかった。

 

 いや――

 

 ――収めようとしなかった。

 が真相ではないか。

 

 その好機はあった。

 

 匈奴モンゴル高原を統べた直後である。

 

 中国大陸では――

 漢が興り、初代皇帝・劉邦(りゅうほう)が全土を統べていた。

 

 この劉邦を――

 匈奴の君主・冒頓(ぼくとつ)が襲った。

 

 冒頓は、劉邦の命を文字通りに脅かしたのである。

 

 何が起こったのか。

 

 匈奴と漢との間で、大規模な国境紛争が起こり――

 これを鎮めるため、劉邦は親征に出た。

 

 冒頓は、あえて弱兵の姿を劉邦に晒し、

 ――匈奴、恐れるに足らず。

 と侮らせた。

 

 劉邦が直率の騎兵で強襲を試みたところ――

 弱兵が退いた。

 

 劉邦の目には、慌てふためき、逃げ出したように映った。

 自然、深追いとなった。

 

 この時、漢の軍の主力は歩兵だった。

 歩兵は騎兵を追いかけられなかった。

 

 騎兵だけが突出をした。

 

 それを――

 匈奴の強兵が取り囲んだ。

 

 騎兵の一人であった劉邦も取り囲まれた。

 

 匈奴の弱兵は囮だった。

 

 こうした戦法は、1,500 年後のモンゴル軍が得意にしていた。

 おそらくはモンゴル高原の戦史で磨き上げられた戦法である。

 

 この計略に遭い、例えばロシア平原では、ルーシ諸侯の多くが戦死を遂げた。

 劉邦も、同様の運命を辿ったとして、何ら、おかしくはなかった。

 

 そうなっていれば――

 中国大陸の歴史は、もちろんのこと――

 ユーラシア大草原の歴史が大きく変わっていたに違いない。

 

 が――

 実際には、そうはならなかった。

 

 なぜか。

 

 ……

 

 ……

 

 『随に――』

匈奴(1)

 ロシア平原とモンゴル高原とは、ほぼ一つの草原として、繋がっている。

 

 その草原は――

 英語で、

 ――Eurasian Steppe

 と呼ばれる。

 

 日本語でも、カタカナ語として、

 ――ユーラシア・ステップ

 と呼ばれることが多い。

 

 ――ステップ(steppe)

 とは、

 ――大草原

 くらいの意だ。

 

 つまり――

 英語の、

 ――Eurasian Steppe

 を日本語に訳すなら、

 ――ユーラシア大草原

 がよい。

 

 この大草原のどこかに帝国が出現をし――

 その政権が隆盛を大いに極めれば――

 その版図の内にロシア平原とモンゴル平原とが併せて組み込まれうることは――

 必然であった。

 

 人類史上――

 そのような帝国でありえたのは、唯一モンゴルのみであるが――

 

 モンゴル以外にも候補はあった。

 

 それら候補の中で有力なものの1つに、

 ――匈奴

 がある。

 

 ユーラシア大草原の東部――モンゴル高原――で暮らしていた遊牧民の部族の連合体だ。

 紀元前4世紀の終盤から紀元1世紀の終盤にかけ、人類史に名を留めている。

 

 この部族の連合体が――

 紀元前3世紀の終盤から紀元前2世紀の序盤にかけ、帝国と化した。

 

 自分たちに刃向かう遊牧民たちを全て追い払い、ユーラシア大草原の東部を統べた。

 その余勢を駆って、中国大陸の方へと南下をし、農耕民の国家を脅かした。

 

 有名な、

 ――万里の長城

 は、中国大陸の農耕民がモンゴル高原遊牧民の侵入を防ぐために築き始めた城壁である。

 

 『随に――』

ほぼ一つの草原として――

 ――ロシアとは、“草原の帝国”モンゴルの後継国である。

 という命題を受け止めるには――

 ロシア平原とモンゴル高原とが、ほぼ一つの草原として、繋がっていることを知る必要があろう。

 

 ――ロシア平原

 とは――

 今日のエストニアラトビアリトアニアベラルーシウクライナ、ロシアなどに跨(またが)る広くて平らな土地を指す。

 

 普通は、

 ――東ヨーロッパ平原

 と呼ばれる。

 

 ――モンゴル高原

 とは――

 今日のモンゴルにロシアの極東南部の一部や中国の内モンゴル自治区を合わせた土地を指す。

 

 標高の 1,000 メートルほどの平らな土地を指す。

 

 これら2つの土地が、ほぼ一つの草原として、繋がっている。

 

 ――草原として、繋がっている――

 ということは、

 ――馬に乗れば、行き来できる――

 ということである。

 馬に草を食ませ続けることで長距離移動が可能となる。

 

 このため――

 モンゴル高原遊牧民たちは、太古の昔より、ロシア平原の存在をかなり身近なものとして知っていた――

 と、いわれる。

 

 また――

 ロシア平原の遊牧民たちも、遥か東方に広がるモンゴル高原の存在に対し、憧憬の念を馳せていた――

 と、いわれる。

 

 ただし――

 両者の関係は「完全に対称」というわけではなかった。

 

 モンゴル高原遊牧民たちのロシア平原を欲する思いのほうが、その逆よりは強かったと考えられる。

 

 その理由は――

 直接的には、馬の装備や長距離移動の技術の問題であったろうが――

 間接的には、気候の問題であったに違いない。

 

 ロシア平原よりもモンゴル高原のほうが、より寒冷で過酷な気候である。

 

 より温暖で快適な気候を求めて――

 モンゴル高原遊牧民たちは、馬の装備を調え、長距離移動の技術を磨いたに違いない。

 

 『随に――』

ウクライナとは――

 ――ロシアとは、旧ルーシのうち、“草原の帝国”モンゴルに感化をされた部分が、巨大化をした結果、成立をみた国である。

 と考えてみる。

 

 すると――

 

 では――

 ウクライナとは、いかなる国か。

 

 ……

 

 ……

 

 次のように考えられる。

 

 ――ウクライナとは、旧ルーシのうち、“草原の帝国”モンゴルから疎外をされた部分が、構造化をした結果、成立をみた国である。

 

 ここでいう、

 ――構造化

 とは、

 ――国の体裁を成すこと

 くらいの意である。

 

 旧ルーシは、“草原の帝国”から侵略を受けた頃――つまり、13世紀前半――

 すでに離散の間際にあった。

 

 その時に離散をした破片の数々は――

 帝国の武威に惹かれて寄っていくものと――

 帝国の酷虐を嫌って去っていくものと――

 に分かれた。

 

 その、

 ――去っていく破片

 の数々が、互いに結び付き、構造を呈したことで、

 ――ウクライナ

 という国が作られた――

 

 この構造化は、行きつ戻りつを繰り返し――

 その過程は、実に緩やかであった――

 

 ようやく国の体裁を成し終えたのが――

 20世紀の終わり――ソビエト連邦の瓦解の後――であった――

 

 つまり――

 ロシアとウクライナとは、“草原の帝国”が齎(もたら)した、

 ――侵略による版図の拡大

 という思想を挟んで対峙をしている――

 

 そのようにいえるのではないか。

 

 『随に――』

再び、ロシアとは――

 再び、

 ――ロシアとは、いかなる国か。

 と問いたい。

 

 以下――

 感覚的に述べる。

 

 ――ロシアとは、旧ルーシのうち、“草原の帝国”モンゴルに感化をされた部分が、巨大化をした結果、成立をみた国である。

 と考えては、どうか。

 

 わかりやすく述べれば、

 ――ロシアとは、モンゴル帝国の後継国である。

 となる。

 

 難しい話ではない。

 

 ロシアの現在の領土の多くが、13世紀のモンゴルの版図と重なる。

 この事実からみても、明らかではないか。

 

 むろん――

 政権を担う民族の系統は違う。

 

 ロシアの現在の政権を担っているのは、旧ルーシの後裔であり――

 13世紀のモンゴルの政権を担っていた者たちと直接の関係はない。

 

 が――

 それは、あくまで遺伝・生物学的な話だ。

 

 文化・社会学的には、

 ――直接の関係がある。

 といっても、特段、差し支えぬのではないか。

 

 旧ルーシの後裔のうち――

 13世紀のモンゴルに学び、真似んと欲した者たちによって――

 現在のロシアの政権は担われている――

 

 ……

 

 ……

 

 事実――

 

 現在のロシアは――

 核兵器の誇示に躊躇をせぬ。

 

 ――北大西洋条約機構の軍がウクライナに入れば、核戦争が始まる。

 と威嚇をする。

 

 その姿勢は――

 かつて、“草原の帝国”が、騎兵の精強性や攻城の新奇性で、繰り返し威嚇をしていたことに通じる。

 

 ――ひとたび我らに逆らえば、街は壊し尽され、民は殺し尽される。

 

 ……

 

 ……

 

 よく似ている。

 

 ――瓜二つ

 といってよい。

 

 『随に――』

侵略を始めることができた理由

 2022年2月中旬――

 ロシア政府の最高指導者の脳裏に、13世紀前半のウラジーミル・スーズダリ大公国の不名誉が実際に去来をしていたか否かは、ともかく――

 

 その史実を直観的に思い浮かべたロシア人が、一定の割合で存在をしていた可能性は――

 誰にも否定をされえない。

 

 あの時――

 ロシア政府の最高指導者が切実に抱いていたであろう懸念――

 ――北大西洋条約機構の軍がロシアへ攻め込んでくる。

 との懸念――

 は、一定の割合のロシア人に共有をされていた、と――

 みるのがよい。

 

 独裁体制は、過半の民衆の積極的ないし消極的な支持で保たれる――

 と考えられる。

 

 ウクライナ侵略を始めたロシア政府の最高指導者が、独裁者か否かは措くとして――

 その政治家の切実な懸念が、過半の民衆に積極的ないし消極的に共有をされていたであろうことは疑えぬ。

 

 その切実な懸念を時の最高指導者と分け合った民衆のうちの何割かの脳裏に――あるいは、数パーセントの脳裏に――

 13世紀前半のウラジーミル・スーズダリ大公国の不名誉が去来をしていたのではあるまいか。

 

 そう、みなせば――

 ロシアが、国家の総力を注ぎ、ウクライナへの侵略を始められた理由が、みえてくる。

 

 少なくとも――

 今回のウクライナ侵略が、一人の政治家の妄執で始まったわけでないことは、みえてくる。

 

 『随に――』

「攻め込むわけがない」と、なぜいえる?

 2022年2月中旬――

 ロシア政府がウクライナ侵略を始める直前――

 

 ロシア政府の最高指導者は、

 ――北大西洋条約機構の軍がロシアへ攻め込んでくる。

 という懸念を切実に抱いていたように感じられた。

 

 それを――

 北大西洋条約機構の加盟国および、それら加盟国の同盟国で暮らす人々の多くは、

 ――攻め込むわけがない。

 と笑い――

 取り合わなかった。

 

 実際に――

 北大西洋条約機構の側では――

 攻め込む気は微塵もなかったはずだ。

 

 が――

 あの時――

 ロシア政府の最高指導者の脳裏に、13世紀前半のウラジーミル・スーズダリ大公国の不名誉が去来をしていれば――

 笑って取り合わなかったのは、不適切であった。

 

 ――「攻め込むわけがない」と、なぜいえる? 現に、13世紀前半、草原の者どもは攻め込んで来たではないか。

 

 ……

 

 ……

 

 侵略をされた方は、いつまでも覚えている。

 

 その遺恨や悔恨は――

 800 年では消えぬ。

 

 ……

 

 ……

 

 あの時――

 ロシア政府の最高指導者の脳裏に、13世紀前半のウラジーミル・スーズダリ大公国の不名誉が去来をしていた可能性を――

 北大西洋条約機構の加盟国および、それら加盟国の同盟国で暮らす人々は、真剣に案じるのが良かった。

 『随に――』