マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

生理学と解剖学とが混然一体としていた頃

 ――生理学は体の機能を観る。解剖学は体の形態を観て、体の機能を思う。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 つまり――

 どちらも、

 ――体の機能

 が関心の対象である――

 ということです。

 

 その対象を――

 生理学では、直に観ようとし――

 

 解剖学では、

 ――体の形態

 を通して観ようとします。

 

 つまり――

 解剖学というのは、

 ――生理学の手法としての解剖を、学問として体系づけたもの

 といえるでしょう。

 

 人の、

 ――体の機能

 への関心は――

 おそらくは原始の時代からありました。

 

 それについて――

 多くの医師が、様々な考察を重ねてきたはずです。

 

 原始の時代――

 医師は、手探りの医療を行う過程で、医療を、何とかして学問として体系づけようとしたでしょう。

 

 やがて、

 ――体の病気

 は、

 ――体の機能

 が正常に発揮をされていない状態である――

 との結論に至り――

 

 ――体の病気

 をわかろうと思ったら、

 ――体の機能

 の在り方を普遍的に見極めようとしなければならない――

 との結論に至ったはずです。

 

 おそらく――

 医学は医療から生まれました――その逆ではありません。

 

 が――

 この、

 ――体の機能

 がなかなかわからない――

 

 思弁的な空想を積み重ね、それらしく理屈を練り上げることはできます。

 

 が――

 そのようにして得られた、

 ――体の機能

 の知見は、当然ながら、医療の現場では、ほとんど役に立ちませんでした。

 

 紀元2世紀ギリシャ・ローマの医師・医学者アエリウス・ガレノス(Aelius Galenus)は、おそらく、その弊害に気づいていました。

 ひょっとすると、

 ――“体の機能”を知りたければ、まずは“体の形態”だ。

 くらいの洞察は得ていたかもしれません。

 

 が――

 ガレノスの時代には、

 ――体の形態

 を十分に観ることができませんでした。

 

 人の体の解剖が社会で強く忌み嫌われていたからです。

 

 また――

 仮に人の体の解剖が十分に行えたとても――

 その解剖の結果を確かな精度で記録に残すことはできませんでした。

 

 ガレノスの時代には、

 ――体の形態

 を通して、

 ――体の機能

 を観るという発想が、まったく現実的ではなかったのです。

 

 きのうの『道草日記』で、

 ――ガレノスの頃は、まだ生理学と解剖学とが混然一体としていた。

 と述べたのは――

 そうしたことによります。