――紀元2世紀ギリシャ・ローマの医師・医学者アエリウス・ガレノス(Aelius Galenus)は、“体の機能”に関心を向けるあまり、思弁的な空想を積み重ねて、それらしく理屈を練り上げようとすることの弊害に、気づいていたかもしれない。
ということを――
おとといの『道草日記』で述べました。
ひょっとすると、ガレノスは、
――“体の機能”を知りたければ、まずは“体の形態”だ。
くらいの洞察は得ていたかもしれない、と――
が――
当時の社会が、人の体の解剖に対する忌避など、“体の形態”を見極めることについての無理解や不寛容に満ちていたので、仕方なく、“体の機能”に拘泥をし続けたのかもしれない、と――
……
……
これは――
ガレノスを少し贔屓目でみているからかもしれません。
ガレノスには――
その医学史上の功績に対する好評だけでなく――
その癖のある人柄に対する悪評が付いてまわります。
――むやみに議論をふっかけ、自己満足にこだわるために、他の医師らと無用に衝突を繰り返し、その弟子になろうとする者は現れなかった。
などといわれています。
こうした悪評は――
ガレノスの残した医学的知見には多くの誤りが含まれていたにも関わらず、その後、1,000 年以上にわたって妄信をされ続け、医学の発展の妨げになった、とする医学史的な解釈と――
無縁ではないでしょう。
その解釈は妥当である、と――
僕も思います。
が――
ガレノスの誤りが長らく正されなかったのは、後世の医師・医学者あるいは社会の責任とするのがよく――
ガレノス個人の責任とするのは、少々ガレノスに酷であるように思います。
そのようなわけで――
僕は、ガレノスを贔屓目でみてしまう傾向にあるのですが――
もし、そのような贔屓目をやめれば、
――ガレノスは終生、“体の機能”にこだわった。“体の形態”に関心を向けることは、ついになかった。
と考えることもできます。
10月12日の『道草日記』で述べたように――
ガレノスが数多くこなしたのは動物実験でした。
人の体に似ていると信じられていた動物――サルやブタ、ヤギなど――を好んで用いました。
実験は、解剖と違って、“体の機能”を直に調べるのに適しています。
例えば、体に傷をつけ、その機能がどのように損なわれるかをみれば、傷をつける前の機能を推し量ることができます。
解剖では、こうはいきません。
すでに体は死んでいて、その機能は永遠に損なわれているからです。
そのことを――
ガレノスは痛切に感じたでしょう。
ひょっとすると――
ガレノスが本当にやりたかったことは、動物実験でも人体解剖でもなくて――
人体実験であったかもしれません。