マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

ハーヴィーが「医学史上、最初の生理学者」と呼ばれる理由

 ――17世紀序盤のイギリスで「血液循環」説を唱えたウィリアム・ハーヴィー(William Harvey)は「医師・生理学者」と呼ばれることが多い。

 ということを、10月19日の『道草日記』で述べました。

 

 が――

 ハーヴィーは、しばしば、

 ――解剖学者

 とも呼ばれます。

 

 実際に――

 ハーヴィーは、当初は解剖学者でした。

 

 解剖学者として活動をしているうちに、

 ――生理学

 を興し、

 ――生理学の祖

 となり、

 ――医学史上、最初の生理学者

 になった、と――

 理解をされることが多いようです。

 

 ハーヴィーが打ち立てた、

 ――「血液循環」説

 は、

 ――心臓や血管系の機能

 に関する学説でした。

 

 ――「血液循環」説

 を打ち立てたことで――

 ハーヴィーは、

 ――心臓や血管系の形態

 と、

 ――心臓や血管系の機能

 とを厳密に分けたと考えられます。

 

 紀元2世紀ギリシャ・ローマの医師・医学者アエリウス・ガレノス(Aelius Galenus)は――

 10月22日の『道草日記』で述べたように――

 ――“体の機能”にこだわり、“体の形態”に関心を向けることはなかった。

 と理解をすることもできるのですが――

 より正確には、

 ――“体の機能”と“体の形態”とを厳密に分けることができなかった。

 と理解をするのがよいでしょう。

 

 ――機能

 と、

 ――形態

 とを合わせ、

 ――構造

 と呼びます。

 

 ガレノスが追い求めたのは、

 ――体の機能

 というよりは、

 ――体の構造

 でした。

 

 人体解剖の実施が思うに任せない世相において――

 ガレノスは、“体の機能”に無意識にこだわるあまり、“体の構造”から“体の形態”を抜き出すことができなかったのです。

 

 その“体の構造”から“体の形態”を抜き出したのが――

 16世紀のブリュッセル生まれの医師・解剖学者アンドレアス・ヴェサリウス(Andreas Vesalisu)です。

 

 これに対し――

 ハーヴィーは、“体の構造”から“体の機能”を抜き出しました。

 

 決して、“体の構造”から“体の形態”を抜き出し――

 その残りを“体の機能”とみなしたわけではないのです。

 

 少なくとも心臓や血管系について――

 ハーヴィーは、その形態を正しく思い描いてはいませんでした。

 

 10月10日の『道草日記』で述べた通り――

 ハーヴィーは毛細血管の存在を知りません。

 

 が、

 ――血液循環

 という“心臓や血管系の機能”は正しく思い描いていた――

 

 ハーヴィーは、“心臓や血管系の形態”に依存をすることなく、“心臓や血管系の機能”を明らかにしたのです。

 

 ハーヴィーが、

 ――医学史上、最初の生理学者

 と呼ばれる理由が――

 ここにあります。