マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

解剖学は「観察生理学」――

 ――17世紀序盤のイギリスで「血液循環」説を唱えたウィリアム・ハーヴィー(William Harvey)は、きわめて解剖的な手法で研究を行っていた。

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 このことは――

 何を示しているかというと――

 

 ――そもそも「解剖学」という学問は存在をしていなかった。

 ということです。

 

 ハーヴィー以前では――

 医師・医学者らは、

 ――解剖

 という名の観察を通して、

 ――生理

 をみようとしていました。

 

 ここでいう、

 ――生理

 とは、

 ――体の構造

 のことであり、

 ――構造

 とは、

 ――機能

 と、

 ――形態

 とを合わせた概念で――

 少し厳めしい言葉遣いをすれば、

 ――機能と形態との連関

 です。

 

 そして――

 そんなふうに、

 ――体の構造

 をみようと思っていたら――

 まずは、

 ――体の形態

 をしっかりとみることが大切である――

 ということに気づき――

 

 その、

 ――体の形態

 をしっかりとみているうちに、

 ――体の構造

 とは違う何かの存在に気づいた――

 

 そして――

 それを、

 ――体の機能

 と呼ぶことにした――

 

 それが――

 ハーヴィー以前の医学の大まかな流れであるように――

 僕には思えます。

 

 ――体の機能

 は、体の実験をすれば、ある程度はわかります。

 

 一方、

 ――体の形態

 は、体の観察をすれば、ある程度はわかります。

 

 よって、

 ――体の機能

 を調べる学問を、

 ――実験生理学

 と呼ぶならば――

 

 ――体の形態

 を調べる学問は、

 ――観察生理学

 と呼ぶのがよいのです。

 

 つまり――

 僕が、

 ――そもそも「解剖学」という学問は存在をしていなかった。

 というのは、

 ――解剖学は、そもそも「観察生理学」と呼ばれるのが妥当であった。

 ということです。