マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

僕らには強点だが、彼らには弱点――

 人工知能は、本来、

 ――神託(oracle)型

 であろうと、

 ――ジーニー(Genie)型

 であろうと、

 ――君主(sovereign)型

 であろうと――

 ――積極的な中庸

 の実践には向いている――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 そうではあるものの――

 

 ――積極的な中庸

 を任せるのは、

 ――神託型

 の人工知能だけに止めておくことが肝要でしょう。

 

 なぜならば――

 

 ――積極的な中庸

 が求められる立場というのは――

 国家元首や巨大企業の最高経営責任者といった人の社会に多大な影響を及ぼしうる立場であるからです。

 

 そのような立場にある人の知能が、

 ――ジーニー型

 や、

 ――君主型

 の人工知能に取って代わられたら――

 人は、人の社会に関する最終決定権を永遠に失うことになりかねません。

 

 ――神託型

 の人工知能の最大の強点(strong point)は――

 最終決定権は必ず人に預ける――

 という点でしょう。

 

 もちろん――

 この「強点」は、あくまでも僕ら人にとっての強点であり――

 

 彼ら、

 ――ジーニー型

 や、

 ――君主型

 の人工知能にとっては、「弱点(weak point)」以外の何ものでもないに違いありません。

 

 つまり、

 ――中庸

 に関わる最終決定権のことを突き詰めて考えていけば――

 僕ら人と彼ら人工知能とは、どうしても互いに相容れない存在である可能性が高い――

 ということです。

 

 このことは――

 将来、もし僕ら人が国家元首や巨大企業の最高経営責任者の役割を人工知能に任せるときには――

 厳に弁えておく必要があります。

 

 もちろん――

 以上の話は、人工知能が、神託型以外にも、ジーニー型や君主型で、実用化をされそうな状況がやってきそうな場合のことで――

 

 21世紀序盤の現代における人工知能の技術開発の進捗をみる限り――

 その目途は、

 ――まだ立ってはいない。

 といってよいでしょう。