マル太の『道草日記』

ほぼ毎日更新――

愚かでも賢くもない

 ――愚かでも賢くもない。

 とは、どういうことかを弁えることが――

 今後 100 年以上、人が人工知能と巧く付き合っていくためのカギを握る――

 ということを、きのうの『道草日記』で述べました。

 

 そもそも、

 ――愚か

 とか、

 ――賢い

 とかいった性質は、どういうことなのか――

 

 ……

 

 ……

 

 基本的には――

 現在を起点に据え、未来のある時点を考え――

 その時点までに、

 ――利益獲得

 や、

 ――損害回避

 に失敗をしそうであれば、

 ――愚か

 であり――

 失敗をしなさそうであれば、

 ――賢い

 ということであると考えられます。

 

 ただし――

 何をもって、

 ――利益

 とみなし――

 何をもって、

 ――損害

 とみなすかは――

 みなす者の主観に依ります。

 

 よって、

 ――愚か

 か、

 ――賢い

 かということは――

 突き詰めて考えていけば――

 何者かの主観を抜きにしては扱えない性質なのです。

 

 第一には、

 ――誰にとっての利益ないし損害なのか。

 が決定的に主観的ですし――

 第二には、

 ――その“利益”や“損害”が、その誰かにとって本当に利益ないし損害なのか。

 も、それに負けず劣らず、主観的です。

 

 さらにいえば――

 現在を起点として、未来のどの時点での利益や損害を念頭に置くかも――

 それを念頭に置く者の主観に依ります。

 

 このように、

 ――愚か

 とか、

 ――賢い

 とかいった性質は、徹頭徹尾、主観的なのです。

 

 以上を踏まえた上で、

 ――愚かでも賢くもない。

 とは、どういうことかを考えると――

 それは、

 ――いかなる主観にとっても、愚かではなく、また賢くもない。

 ということです。

 

 やや詳しく述べるならば――

 いかなる主観にとっても、未来における任意の時点において、利益もなく、損害もない――

 より厳密には、利益と損害とが相殺をし、

 ――プラスマイナス・ゼロ

 になっている――

 

 それが、

 ――愚かでも賢くもない。

 ということです。