一昨日は高野山の所縁坊である正智院の先代住職の一周忌にお参りしました。
所縁坊(しょえんぼう)というのは、河内はこのお寺、越後はこのお寺、備前はこのお寺というように国ごとに所縁(ゆかり)のあるお寺が決まっていることです。
「檀家」というお寺と家庭とで結ぶ契りと同じように、「檀国」とも言い換えられるような、お寺と諸国大名とで結ばれる契りがあったのが始まりのようです。
というわけで、但馬(特に北部寺院)は正智院が所縁坊となり、高野山との繋がりを深く保っています。
【ぐるりん関西より引用】
正智院は、和歌山県高野町にある高野山真言宗の別格本山である。
本尊は、阿弥陀如来坐像である。
正智院は、天永年間(1110〜1113)、正智房教覚によって開かれた。
鎌倉時代には「高野八傑」の一人とされる学僧・道範によって再興された。
建長元年(1249年)6月に、道範が讃岐配流を許されて高野山に戻ったことを喜び、高野明神がたびたび境内に姿を現したという伝説も残されている。
中古から宝性院門中の常法相談所となるなど、高野山でも屈指の学問寺院としてその法灯を守り続けている。
国宝の文館詞林(中国の唐で編纂された詩文集)をはじめ、重要文化財の不動明王坐像など多くの文化財を有している。
庭園は、昭和27年(1952年)に重森三玲によって作られた枯山水庭園で、
州浜模様の苔と大小60余りの石組が配され、正面の大きな岩は明神岩(別名影向岩)といい、道範が高野明神と問答したという伝説から名付けられた。
平成29年7月から10月まで、高野山霊宝館で夏期企画展「正智院の名宝」が開かれている。
南海高野線高野山駅からバスで愛宕前下車徒歩5分。
先代住職様には大変お世話になりましたが、お葬式にも伺うことができずにいましたが、ようやく手を合わせることができ、自らの心の整理ができたような気がします。
雪が舞い足元が凍りつく厳しい寒さの中に訪れましたが、帰る時には太陽が輝いていました。
大門をくぐって、下界へ帰ります。