(2) オキナワへの旅 13. 近衛上奏時の「聖断」の可能性 | 地球一人旅

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  13. 近衛上奏時の「聖断」の可能性

   ① あの時、降伏していれば


   「 近衛上奏は、1945年2月14日の出来事。
   東京大空襲、沖縄戦、広島・長崎の原爆等は、全部、その後の出来事。
   あの時、天皇が降伏の『聖断』をしてれば80万人は死なずにすんだ。」

 

 

東京大空襲

 

 

ヒロシマ (参照 → Abema )

 

 

ナガサキ

 

 

  近衛上奏文の存在が世に知られて以来、そうした意見がたくさんある。

 特に、上奏後に愛する人を失った方たちは、そんな気持ちが強かろう。

 

 

  が、これに対しては、疑問・反対意見を述べている人たちも多いのだ。

  ま、ほとんどが「天皇に戦争責任はない」とか言ってる人たちなのだが。

 天皇には戦争を止めるための「権限・方法・情報」等がなかったとの事。

 なので、天皇には、「開戦」と同様「戦争継続」の責任もないのだそうだ。



 ところが、「権限・方法・情報」がなかったはずの天皇が終戦で大活躍。
 「天皇陛下の『御聖断』によって終戦、多くの国民の命が救われた」

 

 なんという美談、絵に描き額縁に入れたような「昭和天皇物語」!?

 

 

 ② 「聖断」の可能性

 

 その欺瞞性はともかく、近衛上奏時、「聖断」の可能性はあったのか?

 

 残念ながら、「なかった」と、ぼくは考えている。

 できた・できない以前の問題、天皇にはやる気が全くなかったようだ。

 この時期の「聖断」期待は、申し訳ないが、「ないものねだり」なのだ。

 

 ( 「終戦の聖断」の「美談」の背後に、「天皇側近」達が早くから描いていたシナリオの存在が。
 この「天皇側近派」には、内大臣木戸幸一だけでなく、近衛文麿公爵や吉田茂等も加担した。

 「天皇が軍・政府の反対を押し切って、『英断』『聖断』を下したからこそ、終戦が可能になった」
 このシナリオにしてしまえば、アメリカといえども、天皇を処刑・退位をやりずらいわけである。
 念願の「国体護持」ができて、自分達も生き残れ、戦後の権力維持・権力回復も可能になる。

 もちろん、マッカーサーの「殺さず利用して日本単独支配」作戦との利害一致があったからだが。

 「原爆投下・天皇利用」は、アメリカの戦後世界支配戦略にとって、必要な布石でもあったのだ。
 ソ連と分割でなく日本単独支配、日本列島を「共産主義への防波堤・沈まない空母」にするため。

 そのために、特に沖縄は「要石」として27年間、アメリカに「占領統治」・直接支配される事に。)

 

 ( 「昭和天皇実録」をめぐる、昭和天皇の「沖縄3度切り捨て」に関しては ここ クリック )

 

 

(マッカーサーの軍に守られて巡幸する占領下の昭和天皇)

 

 

 聖断期待派の人は(「天皇信者」もだが)、天皇を過大評価し過ぎだと思う。

 仮に昭和天皇が「素晴らしい天皇」だったとしても、しょせん天皇なのだ。

 

 たぶん、何が言いたいか見えない読者が多いと思うので、説明しよう。

 

 昭和天皇が天皇になったのは、大正天皇の一男だったからにすぎない。

 

 生まれ育ちは良くなかったが、血の滲むような努力により頭角を現した。

 同じ志を持つ仲間と夜中まで議論等、切磋琢磨しながら成長を遂げた。

 出る杭を打つ人々や、彼を圧殺せんとする権力と、粘り強く闘い続けた。

 結果、彼を知る多くの国民の圧倒的な支持を勝ち取り、天皇となった。

 

 …… などという事は、「天皇(世襲制)」の本質からして、絶対にないのだ。

 

 天皇なるがゆえ、一般人から切り離され、「異世界人」になるのは必然。

 一般庶民の苦労・気持ちをわかる天皇であってほしいは無い物ねだり。

 

 

 でも、天皇は、祖先の「神の遺伝子(?!)」を引き継ぐ特別な存在では?

 

 だが、昭和天皇の父親の大正天皇は、「生誕時より病弱」だったとの事。

 天皇にはなったが「公務どころか日常生活にも支障」の有様だったよう。

 しかも、大正天皇は明治天皇の三男、一男・二男は天皇にすらなれず。

 

  ( ここでは、大正天皇の「知的障害」「重い脳病」説にまで触れる必要はないので省略する。

  さらに、「南北朝正閏論」 や「明治天皇と大室寅之祐すり替え説」も遺伝に関係するが省略。)

  

( 大正天皇 )

 

 

 昭和天皇が健康で長生きだったのは「母系・女系遺伝子」が強かった? 

 いずれにせよ、「神の遺伝子を引き継いだ」といっても、実態は????

 

 

 でも、幼い頃から「帝王学」を学び、一般人と異次元の知識・認識所持? 

 だが、それはまた、幼い頃から「洗脳」され続けたという事でもあるのだ。

 

 天皇は「終戦の詔勅」でも、まだ、「皇祖皇宗の神霊」などと書いている。

 (  もちろん、文案は天皇が書いたわけではないようだが、天皇も同じ意識と思われるので )

 

 

( 終戦の詔書  全文・現代語訳 ココ クリック )

 

 

 特殊環境の下、自分自身を神の子孫と信じて育ち、形成された人格。

 ぼくなどの想像を絶する・想像するのが怖い世界としか言いようがない。

 

 「陛下のため」戦争に行き「天皇陛下万歳」と叫び死んでいった兵士達。

 平然と「天皇」であり続ける事は天皇として洗脳されなければ絶対無理。

  ( たとえ、それが兵士たちにとって建前に過ぎず、本音は別のところにあったとしてもである )

 

  (さらに、昭和天皇は軍事・政治等にとても詳しい、などと言う人がいる。

  確かに、天皇は、11歳で陸海軍少尉に任官、以後、昇進を続け、最後は当然「大元帥」に。

  が、二等兵からの殴られ鍛えられた経験だとか、実戦経験等は当然ながら全くない。

 18歳で「貴族院議員」になったが、これまた、当然、ながら、選挙で選ばれたわけではない。 

 議員としての実務だの、党派間の駆け引き・騙しあい・足の引っ張り合い等の政治経験も皆無。)

 

 

 

  ③ 昭和天皇はどんな人物だったのか

 

 昭和天皇の「お人柄」に関して、多くの人達が、掃いて捨てるほど証言。

 だが、特定の人との会話、本当に言ったか疑わしい「御発言」も多数。

 

 昭和天皇がどんな人物か知るには、以下の「公式会見」で、十分では?

 

 

 1.  「戦争責任」 をめぐって

 

記者

 「…… 陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておりますかおうかがいいたします。」

 

天皇

 「 そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えができかねます。」

 

 

 2. 「広島の原爆投下」 をめぐり

 

記者

 「…… 原子爆弾投下の事実を陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか。おうかがいしたいと思います。」

 

天皇

 「 この原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思っています。」

 

 

 3. 「沖縄」 をめぐり

 

記者

 「…… 戦後、日本に復帰してきた沖縄をご訪問になるご希望がございますでしょうか。」

 

天皇

 「 機会があるならば・・・・・・行きたいと私は希望しております。沖縄県は過去においていろいろ問題があったとは思いますが、今後りっぱに沖縄県が発展することを、私は祈っております。」

 

 

              ( 1975年10月31日 日本記者クラブ 記者会見より )

 

 ( 会見の全文は ココ クリック。 映像は ココ クリック …… 映像が大幅カットになっている )

 

  ( 「昭和天皇実録」における、昭和天皇の「沖縄3度切り捨て」に関しては ここ クリック)

 


 もはや、それぞれの発言の解説・批判など、必要あるまい。

 

 「公式会見」なのだから、事前に、質問内容が、すべて提示されたはず。

 内容も酷いが、「答え方」だけでも、もう少し配慮ができたと思うのだが。

 昭和天皇には国民・関係者に配慮する、そんな気持ちすらないのか?!

 

 近衛上奏時の「聖断」の可能性など、この天皇に、あったはずがない。

 戦後30年経った時点ですら、昭和天皇の認識・意識はこの実態なのだ。

 

 

 ④ 戦争責任は?

 

 もちろん、だからといって、「全部、昭和天皇の責任だ!」は、別の罠に。

 

 戦争責任は昭和天皇も含めた「天皇制国家権力」全体にあるのだから。

 もちろん、沖縄戦も「天皇制国家権力」による「権力犯罪」「戦争犯罪」だ。

 

 

 「天皇制」は「戦争責任逃れ」も「聖断美談」も可能にする巧妙な仕組み。

 その内実を知り、制度はもちろん、「内なる天皇制」とも闘う必要がある。

 

 なぜなら、それは過ぎ去った事、「75年以上前の昔話」ではないからだ。

 

 現日本政府が昭和天皇・旧日本軍・政府をかばう行動・発言等をしてる。

 当然、「旧天皇制国家権力」と連続性・親近性・共通利害があるからだ。

 

 

 「今は『象徴』で、政治的権限はないんだから、もういいんじゃないの?」

 

 確かに、「普通の日本人」が、そう思うのは全く自然、無理のない事だ。

 戦後75年、「象徴天皇制は完全に国民の間に定着した」とも言われる。

 

 

 次ページでは、この「象徴天皇制の定着」の問題に関して考えてみたい。 

 

 

 ( 続き 「 14. 「象徴天皇制」は定着?」 ココ クリック )