九十九里鉄道廃線跡探訪① | つれづれなる日々

つれづれなる日々

半分は学校の先生、半分はショウリンジャー
ときどきふらふら風まかせ。

ほとんど四面楚歌で徒手空拳、いつでもどこでもひとりきり。

自分の地元には、70年ほど前に廃線になった「九十九里鉄道」という路線があります。
(会社自体は、バス会社で現存しています)
先日、その廃線跡を自転車を使って巡ってみました。

国鉄との接続駅であった、現在のJR東金駅。
現在の東口広場に、九十九里鉄道の駅舎、構内施設がありました。
(自転車置場が駅というサイトや文献もありますが、
 そちらは東金駅の旧3番線跡で、歩道、タクシー乗り場の置屋が
 九十九里鉄道の駅舎跡になります。

 

 

ちなみに廃線後、京成電鉄が車両を買い取って、当時経営していた

谷津遊園の遊覧鉄道に転用…と言う話がありましたが、立ち消えになり、
10年以上放置状態の上で解体、地中に埋められています。
じつは自分の通学していた小学校、東口の向かいにあるイオン、公園の敷地にありました。
自分が小学校に入学する頃には、駅舎もなく草原(一説には沼地)になっていました。

市街地は、高度経済成長の末期に大規模な区画整理事業があって、
路線跡が市道に転用された形跡はありますが、確証がありません。

国道(廃線後に市街地を迂回する形に変わってます)を越えると、
路線跡を利用して、下水道と雨水の放水路に代わっています。
約4kmほどの直線の放水路を行くと、真亀川に突き当たります。
河川改修もあり、川を渡った橋の跡は残されていません。
 

 

迂回して川を越えると、廃線跡探訪には必ず取り上げられる

コンクリート製の橋台の遺構に行きます。
当時の写真だと、真亀川の支流か用水路があったようですが、
農地整備の関係で小川がなくなり、水田の真ん中に
1mほど盛り上がった路線跡と一緒にあります。

 

 

 

橋台あとから500mほど進むと、路線跡は市道に転用されています。
若干は広がっているとは思いますが、この道を
マイクロバス程度の大きさのディーゼルカーが、最大3両連なって、
10kmほどの路線を行き来していました。

 

 

東金駅から2駅目の家徳(かとく)駅跡。
(1駅目の堀上(ほりあげ)は、雨水の排水路の整備の関係で、
 全て取り壊され、遺構もありません)

ここだけ、交換設備があった(ただし、戦後は全線が1区間になり使用されていない)名残で、
市道の両脇が広くなっています。
南北に横切る市道がありますが、列車の長さを考えると、
南北の市道は、路線廃止後に整備したのかもしれません。

 

 

しばらく行くと、住宅地や水田の中に路線跡が市道や畔道で続いています。
ほぼ直線で、大正末期の路線建設時は、水田をずっと真っ直ぐひたすらに作ったんだと考えられます。

 

 

 

~続く~