旧東海道神奈川宿ウォーク_その1。(笠䅣稲荷神社、良泉寺、能満寺、新明宮など) | かながわ検定横浜ライセンス1級に合格したのでブログ続けてみました。

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 横浜のご当地検定である「かながわ検定横浜ライセンス」は2017年3月の試験を最後に終了してしまいましたが、その名前を忘れない様にブログのタイトルに付けました。
    そして、いつの日か「かながわ検定横浜ライセンス」が復活してくれたらと思います。

 

この日は、京浜急行神奈川新町駅の近くにある、神奈川通東公園にやって来ました。

神奈川区では2021年4月26日から7月26日までの期間、旧東海道神奈川宿ウォークを開催しています。

旧東海道神奈川宿の史跡を巡りながら、12のスポットにあるキーワードを集めるウォークラリーです。

 

参加方法は簡単で、コースマップを入手して(区役所などで配布、ホームページからダウンロード)、

あとは各自でコースを自由に歩き、12のキーワードを集めていくだけと、特に密になる事もなく行えます。

集めたキーワードは区役所にもっていくと、神奈川宿デザインのピンバッチか海苔がもらえます。

 

 神奈川通東公園には、神奈川宿歴史の道のガイドパネルが設置されています・・・ ↑

 こちらにあったのは、土居(桝形)と長延寺跡(オランダ領事館跡)です。

 

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◎土居(桝形)

 江戸時代の宿場町の入口には、しばしば桝形がつくられた。本来、桝形は城郭の一の門と二の門の間の方形の地であるが、宿場町では街道の両側から土居を互い違いに突き出すだけの場合もある。神奈川宿の江戸方の入口に当たる長延寺前にも土居を互い違いに突き出した桝形があった。旧本陣の石井家に伝わる『神奈川宿入口土居絵図』には、街道両側に高さ二・五メートルほどの土居が築かれ、その上には七五センチメートルほどの竹矢来を設けている。

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 また、神奈川通東公園には「史跡 オランダ領事館跡」の石碑があります・・・ ↓

 

 

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◎長延寺跡(オランダ領事館跡)

 「神奈川宿歴史の道」の終点である神奈川通東公園は、寛永八年(1631)から昭和四十年までの三三〇年余の間、浄土真宗長延寺が所在した場所である。長延寺は、開港当時、オランダ領事館に充てられた。当時を偲ぶ狂歌の一節に「沖の黒船歴史を変えて、オランダ領事は長延寺」とある。昭和四十年の国道拡幅に伴う区画整理によって、長延寺は緑区に移転し、跡地は公園となった。今は、わずかに旧オランダ領事館跡を示す石碑を残すのみである。

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    上の写真の右端に石が見切れていますが・・・ ↓ その石の表側がこちらです。

    最初に安政二年?途中に領事館とか書いてあるように見えますが、達筆すぎて分かりません。

    

       京急の線路に沿って西へ移動、ガード下を潜ると笠䅣稲荷神社があります・・・ ↓

       

 

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◎笠䅣稲荷神社

 笠䅣稲荷神社は、社伝によると天慶年間(938~947)に稲荷山の中腹に創祀され、元寇に当たっては北條時宗より神宝を奉納されている。元禄二年(1689)に山麓に移られて、霊験ますますあらたかとなり、社前を通行する者の笠が自然に脱げ落ちるということから笠脱稲荷大明神と称された。後に笠䅣稲荷神社と改称され、明治二年に現在地に遷座された。また、この神社に土団子を供えれば病が治るとの特殊信仰もある。お礼に粢団子を供えるという。

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          そしてここが、旧東海道神奈川宿ウォークの最初のキーワードポイントです・・・ ↓

          

旧東海道の通り沿いに出てくると、良泉寺があります・・・ ↓

 

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◎良泉寺

 良泉寺は海岸山と号し、浄土真宗大谷派に属す。本願寺第八世蓮如上人に帰依した蓮誉が、小机付近の旧街道沿いに草創、慶安元年(1648)入寂したこの寺の第四世良念の代に、徳川幕府より境内地の施入を受け、現在地に移転したと伝えられる。開港当時、諸外国の領事館に充てられることを快よしとしないこの寺の住職は、本堂の屋根をはがし、修理中であるとの理由を口実にして、幕府の命令を断ったといわれる。

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 立派な門を見て満足って感じですが、中もチラッと見ておきましょう・・・ ↓

 

    旧東海道から一本裏の道に戻って西へ移動、能満寺です・・・ ↓

    

 

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◎能満寺

 能満寺は、海運山と号し、古義真言宗に属す。正安元年(1299)内海新四郎光善というこの地の漁師が、海中より霊像を拾い上げ、光善の娘に託していう霊像のことばにしたがって建てたものがこの寺であるとの伝承がある。本尊は高さ五寸(十五センチ)木造坐像の虚空蔵菩薩で、海中より出現したと伝えられる。かつては、神明宮の別当寺で同一境内地に同社もあったが、神仏分離令で分かれ今日に至っている。

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       門には阿形像と吽形像が、2つ目のキーワードを叫んでいる??? ↓

       

          能満寺のすぐお隣には、神明宮があります・・・ ↓

          

 

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◎神明宮

 神明宮の草創についてはいくつかの伝説があるが定かではない。『新編武蔵風土記稿』は別当能満寺の草創と同じ正安元年(1299)の勧請としており、この神社と能満寺が草創当初より極めて密接な関係にあったことを伺わせる。かつて境内を流れていた上無川に牛頭天王の御神体が現われ、洲崎神社およびこの神社に牛頭天王を祠ったとの伝承もある。また、境内にある梅の森稲荷には、若い女旅人にまつわる哀れな話も伝わる。

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京急の線路沿いの道に移動すると、能満寺の敷地内には巨大な菩薩像が・・・ ↓ という訳で、つづく。

 

旧東海道神奈川宿ウォーク〓fab44〓その1

 

 

なお、今回歩いたのはコースマップの右側、オレンジ色の線の部分です・・・ ↓