水道と鉄道の歴史を巡るウォークラリー「横濱モダンヒストリー」 | かながわ検定横浜ライセンス1級に合格したのでブログ続けてみました。

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 横浜のご当地検定である「かながわ検定横浜ライセンス」は2017年3月の試験を最後に終了してしまいましたが、その名前を忘れない様にブログのタイトルに付けました。
    そして、いつの日か「かながわ検定横浜ライセンス」が復活してくれたらと思います。

 

横浜市水道局とCIAL桜木町とのコラボ企画、ウォークラリー「横濱モダンヒストリー」が開催されました。

このウォークラリーは、10月17日の「近代水道創設記念日」と10月14日の「鉄道の日」を記念して、

鉄道や水道にゆかりのある、旧横ギャラリーや野毛山公園を巡るウォークラリーとなっています。

 

日本の近代水道は明治20年(1887年)10月17日にイギリス人技師ヘンリー・スペンサー・パーマー氏の

指導のもと、横浜に初めて創設されました。水道の発展は都市の発展に大きく貢献してきました。

なお、近代水道とは川などから取り入れた水をろ過して、鉄管などを用いて有圧で給水する水道のこと。

 

また、明治5年(1872年)10月14日に新橋~横浜間に日本で最初の鉄道が開通した事を受けて、

それから122年後の平成6年、その誕生と発展を記念し、毎年10月14日を「鉄道の日」と定めました。

この日は雨が降って寒かったのですが、イベントが当日までだったので強硬参戦となりました。

 

 まずは最初のチェックポイントとして、横浜市庁舎からスタートします・・・ ↑ 参加賞のお水ゲット!

 さくらみらい橋を渡って桜木町駅新南口にやって来ると・・・ ↓ 鉄道創業の地 記念碑があります。

 

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鉄道創業の地 記念碑・・・

日本で初の鉄道を作るために、明治3年(1870年)に鉄道資材を英国から購入し、横浜港で陸揚げされ建設が始まった。その2年後の明治5年(1872年)5月7日、この地に初代横浜駅が建設され、横浜、品川間に最初の鉄道が開業した。この鉄道創業の地を象徴して昭和42年(1976年)10月13日に記念碑が竣功した。その後、昭和63年(1988年)12月に現在の位置に移設され、当初記念碑のあった位置に原標を置いた。                  平成26年7月 公益財団法人 横浜観光コンベンション・ビューロー

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    さらに、地下へ下りる階段の壁には・・・ ↓ 開業当時の横浜駅長室跡の碑もあります。

    

       次のチェックポイント、CIAL桜木町ANNEXに到着・・・ ↓ 旧横濱鉄道歴史展示です。

       

          鉄道の歴史を伝える資料のほか・・・ ↓ 開業当時の横浜駅のジオラマも展示。

          

そして目玉となるのが、開業当時に実際に走っていた・・・ ↓ 110形蒸気機関車が展示されています。

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110形蒸気機関車(110号)・・・

1871(明治4)年、英国のヨークシャー・エンジン社の製造で、1872(明治5)年の鉄道創業時に「10号機関車」として新橋~横浜間で使用され、後に「3号機関車」と呼ばれた日本で最も古い機関車の一つです。1909(明治42)年、「110号」に名を改められ、1918(大正7)年まで各所で活躍し、廃車後は車体の一部を切開ののち、大宮工場内にあった「鉄道参考品陳列所」で技術者育成の教材として展示されました。1961(昭和36)年には「鉄道記念物」に指定され、翌年から2019(令和元)年まで青梅鉄道公園で保存展示されました。その後、大宮工場にて溶接を使用しない工法で切開箇所を閉腹し、錆の除去や破損箇所の修復を行い、本機の晩年頃の姿を再現しました。(形状が不明な箇所は資料が残る明治初期の形状を参考にしました。) そして、2020(令和2)年、旧横浜停車場であるこの地へ戻りました。

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 外に出てくると、窓越しに見えるのは・・・ ↓ 初代鉄道建築師長エドモンド・モレルのレリーフです。

 

    続いて、野毛山公園にやって来ました。・・・ ↓ 野毛山公園には旧野毛山配水池があります。

    

       さらに、水道みち「トロッコ」の歴史・・・ ↓ 取水地から野毛山配水池までの地図です。

       

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水道みち「トロッコ」の歴史・・・

この水道みちは、津久井郡三井村(現、相模原市津久井町)から横浜村の野毛山浄水場まで、約44kmを1887年(明治20年)わが国最初の近代水道として創設されました。運搬手段のなかった当時、鉄管や資機材の運搬用としてレールを敷きトロッコを使用し、水道管を敷設しました。横浜市民への給水の一歩と近代消防の一歩を共に歩んだ道です。

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          そして、ヘンリー・スペンサー・パーマーの胸像です・・・ ↓ なお、参加者はこちら →

          

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近代水道発祥の地(野毛山貯水場跡)・・・

明治20年(1887年)10月、日本最初の近代水道は横浜に誕生した。当時の横浜は、埋立地が多く良い水が得られないため、長い間飲み水や伝染病に苦しみ、また大火事にも悩まされていた。いつでもどこでも安全で良い水が欲しいという人々の夢は、この近代水道の完成によって実現された。横浜の水道は、英国人H・S・パーマーの設計・監督によるものであるが、沖守固県知事をはじめ三橋信方(後に市長となる)、三田善太郎など多くの日本人の努力も忘れることはできない。パーマーは、横浜のほかにも大阪・神戸・函館・東京などの水道計画に貢献した。さらに、横浜築港工事や横浜ドックの設計など港湾整備の面でも業績を残したほか、天文台の建言やロンドンタイムズへの寄稿など広い分野で活躍し、明治26年(1883年)54才で没し東京青山墓地に眠る。横浜水道創設100周年を迎えるにあたり、パーマー像をこの地に建て、先人の業績を讃え、明日への発展を願いたいと思う。  昭和62年4月 横浜市長 細郷道一

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最後のチェックポイント、野毛山公園の展望台でゴール・・・ ↓ 展望台から野毛山配水池を眺め終了。

 

ウォークラリー〓fab44〓横濱モダンヒストリー

 

 

追伸:ウォークラリーコンプリートで横浜市水道局オリジナルエコバックをゲットしました!