前回は三溪園の南門を出て本牧市民公園を散策、陶芸センターや上海横浜友好園などを回りました。
今回はまず本牧市民公園で蒸気機関車を見たあと、少し高台にある本牧臨海公園へと向かいます。
まずは本牧市民公園で3番目に目立つもの、公園内に展示されている蒸気機関車D51を見学します。
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蒸気機関車D51(516号)とは・・・
D51は国鉄の代表的な蒸気機関車で、かつて日本全国の路線で活躍し「デゴイチ」の愛称で親しまれていました。ここに展示している516号車は、昭和16(1941)年、当時の鉄道省大宮工場で製造され大宮機関区に配置されました。東北本線などで活躍し、その後昭和44(1969)年、新鶴見機関区に配置され、昭和45(1970)年11月28日に廃車となりました。同年12月15日に当時の国鉄から横浜市が借り受け静態保存し展示しています。
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D51の516号は大宮工場にて、昭和16年に製造されています・・・ ↓
そんなデゴイチの後方には、線路が続いていて・・・ ↓
その線路の先には、転車台も保存展示されています・・・ ↓
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転車台(ターンテーブル)・・・
蒸気機関車の向きを変えるための施設です。蒸気機関車がなくなるのに伴い使用されなくなりました。
旧国鉄横浜機関区高島車庫で使用されていましたが、同区廃止に伴い、本牧市民公園内に移設し
保存するものです。
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このあとは歩道橋を通って、本牧臨海公園へ向かいます・・・ ↓
その前に、本牧市民公園にあった何かの「記念碑」・・・ ↓ これの説明が本牧臨海公園にありました。
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埋立記念碑(うめたてきねんひ)・・・
江戸時代から漁業が盛んだった本牧の海は、横浜沿岸部の埋め立てにより、その姿を大きく変えました。昭和34年(1959年)、代々漁師たちが受け継ぎ守ってきた海でしたが、戦後の日本経済の復興と発展のため、子孫の繁栄のためにと、埋め立てに同意しました。この碑は、本牧の漁師たちの苦渋の決断と、未来の子孫が幸せに暮らせるようにとの祈りが込められた大切な碑です。
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さらに本牧臨海公園では、明治4年(1871年)頃の本牧の海岸の写真を展示・・・ ↓
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明治4年(1871年)頃の本牧の海岸・・・
かつての本牧の海には良質な漁場が広がっていた。明治末頃からは海苔の養殖が盛んになった。
また、景色も良く海も美しいことから海水浴場としても使われていくようになる。
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また、小野光影別邸跡の碑が建ち、小野光影に関する展示が並んでいます・・・ ↓
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小野光影(おのみつかげ)氏の功績・・・
1845年に長野県上伊那郡辰野町小野に生まれ、1859年の開港直後、横浜に移住した。父光賢(みつかた)氏の職を引き継ぎ町政業務に携わるとともに、横浜商法会議所(現横浜商工会議所)や横浜正金銀行(現三菱東京UFJ銀行)及び横浜商法学校(現横浜商業高等学校)、新港埠頭、横浜鉄道(現JR横浜線)等を設立・建設した。また、生糸貿易商としても活躍し、明治期の横浜の発展に大いに貢献した人物である。
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本牧臨海公園と小野光影(みつかげ)氏・・・
ここ本牧臨海公園一帯は明治時代に生糸貿易商として活躍した小野光影(みつかげ)氏の約2万6千坪(約8.6ha)に及ぶ別荘地であった。海が見渡せる丘に洋館を始めとする幾つかの建物が点在していた。当時、別荘地の一部分は市民に広く公開され、「小野公園」と呼ばれていた。
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さらに本牧臨海公園を進んで行くと、ふぐの碑がありました・・・ ↓ フグの供養碑の様です。
最後にやって来たのは、横浜市八聖殿郷土資料館です・・・ ↓
こちらの資料館では、漁村であった横浜の歴史を伝える、農具・漁具などの民具を展示しています。
さらに2階には、館名の由来となる八聖人像も展示されています・・・ ↓
左から、キリスト、ソクラテス、孔子、釈迦、聖徳太子、弘法大師、親鸞、日蓮です。
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八聖殿と八聖人像について・・・
八聖殿は、法隆寺の夢殿を模して造られたとされる正八角形の建物で、昭和8年(1933年)に大正から
昭和初期に逓信大臣や内務大臣など歴任した熊本出身の政治家・安達謙蔵の別荘として建てられました。
八聖人像は、この建物の完成・公開にあわせ、制作・安置された作品です。さまざまな人から意見を聞き、数多く挙げられた候補の中から、最終的に自身で外国人から4人、日本人から4人ずつ選んだとしています。
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お散歩写真2021〓fab44〓本牧市民公園から本牧臨海公園へ。