この日は掃部山公園にやって来ました。今年は初詣には行かず、その代わりに初お散歩に行くことにしました。
ここ掃部山公園を皮切りに、横浜の港の歴史を見守って来たものたちを巡ってお散歩していきます。今年で
開港164周年を迎える横浜港、コロナで停滞している感がありますが、歴史を背負って発展し続けています。
という訳で、今回のお散歩コースはこちら・・・
掃部山公園~日本丸メモリアルパーク~汽車道~~ハンマーヘッドパーク~
赤レンガパーク~象の鼻パーク~山下公園~マリンタワー~横浜開港資料館。
掃部山公園には、日米修好通商条約を締結し横浜開港にゴーサインを出した井伊直弼の銅像があります。
こちらの銅像は横浜開港50周年となる1909年に建立、第二次世界大戦中の金属回収令で撤去されるも
1954年に、開国100周年を記念して横浜市が再建しています・・・ ↓
日本丸メモリアルパークにやって来ました・・・ ↓ 帆船日本丸は1930年に進水、1984年に引退。
1985年から横浜市の所有となり、日本丸メモリアルパーク内の展示ドックで展示・公開されています。
展示ドックとなっている横浜船渠一号ドックは1898年竣工、艦船の修理・整備や建造を担いました。
汽車道にやって来ました・・・ ↓ 1911年に開通した初代横浜駅と新港ふ頭を結ぶ臨港線
の一部で、戦後は米軍に接収されるも1952年に返還。その後、貨物支線としては1986年に
廃止となり、1997年に鉄道廃線跡を利用した遊歩道、汽車道として整備されました。
ハンマーヘッドパークにやって来ました・・・ ↓ 新港ふ頭は明治後期から大正初期にかけて造成されました。
こちらにあるハンマーヘッドクレーンは1914年に建造された、イギリス製の50tジャイアント・カンチレバークレーン
で、戦後は米軍に接収されるも、返還後、1960年代まで活躍。1970年代以降は徐々に使用されなくなり、
2001年に廃止となる。2020年にハンマーヘッドパークが整備されると、今もそのシンボルとして君臨しています。
赤レンガパークにやって来ました・・・ ↓ こちらには旧横浜港駅プラットホームがあります。
横浜港駅は1911年、横浜税関構内の荷役所としてつくられ、1920年に横浜港駅となりました。
横浜港駅は1982年に廃止。1996年に旧旅客ホームが復元され、休憩所として一般公開されています。
赤レンガ倉庫にやって来ました・・・ ↓ 赤レンガ倉庫は横浜税関新港埠頭(保税)倉庫として建設
され、2号館は1911年、1号館は1913年に竣工。保税倉庫としての役割は1989年迄に終えました。
その後はしばらく放置されていましたが、2002年に文化・商業施設などとして生まれ変わっています。
象の鼻パークにやって来ました・・・ ↓ こちらは開港150周年を記念して2009年にオープン。
1859年に横浜港が開港し、幕府により2本の突堤が造られた場所が今のここに当たります。
象の鼻防波堤にやって来ました・・・ ↓ 開港当時は東波止場と西波止場の2本の突堤があるだけでしたが、
沖合に停泊した船と行き来して貨物を運ぶはしけも、風が強いと荷役が出来ないこともありました。1867年に
東波止場を弓なりに湾曲した形に延長し防波堤を築造、その形状から「象の鼻」と呼ばれるようになりました。
大さん橋にやって来ました・・・ ↓ 開港当時は直接岸壁に接岸し荷役を行える施設がなかったため、
1889年横浜築港第一期工事を開始、1894年現在の大さん橋の前身となる鉄桟橋が完成しました。
2002年に全面的な施設の改修を行う再整備工事を行いリニューアル、現在の大さん橋になっています。
山下公園にやって来ました・・・ ↓ 山下公園に係留されている氷川丸は、横浜船渠で建造され
1930年に竣工。シアトル航路で運航され、第二次世界大戦中は病院船としても運用されました。
戦後もシアトル航路で運航を続け1960年に引退。1961年より山下公園に係留保存されています。
マリンタワーにやって来ました・・・ ↓ 横浜開港100周年記念事業の一環で1961年完成。
当初は灯台としての機能も有し、世界一高い灯台としてギネスブックにも記載されていました。
2008年に灯台の機能は廃止。2度の長期休館を経て、2022年9月にリニューアルオープン。
最後に横浜開港資料館にやって来ました・・・ ↓ 中庭にある玉楠の木は横浜開港以前よりこの地に立ち、
ペリー提督の横浜上陸にも立ち会っています。その後、大火や震災、移植にも耐え今も港を見守っています。
お散歩写真2023〓fab44〓横浜の港を見守るものたち