リアルミユキ

ブログを引っ越しました。

家を引っ越すのと同時にいろいろ整理します。

あれこれやってみてたくさんの体験をさせていただいてとっても楽しかったです。

メッセージをくださった方読者になってくださった方ありがとうございました。

ブログはミユキアート

に今も書いていますよかったら遊びにきてくださいね。

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アートにおけるエロティシズム

アートというと必ずismがついた言葉がでてくる。

エロティシズムもそう。

ブログの世界にもエロという言葉を使ってある種のSEXに関する画像なり文章なりが記事として時空を飛び交う。

でもそれはアートとはまったく関係がなくて肉体の快楽を追求したもの。

別なものです。

アートが高尚なものであるというような使い古された過去の概念とは違うけれどアレはアレ。

とってもじゃないけどいらない。






こころが満たされることによる高揚感はアレがアレしてえられるものではないざんしょ。



心の中の悲しみや喜びや哀れみが湧き出るほどの快感は肉体だけでは得られない。



フツーに生活している中にもいつも感じているものだ。









物語の中に潜む細部に潜むもの。

いろんな規制のこと

法律ってのは全部暗記なんてぜったい無理なくらいいっぱいあって、これをして誰かに告訴っていうの?訴えられたりした時はじめてそんな法律あったの?なんてのはいくらでもありそうですね。

最近ではBLとか少女まんがとかがいきすぎているということから規制しようという動きがでてきてるんですが。


おもうんだけど、昔からそういうのって(法律で禁止されること)破ってなおかつ大多数の人を納得させてしまうほどの説得力とパワーがあるものが芸術にまで昇華するんじゃないかな。

だから乱暴なようだけど法律作りたいなら作ればいいんじゃないかとこのごろ思うようになってきた。


基本自分自身が法律作る人だったらぜったい作らないけどさ。


自分でモゥこれ以上萌え萌えなものはないだろうと思うような絵とか描いて見る者すべてが欲情しちゃうようならちょっとかっこいいんじゃない?な~~んてね。


この間あるマンガ家さんの家に遊びに行ったときいろいろ内輪話とかうかがったんだけど、基本自主規制だよね~ってハナシになった。

だけど奥様は「規制は必要だわ」なんておっしゃっていてその場は割れたんだけどね。


絵を描いたり文章を作ったり創作することを生業にしている人はこういう規制はありがたくないのは当たり前で、せっかくの自由を失う危険があると直感的に判断できちゃいますが、小さいお子さんを持つお母さんや教育機関の方がたからすれば子供を守りたい気持ちが優先的になります。

だけどね、よーく考えるとですね、守りをかためるより攻めたほうが若い芽は伸びるものだっていうこともあるんじゃなかろうか。



”ユリモノ” ってのがあるんだってね。

わたしだったら、”ランモノ”っつーのを描いてみるかな、なんて。ほら植物の蘭ってこゥよーくみるとけっこうワイセツな形してるんですよ。アメリカの画家でジョージア・オキーフっていう人がいるんだけど、この人が描く花の絵なんてかなりシュールでセクシーですよ。

性についてはあまり詳しくないのでもすこし貪欲にいこうかと(いえ、あくまでバーチャルなところでですが)そんなふうに考えていますの。





隼田大輔さん個展

隼田大輔展 「うばたま」


2010年6月7日(月)ー12日(土)
12:00ー19:00 (最終日は17:00まで)

Gallery MUSEE F

東京都渋谷区神宮前4-17-3
アーク・アトリウム B02
TEL / FAX : 03 5775 2469
http://www.omotesando-garo.com/index.htm











風景/所在値
- CORRESPONDENCE/LANDSCAPE -



[ うばたま ]



2009.6.9 (Tue) - 6.27(Sat)

12:00 - 19:00
日・月曜休廊  最終日,祝日 18:00


リアルミユキ



光の不在によって、暗闇は存在する。

我々は人工照明を発明し、暗闇を失った。
そして、それはもはや比喩的に使われる概念でしかない。
しかし、暗闇は概念ではなく実体である。

暗闇は、見えないことによって見える。
フィルムに記録されないことによって記録される







ギャラリーの詳細はここ

   ↓ ↓ ↓
Gallery KOBO CHIKA--工房 親--



写真家として活発に活動している隼田さん。

どんどん作品を発表してください。



わたしも負けずにがんばるぞ!


隼田大輔さんのHP→こちら

アートとアルテ

フラメンコのダンサーが踊る

レモンの木にレモンの花が咲き実がなった。

君が去ったあとのレモン

君が去って行ったあとに

ボクはレモンの木をみている。

ダンサーは踊る。

そして人々は賞賛する

ティ・エ・ネ・アルテ!


その心がアルテ


アルテはアート


中身は同じ。


旅の途中の若者がいた。

旅で出会った人々が誕生日を祝った。

君の心にプレゼントをあげよう

わたしたちの気持ちをわけてあげよう

あふれる心のいくらかでも

うけとってもらえるなら


そして彼はワインをあける


うけとったよ

ありがとう

ありがとう


わたしの国は今戦争中なんだよ


ありがとう

ありがとう


悲しみも喜びも

そのこころにうけとって


それがアルテ

それこそがアート

現代アートと仲良くなれそう?

アートだアートだなんてさわいでいるわたしは、筋金入りのおバカだっちゅーことがおわかりいただけただろうか!?

生活そのものなんですよね、現代アートって。

そこにもここにもある。

身近すぎてみえないところにあるんですね。

どこにでもある空想的産物をリアルにつくっちゃうのがアートなんだよね。


きのう書いた「老婆の森のお話」なんですが、

姪の反応はといいますとですね


姪①(8歳)「ミユキおばちゃん、まぁがんばりなよ。」と哀れむようなまなざしでニコヤカに立ち去った。


姪②(7歳)「・・・・・。」って去っていくみちすがらをこいた。




残るは甥だ。甥(4歳)に、わずかな望みをかけよう・・・


「オイ、甥!はやくおおきくなれ!」ひとのケツに指つっこんで喜んでるのも今だけだよね、、、。




現代のアートと過去にアートと言われていたものとは


もうはっきりと違うものだといえる。


アートは太古の昔から変わらない普遍的な心。




うまいだのへただの経験だのスタイルだの権威だの



そんなものクソくらえだ



老婆の森の住人

わたしの絵の師匠は今村公子 という人です。

画家です。

彼女から様々な知恵をいただいた。

わたしは「OLミユキさん」というサイトに「老婆の森」という物語を書いている。

ここに「おまんさん」というキャラがでてくるのですが、

この人はある意味魔女なんです。

わたし自信もその気がありますが、まわりにいる女性たちの集合体のような感じです。

見目形のイメージはこの今村画伯なんです。


この老婆の森の物語は、最初わたしの姪たちに残そうと思って書いたのですが

だんだんにヒトコマまんがになってきてしまいました。

ハマるとことんやってしまうので、たぶんこのままヒトコマまんがを描き続けると思います。


今村公子という人は画家なんですが頭の中は学者かもしれません。

絵を描きながら自然科学のハナシやら哲学のハナシなんかを聞かせてくれました。

自身のまわりのことすべてが学問みたいに感じている人ですね。

料理も教わりました。

まあ、わたしも同じなんですが、社会的にはかなりドジな人間像です。

まぬけと言っても過言ではないですね。

そこがわたしたちの結びついているポイントだと勝手に理解しています。


絵に関しては徹底的に生き物の見方を伝授されたと思います。

かなり情熱的に教えてくださった。

時には反抗的になって、険悪になったりしましたが、

素直に感謝しています。


今村画伯はやはり魔女だなと感じたのは、

ご自身の体の異変を生薬によって試しながら治したことです。

その後薬草の根っ子を詳細に描く仕事を数年前から手がけ、

シーボルト美術館に招かれるほどになられた。

体中に生薬がかけめぐっておられるのではないかと思う。








古代のアートにおもう

歴史的事実といういい加減なもの

昨日今日と、個展のための雑用をこなしながら、

ネットや本で縄文時代の土器を鑑賞していた。

なぜかいつも惹きつけられてしまう。

なんとエキゾチックな形なんだろう。

模様をみていると何かを語っているように思える。

ロマンを感じる。



学校には歴史という授業がある。
でも、過去の誰も知らないことをもっともらしく事実として教えているところにウソがあると思う。
真実というものはその場にいなければわからないのだから。
わたしたちは残っている造形物からいろいろなことを推測するだけ。

ほとんどのことはナゾなのだ。

また残されたものから事実を知ることは膨大なデータのうちのほんの少しだ。




何が真実か?



といえば今実際に行動している自分しかないと思う。

じぶんが経験していることが真実のすべて。


Dia Beacon

ディアセンターを開設したディア財団が、美術館ディア・ベーコンを新設した。


1974年設立以来、現代美術推進の先頭に立って来たディア。

60年代から現在に至るコレクションのショーケースとして、元ナビスコビスケットのパッケージ工場を改装28,000平方メートルの巨大なギャラリーに仕立て上げた人がいた。



作品個々の特徴やスケールに合わせてデザインされたスペース。


普通の美術館では有り得ない規模だ。


それだけきいても大変な額のお金がかかっているだろう。

しかも作家の生活費や制作費なども援助したというのだから昔の貴族のような人たちですね。


Dia Beacon
ディア・ビーコンのビーコンは地名。

マンハッタンのグランドセントラル駅からハドソン川にそって約1時間。

切実に行ってみたかったが、機会を逃してしまった。

ポストカードだけはチェルシーで購入した。


彫刻の内部を散策できるリチャード・サラの鉄鋼作品。
巨大な床穴の作品は、マイケル・ヘイザーの作品。



興味深々です。

半永久的な展示の、大胆なインスタレーションをこの目でみたかったのだが。

それに、アメリカの田舎へ一度は行ってみたい。

たぶんスケールが大きいんだろうな。



でもたぶん近じか行けると思う。

行けると思えば行けるものだ。

現代アートの最先端を行っていたDia Center

87年、ニューヨーク、マンハッタンのチェルシー地区にかつて工場だった4階建ての建物を建築家リチャード・グラックマンRichard Gluckman(1947― )が改装し、ディア・チェルシーを開設した。



作品は空間に合わせたインスタレーションであること、展示期間は9か月間という長期間であることを特徴としている。


2001年にわたしがニューヨークに行った時には、ほかの美術館やギャラリーとは一線を隔した感じの超現代的なアート空間でした。


主に映像作品が盛んに上映されていました。

壁が全部スクリーンになっていて、作品があまりに前衛的で観ていて苦しくなりましたが。



展示ブースでは展示の仕方がとても新しいと思った。

天井から吊るした四角い透明なアクリル板の中に絵や写真がはさんであって両側から観られるようになっていてずらっと並べて立体的に構成してあったり。

まるで、建物の構造の一部のように据えられた作品はいい感じだった。


最近日本でもみかけるけど、当時すごく新鮮だった。




チェルシー地区は昔、港から引かれた貨物鉄道の終点だったので倉庫がたくさん残っているということだ。

ニューヨークのマンハッタン、特にこのチェルシーやソーホーはバブルが急激に進みビンボウアーティストは地方に散って行ったそうです。




わたしなんかは、混沌とした中に行くのが好きなので、コムデギャルソンみたいな店がカッコよく営業しているのはあまり見たくなかった。




最先端はもう違うところにいってしまったか、アートの概念がまったく変わってしまったのか。

まるで活気を失ってしまった炭鉱の町みたいだった。



申し訳ないけど、アメリカはここまでだと思った。


ニューヨークに行って一番感動したのは、セントラルパークの中にあるメリーゴーランドだ。

アトで調べたら1950年代につくられたアンティークなのだそうだ。


やはりアメリカのアート全盛期は’50年代だったんだな。

Tea Houseで蚕になった

2007年の個展

この時はかなりたくさんの絹糸を張り巡らせた。

会期の間中ひたすら糸を張っていて、まるで蚕になったみたいな気分。

すごくいい経験をさせていただきました。


          

        リアルミユキ     


この写真はフォトグラファーで作曲家でWEBデザイナーの安達伸幸さんが撮ってくれました。


わたしの作品なのに安達さんっぽい。

やっぱり作家さんなんだなあ。

しかし、感性のある人だな!すごくカッコよく撮れているなあ。



好きですこの写真!!!


この時はインスタレーションを強く意識して創りました。

茶席のつもりで季節の食材を用意して

抹茶を点てたり。

タイトルを「Tea House コンテンポラリー」ってしたら、

お客様が干菓子を手土産に持ってきてくださりちょっと感動しました。


安い駄菓子でお茶を濁そうとしていたので、ありがたかったなあ。


けっこう楽しんでもらえたみたいだったのでよかった。


この経験次に生かしたい。








この空間もなんとかしたいなあ!(#⌒∇⌒#)ゞ


お金をかけずにわたしらしい部屋を作ろうと思ってます。


いいアイデアあったら教えて(・ω・)/

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