お前のしてきたことは全て無駄だった。
お前の過ごした時間は全て無駄だった。
お前の言葉も心も全ては無駄だった。
お前の存在など始めから無駄だった。
お前の教えは何も実を結ばなかった。
お前は必要のない人間だった。
お前の【全て】は何も残してこれなかった。
お前は。
お前は。
お前は。





目の前でそれを全て否定されて、捨てられ、無かったことにされたとすれば。
それはどれくらいの絶望だろうか?
どのくらいの敗北感だろうか?
どのくらいの?
どれだけの?
手元にある捜査資料をペラペラと捲るふりをしながら、思考はそれだけの言葉に溢れていた。
現在は捜査会議の最中で、周囲は随分と真面目にお誕生席にいる中園の、まとまらないだらだらと続く事件の【感想】を聞いていた。
必要なことは捜査員が話すことだけで、今はそう取り立ててメモを取る時間ではない。
だからだろう。
脳細胞はかなり明後日の方向に向き、関係のないことを延々と考え続けていた。
右隣の出雲は捜査一課の中ではまだ新人で、そのことに気付かず熱心に書き記している。
ここまで一言一句漏らさず聞いているのだから、逃した言葉は彼女に聞けば分かるだろう。
それもありきで安心して自分の思考に集中できる。
勿論、事件を蔑ろにしているわけではない。
ただ、【今の時間】はそういう時間なだけだ。
素振りだけ走らせるペンは、無意味に手帳を黒く塗り潰し続けていた。
「・・・ちょっと、芹沢さん・・・。」
あからさまに文字を書いているふりを決め込んでいた芹沢に、出雲は思わず声をかける。
しかし、その真っ黒の一面にぎょっとして言葉をこれ以上無くしていた。
「・・・集中しとけよ。」
どの口が言っているのか分からない台詞を呟いて、芹沢は一瞬だけ途切れた思考を元に戻す。
集中という意味だけを取れば、芹沢はかなり集中していた。
自分の考えに。
前から3番目にいる彼らの遥か後ろ、会議場の最後列に陣取るは言わずと知れた【特命係の2人】。
半年振りの2人の特命係である。
更に。
片方はまだお馴染みの顔として、もう片方は実に14年ぶりに姿を見せた男だった。
今まで見えなかっただけで、実はずっとそこにいました、みたいなふてぶてしい顔で両手の指を絡ませて机の上に置き、さも当然とばかりにそこにいる。

それが謎なのだ。
今の芹沢にしてみれば。

それが、一番不思議なのだ。

だから思考はぐるぐると円運動を繰り返すように同じところを巡り行く。

何故あの男は、今こうしてあんな顔して座っているのだ?

疑問に思いながら、今度は左隣の男をこっそり見遣る。
この男はいつもと何一つ変わらぬ顔色で。
そう、何も、一つも、感情の動きを見せぬ顔で。
せいぜい出雲が見ていた動画で目にした姿に激昂した時ぐらいで。
それ以降、何も変わらなかった。
嬉しくはなかったのか?
喜んだのではなかったのか?
本格的な再会が殺人事件現場だったというのもあるが、この男は14年という時間などまるでなかったかのように振る舞い続けた。
それは今も変わらない。
あの時の伊丹憲一を知るのは芹沢だけになっていた。
知るのは、と偉そうに言ってみても、実は何も語ることはなかったのだが。
思えば短い時間だった。
14年と言えば、産まれた子供が中学生になる時間なのに、そんなもの一切無かったような幻に似た感覚を覚えていた。
だからなのか?
芹沢は不思議な不安を覚えている。
嬉しくもある。
尊敬していた先輩が戻ってきたことに。
喜ばしくもある。
尊敬している先輩に張りが戻ってきたことに。
苦々しくもある。
特命係がしゃしゃり出てきたことに。
安心感もある。
杉下右京が動き出したことに。
大体がプラスの感情しかない中に、芹沢だけが感じる一抹の不安。
亀山薫が警視庁に戻るという事実が正式に発表されたと同時に、それに一枚噛んでいるのが伊丹だと知った瞬間の驚きは、近年稀に見るものがあったと芹沢は感じていた。
そんな権力どこに隠していたのだろうか?
巡査部長とは仮の姿で、実は遥か高い地位座る殿上人だったとか?
あり得ない。
子供より子供っぽい喧嘩を14年ぶりに再開させた二人の姿を見て、それはないと思う。
一応聞いてはみたものの、当然伊丹が教えることはしなかった。
実は杉下右京ですら何が起こったのか分からないとまで言う。
何かを察している右京であればうっそりと特有の微笑みを浮かべて紅茶を嗜むのを、今回はしなかった。
芹沢の中に最大の謎だけが残る。
もしかして。

この14年という月日は、【本当に無かったこと】ではないのか?と。

築き上げてきた伊丹との時間も全て幻で、実は自分の・・・ただの妄想だったのか?と。

そんなわけがあるか、あってたまるか。
頭を振るう。
あり得ない。
それなりに年も取ったし、それなりの経験も積んだ。
撃たれた傷跡が消えるわけでも、時折響く鈍い痛みが消えることもない。
だけど思う。

お前のやって来たことは無意味だったのだ。
お前の時間は全てまやかしだったのだ。
お前の。
お前の。
お前の。

微かに胸を過る切なさが芹沢を最近無口にする。
勿論、誰にも気付かれない程度にだった。
何も言わずとも誰もが亀山薫の再登場を歓迎している。
それは芹沢も変わらない。
なのに。
ほんの少しだけ滲んだ黒いインクの染みのようなマイナスの感情が、時間が経つにつれて芹沢の心に何かを宿していった。
正体は今でも不明。
否、不明のままで押し止めている状態だ。
「・・・沢・・・!」
あまりにも変わらない時間の跳躍。
だからこそ。
芹沢はきゅうっと唇を噛む。
「芹・・・!!!」
芹沢は【後輩】のままで、喧嘩をする2人の後ろを走って追い付こうとする未熟なままで。
塗り潰す黒が闇より濃くなる。
「芹沢ぁっ!!!」
小気味良い音と、爆速で伝わる痛みが後頭部にやってくる。
続いて鼓膜を突き刺す伊丹の怒声も追いかけてきた。
「っ!!は、はっいぃっ!!!」
どこから出てきたか分からない妙なテンションの返事が、会議中の場で全員の注目を集めていた。
「あっ・・・えと・・・。」
「ボサッとしてんなテメェッ!!!」
自分が思っていた以上に現状を把握できていなかったらしい。
お誕生席の中園が一直線に芹沢を睨んで、出雲は伊丹の怒声を感じ取ったか耳を塞ぎ、伊丹は世界中の凶悪犯を束にしても勝つ気満々の恐ろしい顔でこちらを睨み付けていた。
見慣れすぎているのでそれで腰を抜かす彼ではないのだが、それでも久しぶりの顔に思わずのけぞる。
「先輩、顔こわっ!!!」
特命係が二人に戻ってから伊丹の形相が更に凄みと迫力を増していた。
「誰が般若だバカ!!!」
「誰もそんなこと言ってないでしょ?!」
凄みと迫力も然ることながらそれ以上に気合いも絶賛増量中だった。
「何ですか?!ホントに・・・。」
「こっちの台詞だ!捜査の班分けだって言ってっだろ?」
「あ・・・。」
捜査会議中だということをすっかり忘れていた。
伊丹を始めとする七係は重要参考人の第一発見者の身辺を洗う。
手分けしてその捜査を行い、次の会議までに情報を精査するのだ。
刑事の捜査は基本二人一組。
今回の事件は特命係も参加するようにというのは正義に目覚めた内村刑事部長直々の命令だ。
特命係が既に二人組ではあるが、勝手な行動をしないように捜査一課からお目付け役を一人つけるのが中園の条件である。
杉下右京と亀山薫の行動パターンを知り尽くすのは伊丹と芹沢だけ。
とすれば。
芹沢は半ば諦めたように隣の出雲に『行くぞ』と声をかけようとした時だった。
「あ、すみません参事官、自分は芹沢とちょっと調べたいことがあるのでよろしいでしょうか?」
「伊丹!」
「先輩?」
「特命係には出雲をつけます。・・・いいな?元・国賓様をしっかりもてなせよ?!」
中園と芹沢の声を全く無視して伊丹は出雲を押し出した。
「えっ?!私?!」
「いいか?くれぐれも元・国賓様の嘱託職員に無礼がないように・・・なっ!!!」
最後の念押しの部分だけ、最後列で睨む薫に目を向けていた。
「っるせぇよ!!国賓国賓って!!!」
「テメェが最初に言ったんだろうが!!!元・国賓の亀山薫様!!!」
「いちいち元とか付けんじゃねぇ!特命係の亀山だ!!ドアホ!!!」
久しぶりに喚き散らす伊丹に驚いたままの顔でいる人間もいる。
久しぶりの罵り合いに思わず笑っている人間もいる。
これ以上薄毛の心配をしたくない人間が苦虫を噛み潰している。
呆れたように久しぶりの子供のような馬鹿馬鹿しい言い合いに目を細めている人間もいる。
芹沢は。
14年という短くて長い月日が有ったのか無かったのか、そんなことはもうどうでもよくなって。
ご指名通り、伊丹の隣を行く準備を始めていた。





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