龍神 15 スサノオと古代ペルシャ | イッピーの独り言

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ボクの名前はイッピー。わんこのビション・フリーゼです。ボクが見たことや聞いたことを書きたいと思います。少し不思議なお話もたくさん出てくるかもしれないけど、みんなが気に入ってくれるといいな。

みんな元気ですかドキドキ

 

さらにスサノオのなぞグッド!

 

スサノオの出自を探ると不思議な

 

胸騒ぎがします。

 

なんだかゾワゾワとしたものが

 

上がってきます。

 

特牛(コットイ)はどこから読んでも

 

その読み方にはなりません。

 

明らかに日本語ではありません。

 

「神々の指紋」を書いた

 

グレアム・ハンコックによれば1万2千年

 

にはアラビア湾は海ではなく川でした。

 

今のチグリス・ユーフラテス川と

 

つながっていました。

 

ペルシャ湾とも言いますが

 

サウディ・アラビアとイランに挟まれ

 

地政学的にも非常に重要な海域です。

 

その地域の豊富な地下資源のために

 

国際紛争が堪えません。

 

ここには以前は海はありませんでした。

 

大洪水で広大な土地と文明が

 

海に沈んだのです。

 

ハンコックによればアラビア湾や紅海は

 

潜ればすぐにでも古代遺跡が

 

発見されるそうです。

 

海底古代遺跡の宝庫です。

 

エジプトとも近くピラミッドや

 

スフィンクスの謎の解明のヒントになる

 

手掛かりが見つかるかも知れません。

 

ちなみに地質学の最近の研究報告では

 

1万2千年前の氷河期の終わりに世界各地を

 

襲った大洪水では今の

 

ヨーロッパ全土と中国を合わせた以上の

 

広さの土地と文明が徐々に海に沈んだ

 

とされています。

 

土地の形成によっては一瞬で、例えば

 

一晩で沈んだ場所もあるようです。

 

(参照→YouTube Graham Hancock Presenting at the 2012 conference

 

http://www.youtube.com/watch?v=X4k8pdJ2so4)

 

このペルシャ湾のイラン側

 

(古代ペルシャ)に沿ってエラムと

 

言う王国が、紀元前3200年頃から

 

紀元前539年まで存在していました。

 

これだけでも相当長い間栄えた王国です。

 

これは少なくとも考古学上で

 

分かっている年代です。

 

下の写真がエラムの支配地域だった

 

とされています。

 

しかし実際は大洪水以前より存在

 

していた文明だと想像するのです。

 

(ウィキペディアより)

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(エラム王国)

 

 

これは当時の古代の国々の地図です。

 

独自の言語と絵文字を持ち隣国とも

 

あまり交流がなかったようです。

 

そのために実態がよく知られて

 

いませんでした。

 

そのエラム人は自らをハルタミ

 

またはハタミと呼んでいました。

 

(参照ウィキペディア→エラム

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%A0%E7%8E%8B%E5%9B%BD

 

日本語と似ています。

 

「ハル」あるいは「ハ」の民なんです。

 

そしてこのエラム古王国の首都が

 

スーサと言います。

 

古代ペルシャの憲法である有名な

 

ハンムラビ法典もこのスーサから

 

発掘されており、いまではパリの

 

ルーブル美術館に保管されています。

 

スーサは数千年のあいだこの

 

エラムの首都だったのです。

 

(参照ウィキペディア→スーサ

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%82%B5)

 

あ さて・・・

 

昨日の記事でスサノオの別名を

 

牛頭天王とご紹介しました。

 

この「天王」の最後の文字は「の王」

 

の意味を持ちます。

 

同時にスサノオの最後の二文字は

 

「の王」と読めます。

 

つまりスサノオは「スーサの王」だった、

 

あるいはスーサと何らかのつながりが

 

あるような気がするのです。

 

ちなみにこの地方ではバアル神は

 

聖なる最高神でした。

 

さらに・・・

 

エラムではいくつかの王朝が栄えます。

 

上のウィキペディアの「エラム」の記述

 

の中に歴代王朝の王たちの名前が詳しく

 

書かれています。

 

歴史の研究で分かっている時代だけでも

 

アワン朝からはじまり

 

シュマシュキ朝やバビロニや統治の時代を

 

経て最も栄えていた時代がイゲ・ハルキ朝

 

と言います。

 

その初代大王の名前からこの王朝の名前が

 

命名されています。

 

イゲ・ハルキ・・・とは二ギハヤヒの事

 

でしょうか。

 

そして・・・

 

昨日ご紹介しました祇園祭の山鉾巡行の

 

絵柄がこの中近東地方と深いつながりが

 

あることは偶然でしょうか。

 

さらには・・・

 

エラムの最初の「アワン朝」とは古事記に

 

記された「アワの国」と関係が

 

あるのでしょうか。

 

彼らが自らを呼んだ「ハルの民」といい

 

日本語との共通点があるのは

 

なぜでしょうか。

 

続きはまたねグッド!

 

 

(ウィキペディアより)

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スーサで発見されたスフィンクス

ルーブル美術館蔵