地球(テラ)の旅立ち 12 日本人の精神文明はどこから | イッピーの独り言

イッピーの独り言

ボクの名前はイッピー。わんこのビション・フリーゼです。ボクが見たことや聞いたことを書きたいと思います。少し不思議なお話もたくさん出てくるかもしれないけど、みんなが気に入ってくれるといいな。

みんな元気ですかドキドキ

 

日本人の精神文明のルーツグッド!

 

昨日触れた核DNA解析による日本人の

 

科学的源流解明もそうですがそれにもまして

 

不可思議なのが古代日本人の精神文明

 

に関する謎です。

 

以下に述べることはすべて根底で

 

つながっています。

 

まず・・・

 

わびさびはほかの言語には翻訳することが

 

出来ません。

 

英語でもそのまま「wabisabi」です。

 

秋の虫の声や小川のせせらぎ、そして

 

森の中の木の葉のささやきなど日本人には

 

心地よい自然のゆらぎの音として認識

 

されますが、そのほかの地域ではすべて

 

雑音としてとらえられている、

 

あるいは例えば虫の声が聞こえない

 

という事象があります。

 

わびさびを日本以外で理解することが

 

困難な理由です。

 

ある科学者がこの虫の声を、雑音ではなく

 

心地よい「声」として認識できるかどうか

 

しらべたところ、太平洋の南の島の

 

ポリネシアの人たちと日本人だけが

 

これを認識できることがわかったそうです。

 

沖縄や南太平洋もやまと大陸の一部だった

 

という確たる証拠としては、これだけでは

 

不十分かもしれませんが強力な

 

サポート材料のような気がします。

 

「ご家族の皆さんお元気ですか」と

 

聞かれて「おかげさまで」と応えるのも

 

日本人だけです。

 

食事をするときに「いただきます」と

 

声に出すのも日本人だけです。

 

ほかの国では、キリスト教の食前の祈りを

 

別とすれば「さー、はじめるよ」とか、

 

たくさん食べてね」というのが一般的です。

 

あるいは食べる前に何も言わないことも

 

普通です。

 

この習慣だけでも日本人はほかの民族とは

 

違います。

 

特にどちらがいいとか悪いとか優劣を

 

つけるつもりはありませんが、どちらの

 

居ずまいがより大自然の心に

 

近いかは明らかです。

 

もう一つ・・・

 

日本を訪れた外国人にとって

 

不思議なことがあります。

 

それは一人称の「自分」を示す言葉が

 

たくさんあることです。

 

英語では「I」だけで済みます。

 

話している相手が目上であろうが

 

目下であろうが自分は I です。

 

日本人は古代より変わらずに謙遜の意識や

 

わびさびの意識を大切にしてきました。

 

話を戻します。

 

自分を表現する一人称は日本語では、

 

私、おいら、うち、小生、わたくし、拙者、

 

吾輩、等々とても多いのです。

 

この理由にも日本語の精神文明的な

 

背景があります。

 

英語なり日本語以外の言葉では、

 

相手に如何に「正確に」物事を伝えるか

 

を重視します。

 

しかし日本語では、物事を「どのように」

 

伝えるかということにより重点をおきます。

 

つまり相手をいかに尊重しつつ、

 

相手を傷つけないように気配りをします。

 

同時に自分を出しすぎないようにも

 

心を砕きます。

 

日本人どうしが話をするときには「私が」

 

という主語はほとんど出てきません。

 

自分の存在を多様化して適切な表現を探す

 

ためにも「我」を表す言葉は多くなります。

 

極論かもしれませんが、ここにも自分より

 

偉大な存在に対し常に頭の中に無意識に

 

配慮する気持ちがあるように思うのです。

 

自分よりも偉大な存在、それこそが

 

大自然です。

 

虫の声や、小川のせせらぎや風の音、

 

森の小鳥たちのさえずりそのものが

 

大自然です。

 

同様に雨や花や季節と言った大自然を表す

 

言葉は日本語には数限りなくあります。

 

その多くが「やまとことば」です。

 

日本語には漢字が入ってくる、

 

それよりも遥か以前から確立された

 

精神文明があったのです。

 

続きはまたねグッド!

 

 

 

私はずっと前からいたのです・・・