4月7日に初回放送された「Last Days 坂本龍一ー最期の日々ー」をようやく観ることができました。
この放送では癌が再発してから亡くなるまでが記録されていました。
坂本龍一氏は私の人生の一部となった人物。
亡くなって一年が経ってもその存在感が薄れることがありません。
身内と同様の喪失感が私の中には今もあります。
ただ教授の死生観は私には合わないな、と思っていました。
放送前の情報で教授は何度も癌を切り取る手術したと聞いていたからです。
人間はいつか亡くなるもの。
癌は老化の究極のものと私は思ってますので、手術で切り取っても無駄な抵抗ではないかという考えです。
もちろん手術で治る癌があるのも承知していますが。
(長生きしてほしい)とファンとしては思いますが、いっぽうで引き際は美しくあってほしいとも思うのです。
教授の盟友、ロックミュージシャンの忌野清志郎(本名:栗原清志)氏は喉頭がんが見つかっても声帯を取り除く手術は選択しなかったと言います。
命が助かっても声が出せなくなることを清志郎は選択しなかったのだと思います。
59歳という若さで亡くなられたことはとても残念ですが、いつまでも清志郎のロックな生き方は私の死生観に影響を与えているような気もします。
さて放送では、教授はそれらの手段は試みるものの、音楽制作に支障のあることには拒否の姿勢をとっていたようです。
例えば、指の痺れの副作用の可能性がある抗がん剤は明確にNoをドクターに伝えていたそうです。
教授にとって音楽制作にはピアノが欠かせないからです。
ドクターは「計画通りに治療を続けてほしかった」と言っていましたが、それもドクターの立場からすれば当然の願いだと思います。
自分の生とは何か、心臓が少しでも長く動いていることを最優先にするのか。
それとも命は多少短くなっても音楽を作り続けることを最優先するのか。
この放送を観て教授も立派な人生の幕引きをされたと思いました。
そして、自分も寿命が残り少ないことを知ったとき、
同じように最期まで命を燃やし続けられるか、
命を削ってでも守りたい大事な何かを持っているか、
ただ、心臓が動いていることに固執せずにいられるか、
そんな問いを突きつけられたように思いました。