「的場のフォローを頼みたい。俺は福音の会を調べる」
肝心の情報をこちらでコントロールしておけば、田島に妙な勘ぐりをさせずにすむ。内部に情報をあまり流したくなかった。少なくとも、現時点では。
目が覚めたとき、江藤恵理子はその寒さに驚いた。パジャマ着のままということは、床についていたということになるが、恵理子がいる場所は、寝室でないことは確かだった。福音の会は、共同生活できる施設があり、幹部の中には個室を与えられている者もいたが、恵理子は本部近くのマンションを借りていた。自宅ではない。壁に分電盤らしき機械がみえるが、各ブレーカーのスイッチ名までは読み取れない。近寄ってみようと思ったが、そこで初めて自分が緊縛されていると知った。
「目が覚めたみたいだね」
「綿貫・・・くん?」
綿貫とは久しぶりに会った。研究室にこもりきりで、電話してもつながらない。避けられているという不安がぬぐえないでいたが、この場面から考えるに、その不安は的中したに違いなかった。
「私に、何をしようっていうの」
福音の会には、洗脳のノウハウはもちろん、拷問のノウハウを持っている者が信者にいる。組織が大きくなるには、手段を選ばずにさまざまな非合法を実施してきた歴史があることを、幹部である恵理子は、当然に知り尽くしていた。
「これから行うことはね」
綿貫は無表情を恵理子に向けた。「福音の会のためであって、しいては『世界』の人々のためであって、
そして何より大切なのは、君のためなのです」
綿貫は徐々に恍惚とした表情となっていく。「僕はね、本当に君のことを尊敬している。なぜかって?
この僕を踏み台にしようとしたからだよ。僕はね、これまでずっと君のためを思って行動してきた。それがどうだ、まさか結婚して子供までいるなんて、あきれてものがいえない。そういう嘘で固められた人生を挽回させてあげようということだ」
慎重に行動していたつもりだったが、家庭のことがばれてしまったことを悟った。プライドの高い綿貫がこれまで恵理子と連絡を絶ったのも頷ける。綿貫の表情がさらにゆがんだ。
「君のことを愛していたんだ!」「信じていたんだ!それなのに」
もはや綿貫は自分のことを見てもいなかった。視点をさまよわせ、表情がくるくると変わるそのさまは、まさに狂人のそれと相違なかった。恵理子は、なんとしてもこの場を切り抜けなければ、自分のキャリアはおろか、人生を強制終了させられてしまうと思った。
(つづく)
※応援コメント、どうぞよろしくお願い申し上げます。
※以下より、登場人物メモです。ネタバレのおそれがあるため、
以下閲覧注意です。
・的場英二:
S県警刑事局捜査1課所属。32歳。やせ形、筋肉質。伸長189センチ、体重78キロ。切れ目で高身長で一見もてそうな容姿をもつも、近寄りがたい空気を醸し出しており、友人も少ない。独身。ストイックで、禁酒・禁煙をしている。毎日8キロのジョギングが習慣。恋人は何年もいなかったが、事件を通じて恋に落ちる?
・江藤光太郎:
警視庁公安部所属。55歳。中肉中背。172センチ、体重75キロ。薄毛。妻恵理子は行方不明となり、失踪宣告した。娘の恵だけが生きがいだが、親子仲は悪い。粘着質のように仕事を進めることからハエ取り紙、公安部の略称「ハム」とあわせて「ハム取り紙の江藤」の異名をもつ。妻失踪後、仕事の情熱を失っていたが、今回の「福音の会」事件で妻が信者であったことを知り、情熱を燃やす。しかし、事件に配偶者が関わっている可能性があることから担当からはずされる(忌避)。それでも、独自に捜査を進めていたところ、的場と出会う。
・江藤恵
光太郎の娘。25歳。伸長162センチ、体重51キロ。父とは微妙な関係だが、父を嫌いなわけではない。目鼻立ちがくっきりしたかわいらしいタイプ。夜遊び・外泊を繰り返していたが、的場と知り合ってからは、真面目になる。母が失踪したことで、愛情に飢えている。自分のせいで失踪したのかと思いこんでいる。
・毒島寛
警視庁公安部所属。197センチ、体重87キロ。巨大な体躯。江藤とコンビを組んでいたが、江藤が担当を外されたことで、別の人間(中本重徳)と組む。しかし、江藤に同情する彼は、江藤から度々頼まれごとも、快く引き受けている。温厚で気さくな性格。
・杉本冴
S県警刑事局捜査1課所属。30歳、バツイチ。172センチ、54キロ。的場の仕事上の相棒。つっけんどんな対応しかしないのは、古傷が癒えていないからである。的場のことを気になりつつも、必死に一線をひく。女性と子供には優しい。
・綿貫博一
的場の同級生。眼鏡をかけており、ポッチャリ型。168センチ72キロ。おっとりした性格と信念を貫く強い面を併せ持つ。福音の会にハニートラップを仕掛けられた末、研究者としてからめとられることに。ゴモラソドムの開発者。研究者としてのエゴが人間としての良識を上回り、ゴモラソドムを開発してしまうも、良心に苦しみゴモラソドム消滅を図ろうとして組織に殺される。