明治時代の歴史的建築が並ぶ明治村の街並みを歩く-その2-☆博物館明治村散策記②【2024.10】
テーマ:Domestic trip※【博物館明治村散策記①】の続きになります。
京都市電のりばから少しだけ坂を登ると、こちらの 北里研究所本館・医学館(25)が姿を現します。
こちらは新1,000円札の肖像画に描かれている北里柴三郎博士が、伝染病研究のために創立したもの。中もすごく立派です。
こちらが研究室でしょうか。当時を思われる独特な雰囲気を感じることができました。
今度は純和風な家屋と遭遇。幸田露伴住宅「蝸牛庵」(26)というそうです。
元老・西園寺公望の別邸として静岡県清水に建てられた 西園寺公望別邸「坐漁荘」(27)。こちらで余生を過ごしたんですね。
茶室「亦楽庵」(28)。京都の漢学者・福井恒斎が明治10年(1877)に自宅に庭に建てたものとか。
こちらは明治3年(1870)から昭和32年(1957)まで東京・台場で使われていた 品川燈台(29)。色遣いとデザインが可愛らしいですね。
そのすぐ横には 菅島燈台附属官舎(30)がありました。灯台の灯りを管理する職員の官舎だったそうです。
ここから長い坂を登ると、その先にあったのは 長崎居留地二十五番館(31)。長崎出身なので、何となく愛着が沸きます。
中には「軍艦島」の模型がありました。軍艦島へも行ったことがありますが(こちら)、長崎観光ではおすすめですね。
木造の洋館が続きます。こちらは 神戸山手西洋人住居(32)で、つい先月行ったばかりの神戸の異人館街を思い出しました。
湖のほとりに見えるのが、宗教大学車寄(33)。東京・巣鴨にあった宗教大学(現大正大学)本館の正面に設けられていたそうです。
そしてここからようやく 4丁目 に入ります。こちらは 第四高等学校武術道場「無声堂」(34)といい、柔道・剣道・弓道の3つの道場からなる武道場になります。
そしてこれで68の施設のうち、ちょうど半分の34の見学を消化。こちらの「食道楽のカフェ」で少し休憩することにしました。
購入した生ビールを飲みながら、ここまでとこれからのルートを確認。入口でいただいたこの地図、番号が大きくふってあってすごく見やすかったです。
25分ほど休憩してから、散策の後半戦を開始。日本赤十字社中央病院病棟(35)は何とも味のある雰囲気です。
渋谷区広尾にあったこの病院。病室はこんなシンプルな感じだったんですね。
次は 歩兵第六聯隊兵舎(36)。軍隊の宿舎のようでした。
ベッドの脇には銃。何となくですが、キューブリック監督の映画「フルメタル・ジャケット」を思い出します(笑)
こちらの日本家屋は、名古屋衛戍病院(37)というこれまた病院のようでした。
そしてこちらの洋館は、アメリカ・シアトルからの移築という シアトル日系福音教会(38)。 何となくですが、ヒッチコック監督の映画「サイコ」を思い出しました(笑)
中もなかなか面白い間取りのようです。
こちらはバスルーム。てかこれ、床が腐ったりはしないのか気になりました。
ブラジル移民住宅(39)。かつて日本人移民がブラジル・サンパウロ州に建てたものを移築したそうです。
今度は ハワイ移民集会所(40)。ハワイ島にあった日本人向けの教会だったとか。
六郷川鉄橋(41)が見えます。明治10年(1877)に建設された、日本初の複線用鉄橋とのことでした。
そこには 尾西鉄道蒸気機関車1号(42)がありました。ちなみに普段は「蒸気機関車12号・9号 三頭客車(43)」が実際に線路を走る姿が見れるようですが、この日は残念ながら運休だったようです。
この大きな建物は 鉄道寮新橋工場(機械館)(44)。日本で初めて鉄道が走った新橋に、明治5年(1872)に建てられた貴重なものだそうです。
こちら 工部省品川硝子製造所(45)は現在修復工事中でした。
そしてこちらの何とも美しい建物は、宇治山田郵便局舎(46)。現存する日本最大の木造郵便局舎になるんですね。
玄関から入ると、窓口が円になって並んでいました。とても素敵です。
こちらは郵便局員側から見た窓口。この円が屋根まで続いているんですね。
こちらは明治5年(1872)の郵便ポスト(郵便箱)。すごいです。
坂を登ってくると汽車のりばがありました。通常であればこちらから蒸気機関車に乗ることができますが、この日は運休だったのが残念。
本郷喜之床(47)という床屋さんですが、この2階にはあの石川啄木が間借りして暮らしていたそうです。
明治時代の床屋さんの様子。調度品がレトロですが、造りは現在とあまり変わりがないですね。
その隣は 小泉八雲避暑の家(48)。静岡県焼津市で、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が夏を過ごしていた家でした。
呉服座(49)という大阪にあった芝居小屋。看板や酒樽がいいですね~
中の様子。当時の人たちはこんな目線で芝居を楽しんでいたようです。
その隣には 半田東湯(50)という銭湯がありました。
当時の銭湯はこんな感じ。常連客は湯上りのあと2階でくつろいでいたそうです。
広大な園内には、いくつものバス乗り場があります。とは言っても今回はしっかり歩いて散策したので、利用はしませんでしたが(苦笑)
この時点で13時15分頃。スタートから3時間10分が経過し、ここまでちょうど50の建造物を見学しました。
だいぶ疲れも出てきましたが(苦笑)、頑張って残りの18もしっかり見学したいと思います!
※【博物館明治村散策記③】に続きます。
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