深谷のもやし屋(有)飯塚商店創業者であり、初代代表取締役社長飯塚英夫(平成22年没 享年八十八歳)は第二次大戦において凄惨を極めた【インパール作戦】の生還兵であった。日本陸軍参加将兵8万6千のうち戦死者3万2千あまり。その大半が病死もしくは餓死だったと言う。生き延びた英夫は帰国後、その体験あって食に絡んだ仕事に従事、農業、青果卸と営みそして昭和34年に地元でも珍しいもやし生産業(有)飯塚商店を立ち上げた。

 

 令和5年、吹き荒れたコロナの禍が終わりつつあり、人々は急速に以前の日常を求めだした気がする。両親はとうに亡くなったが両親が遺した(有)飯塚商店は今もしぶとく生きている。

 

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「なあ親父、人が来ると勇ましい戦争の時の話ばかりしてるけどさあ、やっぱり親父は戦争がまた始まった方が良いと思ってんの?」

 

 ともかく生前の父の戦争話は長かった。苦しい辛いことばかりだったと思うのだが、なぜか人が来ると武勇伝ばかり楽しそうに語るのだ。たまりかねて、とうとう俺が夕食時に親父に聞いた。本当に戦争の時が好きだったのかと。そして親父は一言こう答えた。

 

「ああ?あー、やっぱり平和がいいなぁ」

 

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 私はしばらく(死んでからも)父の言葉の意味がわからなかった。

 

 ただ今回のコロナ禍を体験して、国が狂うことの恐ろしさがなんとなく見えてきた。国が狂えば一般の本来は穏やかな国民も様々な情報操作に狂わされていく。父がインパールで味わったのは「戦争」というおおざっぱな記号でなく「狂った人間に殺されそうになる恐ろしさ」を体験したからじゃないだろうか。だからやはり「平和が良い」と。

 

 私はそうだと確信している。

 深谷のもやし屋、飯塚商店はミャンマー産のブラックマッペをもやしの原料にしていますが、今年の1月の半ばごろでしょうか、もやしが成長、品質が安定しなくなりました。それはミャンマー産の新豆を使いだした頃とほぼ一致しています。しかし常に品質の良いミャンマー産ブラックマッペ、これまで豆が新豆に代わったくらいでここまで変わってくることはありませんでした。

 

 そこから日々試行錯誤の連続、ようやく今回の豆の適正温度がつかめました。それは、昨年までと比べて栽培室の温度が3℃違うということです。もっとはっきり言うと昨年までは26℃設定温度でもやしが良く出来たのが、今年は29℃にしないとできない、ということです。

 

 適正温度の発見に半年も費やしたのは、これまでの経験から「この時期、そんな高いはずはない」と思い込んでいたことでした。基本「もやしの栽培にこれ、というマニュアルはない」のです。それぞれの生産者がその地に合った栽培法を見つけなければなりません。収穫年度が代われば当然豆の性質も変わるのです。私はこれまで「もやしの生育を見て栽培を変える」、と話してきました。

 

ならばこれまでの経験なんてなんの意味もなかったのです。その時、その時のもやしに答えはあったのですから。

 久しぶりのブログです。コロナ禍に入ってから朝ドラを観るようになって、現在放映中の「カムカムエヴリバディ」で美味しい餡子をつくるおまじないで「小豆の声を聴け」というフレーズがありました。確かにどんなものでも、そういうのってあると思いました。

 

 今年、令和4年の1月10日あたりからそれまで問題なかったもやしの生育が安定しなくなってきました。確かに毎年の冬から春への変わりかけの頃は気を遣う時期でもあるのですが、今年は特に難しかったと思っています。まだ進行形ですが。いつも思うのですが、もやしの栽培に関しては寒いのはずっと寒い方が、またはずっと暑いほうが生産者としては楽なのです。が、日本は四季の変化がある国、今年は早くから暖かくなったり、でも朝は妙に寒かったり、なんともつかみどころのない日々が続き、生産者も、もやしも、迷ったのでしょう。

 

 ただこんな時…トライ&エラー連続の日々でも、見えたことはあります。それは人間が先走って温度やらやり水やらを調整してはいけないのです。あくまでも、もやしの生育の観察→考察→必要とあらば調整、の流れで行うことが大事です。今回はもう暖かくなる頃だろう、と勝手に思い込んで、もやしより先に人間が動いて、2か月もの袋小路に入ってしまった感があります。私は「もやしの声」を聴く前に動いてしまったのでしょう。これは親として失格です。

 これは昨日(3月11日収穫)のもやし。どれも同じ栽培コンテナで育ったものです。

このもやしからもやしの声を聴いてみます。

 

まずひとつの箱の中でも温度にムラがあります。それはここ最近の大きな寒暖差によるものかもしれないです。

きれいな根から、室温、水温、やり水の回数は今のままで良い感じです。

ただ、種子の大きさから判断して、まだまだ収穫するには早い、あと半日くらい寝かしておきたいです。

 

以上が私が聴いたもやしの声。これがちゃんと聴けてたかどうかは一週間後のもやしを見てわかるわけです。

 

 先日、我が家の屋外でちょっとしたバーベキューパーティを開きました。

 

 七輪を中央に据え、参加者が持ち込んだ肉やマグロのカマなどを炭火で焼いて食べました。

参加者の一人の農家さんが自分のとこで採れた野菜のスープを沢山作ってきてくれました。

それを見てハッと思い立って、私はもやしの栽培室に育っているもやしを一掴み持ってきて、スープにどさっと投入しました。せっかくもやし屋でバーベキューやってるのだから。

もやしは5秒も茹でれば食べられるのですが、今回はしばらく(1分ほど)煮込んで、食べてみました。

 

「あっ…美味い」

 

 私は感動して皆に「ちょっと食べてみて。すげー美味しいから。びっくりするよ!」と強要しました(笑)。

「毎日もやしを見てるくせに、散々もやしの味を話してるくせに何を今更興奮してるんだ?」と皆に思われたかもしれないです。でも、私は我を忘れて興奮したのは事実です。

 

 なぜ、あれほど美味く感じたのか? あの時、もやしを美味しくするいろいろな条件が重なったのか?謎は深まるばかりです。解ったのは、まだまだ私はもやしを伝えきれていない、さらに「もやしのことを全然知らない」ということです。

 おかげさまで飯塚商店のもやしは「美味しいもやし」という評判を頂いています。

ただ…もちろん私は自分のところのもやしは美味しいと思っていますが、万人にとって「美味しいもやし」かどうかは少々違和感を持っていました。美味しい、不味いはあくまでの個人の嗜好によるものだからです。

 

 じゃあ飯塚商店のもやしはどこが違うのか?とお客様や取引先、取材などで聞かれることもあります。

 

 最近ふと気づいたことなのですが、例えば深谷もやしを他の野菜と一緒に炒めても、中華の五目煮にしても、ラーメンに載せても、肉と蒸して食べても、がっつりもやしの味が前面に感じられます。それはある意味、料理人泣かせのもやしかもしれません。自分の思ったとおりの味じゃなくなるわけですから。

 

 なので、どこが違うのか?と聞かれたら、今はうちのもやしは「他のもやしより強い」と答えようと思っています。豆が発芽したものを食べるもやしはまさに生命力の野菜です。ならば「強いもやし」はもやしへの最大の賛辞ではないでしょうか。