論議・講説等を好み自余を交うべからざること -指導集(33)

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今年は来たる6月16日に任用試験が実施されます。そこで教学についての先生のご指導を中心にまとめました。

 

新・人間革命 第24巻「厳護」から

また、1月末から2月中旬にかけては、教授認定試験も行われた。その日時、方法は、方面、県によって異なり、筆記試験、面接試験、論文審査のいずれかの方法で、実施されることになっていた。この教授認定試験の審査委員会の委員長には、山本伸一自らが就いていたのである。

教授の多くは、自身も教授認定試験の勉強に励みながら、任用や中級、初級試験の学習会を担当したのだ。皆、多忙を極めたが、活気に満ちあふれ、はつらつとしていた。試験の学習会を担当するなかで、受験するメンバーが、日々、仏法への確信を深め、歓喜に燃え、着実に成長を重ねていくのを、実感していたからだ。

教学を教えることは、信心を教えることであり、人材を育成することである。そして、仏法の法理を、懸命に、懇切丁寧に語り説いていくなかで、自然に、自身の生命もまた歓喜し、躍動してくるのである。大聖人は、「法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり」と仰せである。ゆえに、共に御書を拝し、仏法を語る時、仏の大生命を涌現させることができるのである。

 

 

 

「日興遺誡置文」を拝して(1992年10月24日スピーチ『池田大作全集第81巻』より)

温かく「人材を育てる」心

第七条「器用の弟子においては、師匠の諸事を許し閣き、御抄以下の諸聖教を教学すべきこと」(新版2196㌻)

「才能のある弟子においては、師匠に仕えるための諸の用事をしなくてもよいようにし、御書をはじめとして教学を学ばせるべきである」 

 

「人材育成」「人材抜擢」の御精神である。権威主義の徒弟制度ではない。どこまでも、法のため、広布のために、本人の力を存分に発揮させ、活躍させていくことが大切である。

 

(日顕宗では、所化に対して、信心の指導はまったくなさず、「題目をあげすぎると弊害がある」などと指導していたのである。教学の真剣な学習の気風も少しもない) 温かく ”人を育てる” どころか、陰惨に絶対服従を強要し、旧軍隊のような暴力によるしごきによって、”人材を殺している” ──御遺誡への違背の姿である。(中略)

 

「食法餓鬼」の集団

第十二条「論議・講説等を好み自余を交うべからざること」

「(仏法についての)論議や、(正法の)講義、説法を好むべきであり、それ以外のものは慎まねばならない」

 

つねに仏道を求め、行学に励み、広宣流布にまい進せよとの誡めと拝される。しかし、日顕宗のだれが、正法についての、まじめな論議や講説を「好んで」いるであろうか。

 

(離脱した僧侶の証言によると、宗門の僧侶同士の会話といえば、”金儲け” と ”遊び” の情報交換でしかなく、果ては ”信徒いじめ” ”信徒利用” を陰で謀議しているのが実態である) 弘教もせず、仏法を語り合うこともない、醜い「食法餓鬼」の集団。それが現宗門であり、日興上人の御遺誡に、完全に違背している。(中略)

 

身延とも謗法同座した宗門

第二十一条「謗法と同座すべからず。与同罪を恐るべきこと」(新版2197㌻)

「謗法と同座してはならない。与同罪になることを恐れるべきである」

 

大正11年(1922年)10月、日蓮宗(身延派)、顕本法華宗など日蓮宗各派の管長らと同座したうえ、身延の管長の導師で寿量品の読経、唱題をした法主がいた(日正法主)。しかも、それは、他宗派とともに、大聖人に「大師号」を宣下するよう政府に請願し、「立正大師」号を受けたことの記念行事であった。宗祖と正反対の ”権力迎合” の姿である。

 

その後、身延に大聖人の廟所(墓所)があるとしたためた「念書」を、政府に提出した高僧さえいた(日開法主、日顕の父親)。日興上人の「身延離山」の崇高な御精神を踏みにじり、身延と「謗法同座」したのである。身延と「与同罪」であり、大謗法である。

 

 

創大祭オープニングセレモニー(『創立者の語らい[Ⅱ]』P.10 ’79年11月2日)

ペッチェイ博士は71歳。牢獄にも入り、死刑囚にもなった。(中略)レジスタンス運動で7万名の犠牲者を出した。逃げたり、隠れたり、追われたり、闘ったりそれは大変だった。しかし、今は自分の予見どおりに時代は変わった。本当にうれしい。けれども7万人の人が銃殺され、拷問され、道端で射殺され、それは大変だった、といっていた。

自分も牢獄に行き、多くの同志も牢獄に行き、それで戦争も終り、後になって我に返って感づいたことがある。普段いわゆる傲慢であったり、横暴であった人間は全部人を裏切った。皆の前では煽動【せんどう】や人気取りはうまいけれども、いざという時弱い。牢獄というところは、大変なところだ。そこで本当の人間がわかる。

普段謙虚な人ほど、そういう人生の土壇場の土壇場の、極限の極限のときに平然として、光を放っていたというのです。私も”なるほど人というのは表面ではわからない”と思いました。あの人は愚直だ、あの人は非常におとなしくてもっとしっかりしてもらいたいと思うような人が、むしろ、謙虚で力があり、発条【ばね】があって正義を貫く場合があるということを再発見した次第だ。

本当はこういう経験を踏んだ人でなければ偉大な人生の深みはわからない。偉大な人生の深みがわからない人がどうして大勢の人々の心をつかめるか、私はこういう気持ちでペッチェイ博士の話を伺い感慨を新たにしました。

 

 

第13回創大祭オープニングフェスティバル(『創立者の語らい[Ⅱ]』P.82 ’83年11月4日)

第三点目に申し上げたいことは、ともかく心優しく、心強き人になっていただきたいということです。人間社会は大勢の人と人のつながりです。個人主義で、エゴで、一人でいれば自由でいいかも知れませんが、それはもはや自分自身の妥協であって勝利者とはいえない。また心強き人でなければ大勢の人を守り、そしてまた導くことはできない。

 

ご存知のように、私もそれこそたくさんの中傷、批判をうけた。普通だったら狂人になるか、退転か、社会から抹殺されるか、自殺か、病気か、絶対に耐えられるものではないといった人がおりましたが、しかし、私は変わりません。私は返っていろいろなことを経験できて、喜んでいる。全部勝っております。

 

結局、時とともに正邪がはっきりすることである。諸君もどんなことがあっても、その苦労、苦難というものを大なり小なり乗り越えていくような強い人間になってもらいたいのです。

 

 

 

 

 

 


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