和歌山で、ドラフト1位指名と言えば、
注目度の高い、市和歌山のバッテリー(小園投手&松川捕手)が浮かぶかもですが、
私の言う、もろ地元からのドラフト1位指名は、
広島カープから指名を受けた黒原拓未投手(智弁和歌山➡関西学院大学)です。
岸田首相からも激励が!・・・広島ですもんね。
(広島カープには、智弁和歌山から、林晃汰君もいます)
我が家は、阪神ファンではありますが、
勿論、応援します!
・・・・・・・・・・・・・・・・・
夫、「ドラフトにかかってる黒原って、あの黒原やろ?」
私、「どの黒原君を言うてんの?」
夫、「○○(次男)と同級生で、一緒にやってた子やろ?」
私、「惜しい!・・・・(笑) その弟や!」
(わかってへんやん💦)
⚾⚾⚾⚾⚾
うちの次男も小学5年生の頃、1年間だけ、地元の野球部に入っていました。
その時の監督が、この黒原君のお父さんでした。
次男が、はじめて、練習試合でのバッターボックスに立った時、
監督から、サインが出ました。
次男、「監督~っ! バントでええんか?」と大きな声で確認、( ´艸`)
周囲は、大爆笑でした。。。。なんのためのサインや(;'∀')
黒原監督は、腕組みをしたまま、開き直って💦 大きな声で、
「そうや! バントや!」と返してくれました。笑いながら・・・
おおらかですよね~
後で、次男に、「サイン読めるようになったなぁ。」と、
むしろ、褒めてくださいました。
大きな目で見てくださり感謝でした。
そんな楽しい?野球部でしたが、
次男は、あまりに、毎日~土日迄、野球漬けの生活は嫌だ、映画見に行ったりしたい!
と言って、1年で辞めてしまったんです。
やっとサインも読めるようになったのに・・・・とか、
これからやのに・・・って言ってもらったのですが、
次男、「僕は、野球好きやけど、そこまでやりたくない。」と、
きっぱりやめました。
そんな野球部の練習に
小さいころから、三男坊の拓未君は、ずっと付いてきていました。
みんなから「たくみ」って呼ばれていて・・・
私には、あの頃の小さいイメージしかなかったので、
拓未君が、地元公立中学の軟式野球部から、
智弁和歌山で野球するって聞いた時も、
びっくりしたんです ⚾
それが、ドラフトまで行くとは・・・
お母さんには、時々スーパーで出会うけど、
息子さんの事とか、何も言わんしね~
ずっと黒原選手を見て来られた方にすれば、
プロ入りは
当然と思われるかもですがね。
次男は、少年野球部にいたのは1年間だけでしたが、
お茶当番、配車、審判講習➡審判、役員、監督と、
すべて親で回していたので、
親たちは、どんなに大変だったことでしょう。
勿論、楽しくもあり、そんな中で、
多くの親たちに関わってもらって、
子供達は成長していったのでしょうね。
そんな地元少年野球部も部員不足から、
数年前に廃部。
親が配車やお茶当番て、できないから、
野球部には入れないと言う声もよく聞こえてきました。
めっちゃわかります。
黒原君ところは、3人兄弟がみんな少年野球部を通ってきてるので、
ご両親には、長い少年野球保護者生活だったですね。
ご両親あっての今ですね。
応援しています。
・・・・・・・
今日も1輪 つゆ草
どんどん咲いてくれるサンパラソル
98円でなかなか楽しめるコスモス!