てるのあしあと

てるのあしあと

人生は旅。ただ敷かれたレールを歩くのではなく、時には足を踏み外して、自然に歩いてみるのもいいと思うよ。
【自己紹介】5ヶ国語を喋る音楽好きの日本人。香港で育ち、台湾とオーストラリアにて留学経験あり、現在は北タイの田舎に住む。こんな人生もありかな。

こどもの頃よく遊んだスケボー!!👧

またちょっとやってみようかな〜っと、思い立ったらすぐ!🏃

40年前は香港にいたけど、いつでもどこでも🎵

スケボーと旅をしてたっけかな…👣

周りはきっとヒヤヒヤしてたんでしょう…🙇

坂で高速で尻餅ついて、マンゴのようなでかい擦り傷を負った事😱

車に真っ二つに踏まれてしまった事もあったな…😂

でも、完全に自己流で

こういうボウルみたいな所とかもなかったし👀

オーリー(ジャンプ技)とかも知らなかったので…

(つーか、オーリーって何?っていう時代か💦)

しかし、今のこどもたちはスゲーって思うわ😱

あの時代にオリンピック競技になっていたら

もっと夢が持てたのにとも思う✨

でも、スケボーしていると本当に楽しいし🎶

心がこどもの頃に戻れていいんだよなぁ☺️

…という訳ではないが、無力。。

海外にいる一日本人として思うこと。

今回は日本の能登で大地震の甚大な被害に見舞われている。

ニュースでみていて本当に悲惨な状況。

12年前に宮城県気仙沼の被災地にボランテイアに行ったことがあったが、

「車は流され 家は燃え尽き
 仕事をなくし 家族は戻らない
 すべてを失った人たちがいた

 それでも 彼らは
 一生懸命 生きている

 僕らは それを
 決して忘れてはいけない」

    とブログに書いていた。。

忘れてはいけない。。

石川県にも遠い親戚や知人もいるが大丈夫なのだろうか?

世界各地でも不幸なことが、多発している。

またか、ここも、あそこも、、いちいちため息が出るが、

当事者ではない我々は傍観者以外の何物でもない。

そのうち、心では何かを感じていても社会的に無反応になる、、

しかし、明日は我が身なり、かもしれない現実。

チェンライだったかもしれないし、東京だったかもしれない、、

そう考えると、結局いつかは自分の身にも降りかかってくる不幸。

他人の不幸は自分の不幸と考えるべきである。

聖書のマタイの5章に

「悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう」

とある。

すべての被災者の方々に慰めがありますよう、

能登半島の早急な支援と復興を祈っている。

今回はなんとチェンライから日本へ帰国?夢か現実か?✨

たまにゴッチャになってるTErUですが、、💦

それも京都市!自分は一応東京出身ですが、関西の京都です!🇯🇵

久々の日本、懐かしく良かったなぁ〜☺️

ところで、京都市ってあったっけ❓

【未来へ/สู่อนาคต (To the future) written by Kiroro】

Sung by Thai Tribe kids🎵北タイ少数民族の子供達が歌ってみた!

 

人生の分岐点、新たな旅立ち 先の見えない続く道 

不安を覚えながら、たたずんでいる 

今まで歩んできた道、振り返らずに 前を見て真っ直ぐに 

この道を歩いていこう さあ、未来へ向かって

A turning point in the life, It's a new journey.

The road that continues with no end in sight.

I'm feeling uneasy and standing still.

Yet, I don't looking back at the path I've taken until now.

Let's look ahead and walk straight on this path.

Now, head towards the future.

人生的轉捩點,新的旅程,一條看不到盡頭的路。

我忐忑不安地站在路途,但我不回頭看自己走過的路。

讓我們放眼未來,在這條路上一直走下去。現在,向未來邁進吧。

จุดเปลี่ยนของชีวิต การเดินทางครั้งใหม่

เส้นทางที่ดำเนินต่อไปอย่างไม่มีที่สิ้นสุด

รู้สึกไม่สบายใจก็ยืนนิ่งไม่หันกลับไปมองทางที่เดินมาจนถึงตอนนี้

มองไปข้างหน้าแล้วเดินตรงไปบนเส้นทางนี้กันเถอะมุ่งหน้าสู่อนาคต

中東情勢は大荒れである今日この頃。
アブラハムへの約束の地カナン(パレスチナ)は血みどろの争いが続いている。
アブラハム自身約4000年前にウル(現在のイラク)から神の約束を信じてカナンに移り住んできた。
パレスチナもガザなどに移り住んできた海の商人ペリシテ人の名にちなんだもの。
ところで、調べていたら、ハマスHamas(ヘブル語で虐殺)にはアマン(Aman)という軍参謀本部諜報局部門(合法)とイスラエル協力者を暗殺するアマンジハード(Aman Jihad)という非合法部門があった。
アマン(ハマン)といえば、エステル記(バビロン後のペルシャ時代)に出てくるアマレク人アガク王の子孫ハマンでペルシャ(現在のイラン)王の側近。王をそそのかしてユダヤ人抹殺計画を立てたユダヤ人の敵。
思うにハマスはその精神にちなんで命名したのもので、残虐性が過激化したのか?
ヤコブ(別名イスラエル)の兄エサウの子アマレクはアマレク人の祖先で、モーセ(イスラエル人)が出エジプトした時の最初の敵となった。
長旅で疲れているイスラエルの落伍者が後ろから惨殺され、イスラエル人は戦いに応戦した。
杖を上に挙げたモーセの腕が下がらないようアロンとフルが何とか支えながら、かろうじてヨシュアが勝利した接戦だったが、
以来、イスラエルの神である主ヤハウェの怒りを買い、主はアマレク人をイスラエル人の永遠の敵とされ、完全に滅ぼせと言われていた。
その後、再度イスラエルとの戦いの際、サウル王がアマレク人のアガグ王を生かしておいた為、
主の霊はサウル王から離れ王座は取り去られたくらい、アマレク人は敵視されていた。

後アマレク人は歴史上消えてしまったかと考えられていたが、

ハマスの怨念スピリットとなって復活しユダヤ人を抹殺しようとしているのだろうか。

憎しみの連鎖の存在とは死んでも続いていく本当に恐ろしいものだ。

現在では彼らはイスラム教のアラブ人となり、ユダヤ人(イスラエル)に敵対する。
でも、元を辿れば同じアブラハムの子孫、血の繋がった兄弟でもある。
モスリムはイシュマエル(アブラハムのもう一人の息子)を先祖と信じている。
アブラハム孫のイスラエル(ヤコブ)の兄エサウの子孫もモスリムとなっている。
モスリムが使用しているアラブ語とユダヤ人のヘブル語は、お互いコミュニケーション取れるくらい近い言語なのに犬猿の仲。同じアブラハムの唯一神なのに、ヤハウェとアラーを戦わせている。。
ヤコブ(イスラエル)の12人の子の一人ユダ(後のユダヤ人となる)の子孫であるイエス・​キリストは
ユダヤ人であったが、同胞のユダヤ人の嫉妬により迫害され十字架で死刑に処せられた。
ユダヤ人は旧約聖書で預言されている救い主メシア(ヘブル語で油注がれた者、ギリシャ語でキリスト)を待ち望んでいたのに、自分たちの利得の為にイエスがメシアであることを現在までずっと否定し続けてきた。
この生々しい事実が我々人類が生まれ持った罪であり、我々はそれを認識する必要がある。
その私たちの罪の為にイエスは十字架にかかって死なれたのであり、聖書が何よりもの証拠である。
​イエスはかつて言われた。「目には目を、歯には歯を」といわれているが、あなた方は勘違いしている。
右の頬を打たれたら左の頬を向けてやりなさい、それが本当の意味だと。(聖書マタイ5:38を参照)
​旧約聖書は決して復讐をせよと言っているのではないと。
​(旧約聖書時代の当時は、倍返しなど復讐が行われないよう目的で定められた法でもあった)
​すべての人が自分の罪を認めて悔い改め、イエスキリストの教えに従うなら、
この憎しみの連鎖を断ち切る解決の希望があると思う。
​これは、すべての国の民族に言えること。
ロシア人とウクライナ人にも、我々日本人と中国人や韓国人にも、同じことが言える。
憎しみの連鎖が存在する。過去の歴史は変えられない。
しかし、聖書はユダヤ人の例を通して我々に罪の深さを教えてくれる。
​イエスの十字架の愛による贖いと赦しがなければ、人類は救われることはないと思う。
 

 

「ありがとう」と伝えよう 日常に奇跡が起きる

Let’s say "thank you." The miracle will happen on this normal day.

「ありがとう」と伝えよう 夢が現実に変わる

Let’s say "thank you." The dream will become a reality.

財団の子供たちや家族が卒業や新たな旅立ちで別れがある中、

私たちの為に遠くから祈って見守っていてくださっている方々へ

そして、ここまで導いてくれた神様へ 「ありがとう!」と歌いたい。

While the children and families of the foundation are parting with graduation and new journeys, to those who are praying for us from afar and watching over us, and to God who led us this far, we want to sing "Thank you!"

กล่าวคำว่า "ขอบคุณ" ปาฏิหาริย์เกิดขึ้นในชีวิตประจำวัน

พูดว่า "ขอบคุณ" ความฝันกลายเป็นความจริง

ในขณะที่เด็กๆ และครอบครัวของมูลนิธิกำลังลาจากไปกับการสำเร็จการศึกษาและการเดินทางครั้งใหม่

ถึงผู้ที่อธิษฐานเพื่อเราจากระยะไกลและเฝ้าดูเรา

และแด่พระเจ้าผู้ทรงนำข้าพเจ้ามาไกลถึงเพียงนี้

ฉันอยากจะร้องเพลง "ขอบคุณ!"