わたしの三島由紀夫論『三島由紀夫・文学と事件』(D文学研究会刊/星雲社発売)

今年は三島由紀夫の生誕百年ということで文芸誌も三島特集を組んでいる。

わたしは現在、山川方夫論を執筆しているが、三島文学との共通性を感じないでもない。先日、二十年ぶりに自分の書いた『三島由紀夫・文学と事件』(D文学研究会刊/星雲社発売)を読み返した。この本に収録した「仮面の告白」論は二〇〇四年八月八日、留学先の韓国で書き始め、百八十枚ほど書いて九月一日に帰国、十一月十日に書きあげた。七百枚ほどの論考を三か月で書きあげたが、今は神経痛で仕事量は半減した。

わたしの三島論は「仮面の告白」論を書きあげたことで終わった。この作品に三島文学の本質が表現され切っているように思えたからである。

 



清水正の著作、D文学研究会発行の著作に関する問い合わせは下記のメール 
shimizumasashi20@gmail.com にお送りください


定価1800円+税  四六判上製258頁 書店、アマゾンで購入できます。

半世紀以上にわたってドストエフスキー論を書き続けている清水正の体験批評、解体・再構築批評の本源愛に迫る。

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清水批評の〈冒険〉の軌跡を日芸の先輩であり友である著者が独自の筆致で語る友愛あふれる労作

此経啓助著『文芸批評の冒険─清水正とわたし』に所収の「「全集」とアイデンティティの中に「周知のように、清水氏は学生時代からドストエフスキーを熱く語る批評家で、在学中に『ドストエフスキー体験』(清山書房・一九七〇年一月刊)という批評集を出している。私は当時、清水氏が現代に至るまで長く勤めることになった日本大学芸術学部文芸学科の特別研究生で、学科事務の雑用に追いまわされていた。もちろん、学生の文学論の挑発に乗るくらいの余裕はあったので、清水氏とドストエフスキーの作品をめぐって論じあったこともある。しかし、氏は私の浅薄な作品評をさっさと見限って、この処女批評集に収められている「カラマーゾフの兄弟」論の原稿一三八枚を私に手渡した。「先輩、しっかり読めよ」ということだったが、私は「ジャーナリズム論」の講師だった岡本博先生(故人)のゼミ雑誌「出入り自由」創刊号(一九七〇年二月刊)から連載できるように段取りして、しっかり読んだことにした。批評集とゼミ雑誌が相前後して出版されたことから推測して、私がはじめて清水氏の作品に接したのは六九年頃だったのだろう。今もって私は氏の読者として最低だが、本の見返しに「此経啓助様 清水正」と青インクで丁寧に記された『ドストエフスキー体験』を大切にしている」とある。

先日、拙宅に此経氏が来られた時に、わたしが氏に手渡したという「カラマーゾフの兄弟論」の話になり、枚数を確認するため書斎に赴き久しぶりに生原稿を手にした。実に五十五年ぶりである。当時は原稿はすべて手書きで、コピーはあまり普及していなかった。せっかくなので紹介しておく。ついでにわら半紙に赤インクで書いた「悪霊」論も紹介しておく。

「悪霊」論




目次

「私」とは何か――死と祈りを巡って〈批評生活〉五十五年――  清水正

Ⅰ マサシの空空空

 マサシ外伝

 マサシとドストエフスキー

 運命は神の面をつけるか――マサシの『浮雲』論――

 

Ⅱ 清水正

 「全集」とアイデンティティ  

 「あちら側」のドストエフスキー論 

 続・「あちら側」のドストエフスキー

 「世間」にとらわれない男

 続・「世間」にとらわれない男

 両眼を潰さないオイディプス王

 批評としての「スクラップ・アンド・ビルド」

 文学という出来事

 義理と公憤

 文芸批評の王道――夏目漱石から清水正へ――

 

Ⅲ 中心と周縁

 ドストエフスキー体験  

 ドラえもんとロボット  

 松原寛先生の遺伝子

 

あとがき――「と」が結んだ友誼――

 

 

此経啓助プロフィール)

  1942年7月2日、戦中の東京生まれ。幼年時代の環境から「焼け跡野原派」を自称する。58年、都立石神井高校入学。FENから流れるラブソングに夢中になる。62年、理工系の大学入試に全敗し、日本大学芸術学部文芸学科入学。文学青年をはじめて知る。66年、卒論「湯川秀樹に於ける自然認識の方法」を提出し、同学部卒業。特別研究生・副手をへて、70年、同学部助手。全共闘学生と教職員の間でオロオロする。74年、退職し、インドへ。「遅れてきたヒッピー」と「サドゥ―(乞食僧)」が同じに見えたので、長髪を切る。76年、インド国ビハール州立マガタ大学大学院講師。79年、帰国後、フリーランスのライターを経験し、85年、宗教考現学研究所設立・所長。仏教関係の書籍編集やイベントに携わる。2001年、日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。3年、同学部教授。以後、大学人として生きる。12年、同学部非常勤講師(定年延長)。20年のコロナ騒ぎのなか退職、現在に至る。

 [学術研究] 「小林秀雄におけるジイドの役割」(日本大学芸術学部紀要『芸術学』1号)、「明治時代の葬列とその社会的象徴性」(同『芸術学部紀要』40号)、「明治時代の文化政策と宗教政策」(同紀要41号)、「神道式墳墓とは何か1~14」(同紀要42~55号)。

 [著書など] 『アショカとの旅―インド便り―』(現代書館)、『明治人のお葬式』(現代書館)、『都会のお葬式』(NHK出版)、『仏教力テスト』(NHK出版)、『東京お寺も~で』(共著/日本地域社会研究所)、『日本人のお墓』(共著/日本石材協会)、『図録・大チベット展』(編集人/毎日コミュニケーションズ)、『国際人事典』(編集人/毎日コミュニケーションズ)、『セルフ・ヘルプ・ガイド 創刊号』(雑誌編集長/西北社)……多数。

 

此経啓助氏 2024年8月23日撮影 清水宅にて           清水正

今年一年を振り返ってみる。「日韓歌王戦」。『小説山川方夫伝 君も書いて行く以外ない男だよ』『文芸批評の冒険──清水正とわたし』の刊行。

今年一年を振り返ってみる。

5月23日 日韓歌王戦の動画を観る。歌心りえ・住田愛子をはじめて知る。特に歌心りえの歌った「道化師のソネット」には感動した。こんなすばらしい歌手が日本でほぼ無名であったことに驚く。日本の歌謡界はどうなっているのかと怒りの感情もわいたが、歌心りえの魂に響く歌声に心が永遠のかなたへと向かった。十時間以上、聴き続けた。これはもう無限の悲しみを包み込んだ祈りである。住田愛子は日韓両国の歌謡界を背負う有望な新人、将来が楽しみな逸材である。

7月31日 アマゾンで頼んでおいた山崎行太郎氏の『小説山川方夫伝 君も書いて行く以外ない男だよ』(反時代出版)が届く。山川方夫の名前はすでに50年前、近藤承神子氏から聞いて知っていたが、どういうわけか読むことがなかった。山崎氏の著作は30年前に「すばる」に発表した評伝と集英社文庫『夏の葬列』『安南の王子』の解説、年譜などによって構成されている。心がざわついたので、早速、ヤフオクで冬樹社全集五巻本を入手した。山崎氏の本は8月2日に読み終わり、8月3日から山川論を書き始めた。『最初の秋』『海岸公園』の二作品を中心とした批評である。かなりの枚数を書きあげたが、本日、新しく購入したポメラ100の操作ミスによって50枚ほど消失した。久しぶりの失態であるが、別に締切日もないので、マイペースで書き続けていこうと思っている。山川は34歳の若さで交通事故で死んでいるが、彼の小説は75歳のわたしに批評衝動を起こさせる妙な力を持っている。山崎氏の評伝は感動的な著作であり、多くのひとに読んでもらいたいと思う。

9月30日 此経啓助氏の『文芸批評の冒険──清水正とわたし』(鳥影社)が刊行される。『清水正ドストエフスキー論全集』の栞に寄せた原稿と、わたしの10冊に及ぶ林芙美子論(その大半は芙美子の『浮雲』に関する批評)に関するポリフォニックなエッセイを中心にまとめている。わたしの膨大な『浮雲』論を読破しているのはおそらく此経啓助氏のほかには、いても一人か二人だろう。わたしはながい付き合いの日芸の先輩である氏に、ぜひとも『浮雲』論の感想を書いてもらいたかった。文学が同時代の人たちに即理解されるなどということはまずない。わたしは『浮雲』論を10年かけて書き終わった時、芙美子と二人きりで乾杯した。眼前に生きた芙美子はいなくとも、作品で永遠の命を獲得している芙美子は存在するのである。この芙美子と二人きりの席に此経氏にも参加してもらいたい、そんな気持ちがはたらいて原稿を依頼したのである。10月6日、午後5時から9時過ぎまで日芸関係者8人が集まり、我孫子の「コビアン2」で此経氏を囲んでささやかな出版記念会を開いた。

 

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清水批評の〈冒険〉の軌跡を日芸の先輩であり友である著者が独自の筆致で語る友愛あふれる労作

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先日、拙宅に此経氏が来られた時に、わたしが氏に手渡したという「カラマーゾフの兄弟論」の話になり、枚数を確認するため書斎に赴き久しぶりに生原稿を手にした。実に五十五年ぶりである。当時は原稿はすべて手書きで、コピーはあまり普及していなかった。せっかくなので紹介しておく。ついでにわら半紙に赤インクで書いた「悪霊」論も紹介しておく。

「悪霊」論




目次

「私」とは何か――死と祈りを巡って〈批評生活〉五十五年――  清水正

Ⅰ マサシの空空空

 マサシ外伝

 マサシとドストエフスキー

 運命は神の面をつけるか――マサシの『浮雲』論――

 

Ⅱ 清水正

 「全集」とアイデンティティ  

 「あちら側」のドストエフスキー論 

 続・「あちら側」のドストエフスキー

 「世間」にとらわれない男

 続・「世間」にとらわれない男

 両眼を潰さないオイディプス王

 批評としての「スクラップ・アンド・ビルド」

 文学という出来事

 義理と公憤

 文芸批評の王道――夏目漱石から清水正へ――

 

Ⅲ 中心と周縁

 ドストエフスキー体験  

 ドラえもんとロボット  

 松原寛先生の遺伝子

 

あとがき――「と」が結んだ友誼――

 

 

此経啓助プロフィール)

  1942年7月2日、戦中の東京生まれ。幼年時代の環境から「焼け跡野原派」を自称する。58年、都立石神井高校入学。FENから流れるラブソングに夢中になる。62年、理工系の大学入試に全敗し、日本大学芸術学部文芸学科入学。文学青年をはじめて知る。66年、卒論「湯川秀樹に於ける自然認識の方法」を提出し、同学部卒業。特別研究生・副手をへて、70年、同学部助手。全共闘学生と教職員の間でオロオロする。74年、退職し、インドへ。「遅れてきたヒッピー」と「サドゥ―(乞食僧)」が同じに見えたので、長髪を切る。76年、インド国ビハール州立マガタ大学大学院講師。79年、帰国後、フリーランスのライターを経験し、85年、宗教考現学研究所設立・所長。仏教関係の書籍編集やイベントに携わる。2001年、日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。3年、同学部教授。以後、大学人として生きる。12年、同学部非常勤講師(定年延長)。20年のコロナ騒ぎのなか退職、現在に至る。

 [学術研究] 「小林秀雄におけるジイドの役割」(日本大学芸術学部紀要『芸術学』1号)、「明治時代の葬列とその社会的象徴性」(同『芸術学部紀要』40号)、「明治時代の文化政策と宗教政策」(同紀要41号)、「神道式墳墓とは何か1~14」(同紀要42~55号)。

 [著書など] 『アショカとの旅―インド便り―』(現代書館)、『明治人のお葬式』(現代書館)、『都会のお葬式』(NHK出版)、『仏教力テスト』(NHK出版)、『東京お寺も~で』(共著/日本地域社会研究所)、『日本人のお墓』(共著/日本石材協会)、『図録・大チベット展』(編集人/毎日コミュニケーションズ)、『国際人事典』(編集人/毎日コミュニケーションズ)、『セルフ・ヘルプ・ガイド 創刊号』(雑誌編集長/西北社)……多数。

 

此経啓助氏 2024年8月23日撮影 清水宅にて           清水正

此経啓助著『文芸批評の冒険─清水正とわたし』(鳥影社)が刊行されました。

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「悪霊」論




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「私」とは何か――死と祈りを巡って〈批評生活〉五十五年――  清水正

Ⅰ マサシの空空空

 マサシ外伝

 マサシとドストエフスキー

 運命は神の面をつけるか――マサシの『浮雲』論――

 

Ⅱ 清水正

 「全集」とアイデンティティ  

 「あちら側」のドストエフスキー論 

 続・「あちら側」のドストエフスキー

 「世間」にとらわれない男

 続・「世間」にとらわれない男

 両眼を潰さないオイディプス王

 批評としての「スクラップ・アンド・ビルド」

 文学という出来事

 義理と公憤

 文芸批評の王道――夏目漱石から清水正へ――

 

Ⅲ 中心と周縁

 ドストエフスキー体験  

 ドラえもんとロボット  

 松原寛先生の遺伝子

 

あとがき――「と」が結んだ友誼――

 

 

此経啓助プロフィール)

  1942年7月2日、戦中の東京生まれ。幼年時代の環境から「焼け跡野原派」を自称する。58年、都立石神井高校入学。FENから流れるラブソングに夢中になる。62年、理工系の大学入試に全敗し、日本大学芸術学部文芸学科入学。文学青年をはじめて知る。66年、卒論「湯川秀樹に於ける自然認識の方法」を提出し、同学部卒業。特別研究生・副手をへて、70年、同学部助手。全共闘学生と教職員の間でオロオロする。74年、退職し、インドへ。「遅れてきたヒッピー」と「サドゥ―(乞食僧)」が同じに見えたので、長髪を切る。76年、インド国ビハール州立マガタ大学大学院講師。79年、帰国後、フリーランスのライターを経験し、85年、宗教考現学研究所設立・所長。仏教関係の書籍編集やイベントに携わる。2001年、日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。3年、同学部教授。以後、大学人として生きる。12年、同学部非常勤講師(定年延長)。20年のコロナ騒ぎのなか退職、現在に至る。

 [学術研究] 「小林秀雄におけるジイドの役割」(日本大学芸術学部紀要『芸術学』1号)、「明治時代の葬列とその社会的象徴性」(同『芸術学部紀要』40号)、「明治時代の文化政策と宗教政策」(同紀要41号)、「神道式墳墓とは何か1~14」(同紀要42~55号)。

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此経啓助氏 2024年8月23日撮影 清水宅にて           清水正

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六九年頃だったのだろう。今もって私は氏の読者として最低だが、本の見返しに「此経啓助様 清水正」と青インクで丁寧に記された『ドストエフスキー体験』を大切にしている」とある。

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此経啓助著『文芸批評の冒険─清水正とわたし』に所収の「「全集」とアイデンティティの中に「周知のように、清水氏は学生時代からドストエフスキーを熱く語る批評家で、在学中に『ドストエフスキー体験』(清山書房・一九七〇年一月刊)という批評集を出している。私は当時、清水氏が現代に至るまで長く勤めることになった日本大学芸術学部文芸学科の特別研究生で、学科事務の雑用に追いまわされていた。もちろん、学生の文学論の挑発に乗るくらいの余裕はあったので、清水氏とドストエフスキーの作品をめぐって論じあったこともある。しかし、氏は私の浅薄な作品評をさっさと見限って、この処女批評集に収められている「カラマーゾフの兄弟」論の原稿一三八枚を私に手渡した。「先輩、しっかり読めよ」ということだったが、私は「ジャーナリズム論」の講師だった岡本博先生(故人)のゼミ雑誌「出入り自由」創刊号(一九七〇年二月刊)から連載できるように段取りして、しっかり読んだことにした。批評集とゼミ雑誌が相前後して出版されたことから推測して、私がはじめて清水氏の作品に接したのは六九年頃だったのだろう。今もって私は氏の読者として最低だが、本の見返しに「此経啓助様 清水正」と青インクで丁寧に記された『ドストエフスキー体験』を大切にしている」とある。

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「悪霊」論




目次

「私」とは何か――死と祈りを巡って〈批評生活〉五十五年――  清水正

Ⅰ マサシの空空空

 マサシ外伝

 マサシとドストエフスキー

 運命は神の面をつけるか――マサシの『浮雲』論――

 

Ⅱ 清水正

 「全集」とアイデンティティ  

 「あちら側」のドストエフスキー論 

 続・「あちら側」のドストエフスキー

 「世間」にとらわれない男

 続・「世間」にとらわれない男

 両眼を潰さないオイディプス王

 批評としての「スクラップ・アンド・ビルド」

 文学という出来事

 義理と公憤

 文芸批評の王道――夏目漱石から清水正へ――

 

Ⅲ 中心と周縁

 ドストエフスキー体験  

 ドラえもんとロボット  

 松原寛先生の遺伝子

 

あとがき――「と」が結んだ友誼――

 

 

此経啓助プロフィール)

  1942年7月2日、戦中の東京生まれ。幼年時代の環境から「焼け跡野原派」を自称する。58年、都立石神井高校入学。FENから流れるラブソングに夢中になる。62年、理工系の大学入試に全敗し、日本大学芸術学部文芸学科入学。文学青年をはじめて知る。66年、卒論「湯川秀樹に於ける自然認識の方法」を提出し、同学部卒業。特別研究生・副手をへて、70年、同学部助手。全共闘学生と教職員の間でオロオロする。74年、退職し、インドへ。「遅れてきたヒッピー」と「サドゥ―(乞食僧)」が同じに見えたので、長髪を切る。76年、インド国ビハール州立マガタ大学大学院講師。79年、帰国後、フリーランスのライターを経験し、85年、宗教考現学研究所設立・所長。仏教関係の書籍編集やイベントに携わる。2001年、日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。3年、同学部教授。以後、大学人として生きる。12年、同学部非常勤講師(定年延長)。20年のコロナ騒ぎのなか退職、現在に至る。

 [学術研究] 「小林秀雄におけるジイドの役割」(日本大学芸術学部紀要『芸術学』1号)、「明治時代の葬列とその社会的象徴性」(同『芸術学部紀要』40号)、「明治時代の文化政策と宗教政策」(同紀要41号)、「神道式墳墓とは何か1~14」(同紀要42~55号)。

 [著書など] 『アショカとの旅―インド便り―』(現代書館)、『明治人のお葬式』(現代書館)、『都会のお葬式』(NHK出版)、『仏教力テスト』(NHK出版)、『東京お寺も~で』(共著/日本地域社会研究所)、『日本人のお墓』(共著/日本石材協会)、『図録・大チベット展』(編集人/毎日コミュニケーションズ)、『国際人事典』(編集人/毎日コミュニケーションズ)、『セルフ・ヘルプ・ガイド 創刊号』(雑誌編集長/西北社)……多数。

 

此経啓助氏 2024年8月23日撮影 清水宅にて           清水正

此経啓助氏が『文芸批評の冒険──清水正とわたし──』(2024年9月30 鳥影社)を刊行しました。

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「私」とは何か――死と祈りを巡って〈批評生活〉五十五年――  清水正

Ⅰ マサシの空空空

 マサシ外伝

 マサシとドストエフスキー

 運命は神の面をつけるか――マサシの『浮雲』論――

 

Ⅱ 清水正

 「全集」とアイデンティティ  

 「あちら側」のドストエフスキー論 

 続・「あちら側」のドストエフスキー

 「世間」にとらわれない男

 続・「世間」にとらわれない男

 両眼を潰さないオイディプス王

 批評としての「スクラップ・アンド・ビルド」

 文学という出来事

 義理と公憤

 文芸批評の王道――夏目漱石から清水正へ――

 

Ⅲ 中心と周縁

 ドストエフスキー体験  

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此経啓助プロフィール)

  1942年7月2日、戦中の東京生まれ。幼年時代の環境から「焼け跡野原派」を自称する。58年、都立石神井高校入学。FENから流れるラブソングに夢中になる。62年、理工系の大学入試に全敗し、日本大学芸術学部文芸学科入学。文学青年をはじめて知る。66年、卒論「湯川秀樹に於ける自然認識の方法」を提出し、同学部卒業。特別研究生・副手をへて、70年、同学部助手。全共闘学生と教職員の間でオロオロする。74年、退職し、インドへ。「遅れてきたヒッピー」と「サドゥ―(乞食僧)」が同じに見えたので、長髪を切る。76年、インド国ビハール州立マガタ大学大学院講師。79年、帰国後、フリーランスのライターを経験し、85年、宗教考現学研究所設立・所長。仏教関係の書籍編集やイベントに携わる。2001年、日本大学芸術学部文芸学科非常勤講師。3年、同学部教授。以後、大学人として生きる。12年、同学部非常勤講師(定年延長)。20年のコロナ騒ぎのなか退職、現在に至る。

 [学術研究] 「小林秀雄におけるジイドの役割」(日本大学芸術学部紀要『芸術学』1号)、「明治時代の葬列とその社会的象徴性」(同『芸術学部紀要』40号)、「明治時代の文化政策と宗教政策」(同紀要41号)、「神道式墳墓とは何か1~14」(同紀要42~55号)。

 [著書など] 『アショカとの旅―インド便り―』(現代書館)、『明治人のお葬式』(現代書館)、『都会のお葬式』(NHK出版)、『仏教力テスト』(NHK出版)、『東京お寺も~で』(共著/日本地域社会研究所)、『日本人のお墓』(共著/日本石材協会)、『図録・大チベット展』(編集人/毎日コミュニケーションズ)、『国際人事典』(編集人/毎日コミュニケーションズ)、『セルフ・ヘルプ・ガイド 創刊号』(雑誌編集長/西北社)……多数。

 

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随想 空即空(連載218)

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随想 空即空(連載218

清水正  

 

 わたしがまず注目したのは亡き夫ロマンの友人〈アファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシン〉である。このロジオン一家の故郷リャザン県ザライスクで〈商売〉をしていた男はプリヘーリヤによって〈いい方〉(добрый человек)と書かれている。プリヘーリヤが敢えて〈いい方〉などと書いているのが怪しいわけだが、わたしがこの男について?と思ったのは、この名前が米川正夫訳では〈ヴァシーリイ・イヴァーヌイチ・ヴァフルーシン〉となっていたからである。米川正夫がテキストにした原典『罪と罰』でどうなっていたのか分からないが、アカデミヤ版全集では〈アファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシン〉となっている。

 〈アフアナーシイ〉(Афанасий)という名前はギリシャ起源で〈бессмертие〉(不死、不滅。不朽の名声)を意味する。謂わば最高級の名前と言っていいが、ドストエフスキーの場合、だからこそ要注意なのである。ここでは一つだけマルメラードフの語るイワン閣下を思い出しておけばいい。マルメラードフは「生神さま」とまで言ってイワン閣下を最大限に持ち上げている。『罪と罰』の読者はこのマルメラードフの道化の過ぎた讃美を真に受けて、イワン閣下の闇(淫蕩)の側面を看過してしまった。イワン閣下こそは銀貨三十ルーブリでソーニャの処女を買った、ペテルブルク中で誰一人知らない者がいないほどの淫蕩漢であった。

 書かれたテキストの表層をなぞっているだけでは、こういった事の〈真相〉は隠れたままだが、テキスト発掘の方法と直観を磨けば驚くべき地層が露わになる。わたしは〈アファナーシイ〉という名前と、父称〈イワーノヴィチ〉(Иванович)に注目し、この〈商売人〉が〈イワンという淫蕩漢の息子〉という意味を隠しているのではないかと思ったのである。もちろんこれは一つの解釈に過ぎないわけで、これを〈真実〉と断言するつもりはないが、しかしこの解釈を採用すると、プリヘーリヤという母親の生きている実態がかなりのリアリティを持つことになる。

 

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随想 空即空(連載217)

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随想 空即空(連載217)

清水正  

 

 『罪と罰』の至る所にお金の話しが出てくる。ロジオンがアリョーナ婆さんを訪ねて質入れしたとき手に入れた金額や利子などきちんと書かれている。その他、ロジオンが下宿の女将プラスコーヴィヤに借りていた金額、ラズミーヒンがロジオンのために買った服装や帽子などの金額、マルメラードフの給料、ソーニャが初めて身売りしたときの金額、ルージンがソーニャに冤罪事件を仕掛けたときの金額など、実に丁寧に書き記している。にもかかわらず、どういうわけか大学受験料、授業料、バイト代、下宿代などについては書かれていない。従って読者はロジオンの貧乏生活の実態を具体的に知ることはできない。ロジオンが大学をやめた理由もよく分からない。授業料未納につき除籍処分になったのか、それとも一定期限までに授業料を納めれば復学も可能だったのか。当時の大学制度を知っている読者であれば、こんな説明はいらないだろうが、百年以上も経った異国の読者にとっては是非とも書いておいてほしかったものである。

  プリヘーリヤは先に引用した手紙の続きを次のように書いている。

 

 おまえが生活費にも事欠いて、もう数カ月も大学へ行かれず、家庭教師やそのほかの口もなくなってしまったと知ったとき、私の驚きはいかほどだったでしょう! でも、年に百二十ルーブリの年金をいただいている身で、どうして私におまえの援助ができましょう? 四カ月前にお送りした十五ルーブリも、ご存じのとおり、この年金を抵当に、当地で商売をされているアファナーシイ・イワーノヴィチ・ワフルーシンさんからお借りしたものでした。あの方はいい方で、お父さまのお友達でもあった方です。けれど、年金受領の権利をあの方にお譲りしてしまったので、借金の返済がすむまで、待たねばなりませんでした。それが今度やっとすんだようなわけで、その間ずっと、おまえに何も送れなかったのです。けれど今度は、おかげさまで、おまえにも送金ができそうです。(上・68~69)

 

 老若男女のすべてが高利貸しの真似事をしていると揶揄されたロシア十九世紀中葉、レベジャートニコフに言わせれば「功利主義の本国イギリスでは同情などというものは学問上ですら禁じられている」という時代にあっては、ロマンの善良な友人であってすら貸し金に利息を取るのは当たり前であったということなのであろう。が、ここには例によって何か仕掛けが潜められているようにも思える。プリヘーリヤの手紙の書き方はそうでなくても意味深で独特の癖を持っている。

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