人間は肉体生命を維持するために食事をします、思ったり行ったり日常的な生活を送ろうとするとエネルギーを要します、これは当たり前のことで否定される方はいないと思います。

食べないと肉体は死にます。

 

心はどうでしょうか何かを考える、何かを思うということはこれもエネルギーを消費しています、肉体の食べ物の場合エネルギーだけでは無く栄養になる要素は色々ありますね。

そうして食べたものは胃や腸で必要な養分を吸収されたのち排泄物となって大小便となり排泄されます、この排泄が上手く出来ない便秘症の人や排尿障害の人もいますね。

これ出なかったら大変なことになるのです健康な日々を送ることは不可能です。

 

食べる一方で一切排泄しなくとも平気な人はいません、排泄される物の中には毒性の物が存在します人間や動物の体は良く出来ていて必要な成分を肉体に取り入れた後には毒性を含む物は体外に排出するようになっていて肉体の健全性を保っているのです。

これまでの話の内容について異論はありますか・・・・・

 

そこで心、精神はどうか考えてみてください、日常では色々なことが生じます、人との関係においてまた自身の欲望や喜怒哀楽、思う事行う事には肉体の食事と同じように心に色々食べるのです、良いことも悪いことも、何も考えないで無念無想で生きれる人はいません。

禅道では無念無想になれと教えていますが一日中それができますか、一ヶ月できますか、

無理ですね。

 

良いにつけ悪いにつけ心には色々なことが浮かんだり思ったりしますね。

これは心に食事しているのではないでしょうか、心にとって良い栄養素は残し他の毒になるものは排泄しないとどんどん毒が溜まります、その結果は病気になります、肉体にも影響を及ぼします、何故なら色心不二なのですから互いに影響し合います。

 

精神的な病気も肉体的な病気も両方から影響し合っているのです。

最も精神的な病気の場合は比率的に心に溜めた毒の影響が大きいようですが、いずれにしましても入れたものは出すということが必要になっているのが自然界の仕組みであります。

人間は自然の仕組みの掟の中でこそ生きることが出来るのです、自然の仕組みを逸脱して生きることが許されていないのです。

 

肉体の食事は皆さん気を付けて生活されています。

ところが心の方はどうですか心の三毒と言われる、怒り、愚痴、欲望それらを心の中に持ったままでいませんか、それらの毒は排泄しないと肉体も精神もおかしくなり果ては病気になるかも知れません、心の毒は排泄に一寸コツが必要です、毒を食べてしまった場合その毒を排泄するには反省が必要です、それが排泄行為なのです。

 

こんなこと思ってしまった、こんなことしてしまったこれは悪いことだと自分で思って只単に悪かったと思うだけでも少しは排泄できるかも知れませんが時間がたつと又同じ思いや行為を繰り返してしまうことありませんか、これは自分の個性だ癖だからしょうがないんだと言い訳する人が多いですね、それでその結果苦しい思い悩むことを抱えるのはご自身です。

 

肉体の便秘はどうしようも無いほど重症だと病院で薬剤を使用して強制排泄されますね。

でも心に溜まったものはそのように人の手を借りて強制排泄できないのです。

 

全ては自分自身でするしかありません、精神科のドクターがしてくれると思う人がいるかも知れませんがドクターは手助けの一助にはなっても肉体の時のように薬剤で全部出してしまうようなことはできません。

心の中に手を突っ込んで手術することは誰にも出来ません。

勿論ゴッドの神でさえ出来ないのです。

そんな面倒なことは嫌だ、愚痴や怒り妬み、欲望、悪いと思われることをしても何も自分には影響がないから大丈夫だと軽く考えている方が殆どですね、でも畑や庭の草取りをしないでおくと雑草がびっしり生えてしまい草を取ろうとすると大変な苦労が必要です。

その状態はこの世で起きるかあの世に帰った後に起きるか何れにしても悪い種を蒔いたのは自分自身ですから生えてきたよからぬものを刈り取り処分するのも自分自身でしか出来ません、何故なら自分の心の畑に入れるのはたった一人です、自分でしかないのです。

 

もし不法侵入してくる者がいたのならばそれは悪霊です、そのような者に乗っ取られないためにも反省行為で余分な為にならないものは排泄してすっきりすると肉体も心も軽く気持ち良い生活が出来ます。

 

便秘人生からの脱出をどうかしてください。