今日は皆さんが日常無くてはならないものに関係したお話をさせていただきます。

ちょっと専門的な話になります。

それは無線電波に関することです、スマホ、テレビ、ラジオ、現代はあらゆる環境において無線電波が使用されています。

 

その無線通信機には送信機と受信機があります。

テレビやラジオは受信機です、スマホは送受信両方です。

それを双方向通信と言います、その無線を使用するシステムには色々な技術的専門用語が存在します。

その中に「SWR」というものがあります、Standing Wave ratio 日本語では定在波比と言います。

 

無線機には電波を送信するためにアンテナが必要です、受信する側にもアンテナが必要です。

今お使いのスマホにはアンテナは無いよと思われるかも知れませんが機器の中に格納されているため見えないだけでアンテナはあります、なければ送信も受信も不可能です。

 

それはさておきこのSWRとは何かと言いますとアンテナに給電するにはスマホのような電波の出力アンプとアンテナの距離が非常に短い場合と電波の中継設備のように機器とアンテナとの間に距離がり伝送ケーブルが存在する場合があります。

 

有線テレビや光テレビと違い屋根の上にテレビアンテナが立っている場合何メートルかの同軸ケーブルというものが使用されてアンテナで受信した電波信号をテレビまで送っています、身近にありますね。

スマホの中のプリント基板上に作られたアンテナと電波出力回路との間は短くともパターンで繋がっています。

 

ケーブルやアンテナ等にはインピーダンスと言うものが存在しますインピーダンスについて説明すると長くなりますから省略しますがアンテナとケーブルのインピーダンスに差があるとそのケーブル上に定在波と言うものが生じます。

 

終端がケーブルとマッチングしていれば電波のエネルギーは全部アンテナを通じて空間に出ていきますが、違いがある場合は進行波に対して反射波が生じそれが伝送路で進行波を打ち消したりする作用が生じます電波出力が弱くなるのです。

その数値比を定在波比、SWRと言うのです。

 

何故正法の話にそのSWRが関係あるか考えてみてください、10の送信エネルギーを出しても実際は反射されて打ち消され8や5になってしまうのです。

 

色々な意味で意識エネルギーにもSWRが存在するのではないでしょうかそれは意識エネルギーの無駄使いでしかありません。

 

行為にはまず思念が必要です、その意味において意識エネルギーは根本的な大切なものです。

 

どれだけ本を読もうと講演音声を聞こうと心のどこかで疑って否定的な心が働くと知識だけ多くを得ても自分の心の向上には寄与しないことになります。

 

高橋信次先生の教えに触れた方々は過去に何万人もいらっしゃったでしょうが教えを否定する方や一時信じたけれど理想論だとして他の新興宗教に走った方々が非常に多いのも確かです。

 

自分の心の中には過去世からのカルマや間違った教えを受け洗脳された教えも残っていて本来生れ出る前に天上界に戻り修正した筈なのにどうしても残ってしまうそれがカルマなのです。

 

又、今生においても生まれ育った環境や習慣刷り込まれた間違った思い方、他の宗教に入団した時に受けた間違った法が心の中に存在する人も多いと思います。

 

そうしますと釈迦や信次先生が説かれた法を正しいと信じながらも自分で気づかず反発や抵抗をもって勝手な思いで否定する心を持ち勝手な解釈をして自己肯定をしてしまう人もいます。

 

それはまさしく正しい法と言うエネルギーを頂きながら一部自分の都合の良いところだけ受け入れて他は受け入れないで反発する。

これはSWRそのものでは無いでしょうか。

 

また先生がご生前中にはGLAの講師や高弟と言われ自他ともにそのような方々が多くおられたのですが信次先生の教えと違うことを会員に教えるようなこともあったと村上和尚からは聞き及んでいました。

 

違うことは反射波エネルギーと同じです、増上慢になられた講師の方々は信次先生亡き後自分で教団を作られたりした方もおられたのですが中には他の新興宗教に走られた方々も多かったのです。

信次先生の法を心の底から信じていたならば論理的に考えれば全く持って矛盾に満ちた他の教祖の教えに帰依することは無い筈です。

 

先生の生前中から心のどこかに抵抗するものがあったからこそ他の団体に走るようなことになった筈です。

 

また自分で教団を作り信者を集めて大々的に布教活動をされた元高弟とよばれた方々も信次先生の教えと違う自説をとなえ信者に教えていた人が多かったのです。

それは正しくSWRの反射エネルギーそのものです。

 

正しい法を曲げる行為はインドの当時にブッタが説かれた法が曲げられて今世に存在しなかったのと同じことを繰り返し行ったのです。

 

言い訳はできません、口から出た言霊は自分で訂正しなければずっと残ります。

エネルギーとしても又現在には音声や動画また書籍として残り続けるのです。

 

過って信次先生が仰った日蓮の話がありますね、日蓮は自分が教えた間違いの責任を取るために死して後700年もの長きに渡りあの世の入り口に留まり自分の間違いの教えを信じた信者が亡くなってくるのを待って教えの訂正をするためだったのです。

 

法を曲げるということは大変なことなのです自己顕示欲や増上慢で済まされる軽い話ではありません。

 

自分一人が信次先生の教えの一部に反発したり、抵抗を持つことは一人の問題ですが多くの人にその自己流の法を伝えることはより大きな責任を負うことになるのです。

 

疑問を持つことは間違いではありません、疑問=否定では答えに到達できません。

 

しかし自分で正しいと思う答えが本当に正しいのか何度も答え探しをしてそれでも大悟されたブッタや信次先生の得られた答えに遠く及ばないとしたらどうしますか?どうするかそれはご自分で決めるしかありません。