蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

時空を越える繋がり

2024-04-23 | 読む人々には興味ない話
仏蘭西に、血のつながらない、戸籍の上では無関係の、乳母とかも全く別の(乳きょうだいではない)、弟が住んでいる。
正しく言うと、「弟のような人」。
日常も、まるで別の生活をし、同窓だとか、同僚とか、仕事がらみだとか、まるっきり関わりがない。
強いて言えば、趣味が同じ。
ほんの少し、弟(のような人)のほうが後輩。
最近、シニアワールドから歓迎のキツイ、プレゼントを受けたそうだ。
ようこそ。
お待ちしていました、と。
わたしは、シニアワールドの先輩でもある。

それはそうと。
ハワイに、血のつながらない親戚が住んでいる。
面識も、お付き合いも、名前も知らないが、親戚であることは事実だ。
いきなりハワイに行って、空港で「ハロー」と迎えに来てください、と絶対に言えない。
でも、一応、本当に親戚。
まだ親戚歴は2年10ヶ月。
いたって短い。
一生、逢うことはないだろう。
ケンカしているわけでも、絶縁しているわけでもない。
直接、接点がないだけだ。

人の繋がりは面白い。
親子や、きょうだい、血の繋がりもあるし、姻戚関係の繋がりもある。
姻戚関係は、離婚したらキレイにぷつんと切れる。
死別の場合は、ケース・バイ・ケースだろう。

ちなみに。
わたしは、自分のルーツより、夫側のルーツに興味がある。
自分のルーツは、あまり多くを語り継がれていないため、ネタが少ない。
それに比べると、夫側は資料があって、研究材料には持ってこい。
物証も、語り継ぎも、言い伝えも、伝承も、いろんな角度から検証出来る。
おそらく、中継ぎのピッチャーみたいな人の活躍までを、バトンを渡したり、受けたりする際に、詳細に正確に伝えたのだろう。
とは言え、そんなに多くはない物証から、わたしが物証と物証を繋ぎ合わせ、想像していくのだが。
電車の時刻表だけを見て、国内旅行をしているようなものだ。
マニアにはそれも楽しい。
想像して組み立て、立体化していく。

ではあるものの、よく知らないことが多い。
過去に色々見聞きしたことがあるお年寄りの関係者の皆さんの記憶力がまだあるうちに、聞き取り調査をしたいものだ。

ところで。(話は長くなる)
わたしの末子が2歳の時、末子は肺炎、わたしは喘息で、共に入院した。
夫の実家近くの、地方の医大系病院の分院。
親子一緒の4人部屋、しかもそこは、老人病棟だった。
小児科と内科と老人科(こんな科はあるのかどうか知らないが、今、調べてみると「老年病科」というらしい)の合同混ぜこぜ病室。
さすが、いなか。地域密着型。
もう一人の高齢女性が同室に入院していた。
このおばあさんは、話を聞いてみると親戚だった。
夫の実家の3代前の明治初期の分家の子孫と結婚した人の母親。ややこしい。
(でも家は近く)
夫の父の父の父の弟の、、、、と説明を書いていたら、読む側は絶対に理解できないだろうと思い、削除した。
ではあるものの、しつこく、説明に再チャレンジ。
同病室のおばあさんは、昔の分家の娘さんの、お婿さんの、親。(=姑)
そのおばあさんが言うには、、、。
おばあさんが小さい頃?あるいは若い頃?に聞いたと思われるが、夫の家、今から4代前の嫁に関する人物評。
お客さんによって、七色の声を使い分ける、商売上手な女性だったそうだ。
この女性は、わたしの生まれた年からちょうど100年前に生まれている。
わたしより100歳、年上。
その人の話を、37年前に入院病室でしてくれたわけだが、、、
その時、一緒に入院していた、当時2歳の末子は、今、2歳の子供がいる。

話が古すぎる、、、
ぴたりと時が止まったような話を書きながら、わたしはいつの人間で、どの時代に生きているのだろうと思ってしまった。

というか、話を元に戻そう。
人の繋がりは面白い、という話だった。
時空を超えることもあるし、超えないこともある。
今だけ、ココだけ、一瞬、瞬間だけ。
そういうのもある。





人付き合いがヘタ

2024-04-22 | お付き合い
わたしは、人付き合いするにあたって、理想がある。
それは、わたしより知的な面が上で、経済感覚が同じであること。
年齢はいくら歳を取っていても可。
見た目は、全く問わない。
年齢不問、見た目不問、、、かなり範囲が広い。
であるものの、最初の2項目が結構、難関となり、一致しそうでしない。
変にこだわりがあるため、微妙な違いが気になる。
わたしは、人をおおらかに包み込めるほどの包容力がない。

最初は門戸が広く誰でもオッケーなのだが、徐々に、考え方や感性の違いが癇に障ってきたら、アウト。
修正のしようがない。
だが、その時は距離感を修正するとよい。
考え方や感性は、今まで生きてきたことの集大成なので、そう、ちょっとやそっとでは変わらない。
柔軟性を持つか、何も期待しないか、である。
拒絶せずに、双方には違いがあることを認めた上で、別々に進む。
あっさり、外側だけで接するとよい。
摩擦部分は、常識を働かせて冷静に対処して補う。
あまり深く突っ込まないことがお互い、一番、害がない。
うわべだけのお付き合いという、軽いものになってしまうが、致し方ない。
広く浅く、さらっと付き合うのが良い。

特にわたしのように、付き合い下手な、良好な人間関係を結ぶのが苦手な人間には、当たり障りがないほうが気楽。
得るものも少ないが、失うものも少ない。
ローリスク、ローリターン。
今更、この年齢になって、考え方を変えて、行動を変えるのは、かなりハードである。


その代わり、といってはなんだが、実社会でリアル友人はなかなか成立しないが、実際にちょっとだけ何度か会った人で、その後、インターネットやLINEで長くお付き合いするケースは少なくない。
わたしは、トップとボトムの差が激しいため、リアル生活での接点はなかなか見つけにくい。
トップに共通点があっても、他の面がまるで釣り合いが取れない。
ボトムに共通があっても、同じく他の面が違い過ぎて調整できない。
うまく、バランスを取るか、接点だけで繋がり、その他は目をつぶるか。

そういう実社会の、人とあまり接しない事情があるからか、ドキュメンタリー番組や、動物物語で、涙を流したり、映画のワンシーンで泣けてきたり。
あちこちで感動する。
とは言え、実社会でも人間関係が上手く行かず、涙がポロポロ溢れることも、いまだに何度もある。

自分を取り巻く世界は、所詮そんなもの。
架空であれ、実際の出来事であれ、琴線に触れることもしばしばある。
ブログ散歩では、皆さんの日々の様子を遠くから知ることが出来て楽しい。

傾聴ボランティアにはなれない

2024-04-21 | お付き合い
テレビが大好きな人がいる。
テレビは、楽だから。
自分から積極的に暇つぶし先を探さなくてもよい。

インターネット、YouTubeやその他、配信されているものは自分で情報を掴みに行かなければならない。
チャンネル登録していると、自動的に見ることは出来るが、好みや内容が偏る。

同じテレビ好きでも、ニュースや特集が好きな場合はまた違う。
日々、内容が変わるからだ。
だとしても、受け身。受ける一方。
解説を聞いたとしても、自分で考える力が衰えるのではないかと危惧する。

年齢が上がると、深い友達は出来にくいと思う。
相手のことを理解しようという努力よりも、深く関わらない、という距離感を操作して、楽をする。
深く知っても、共鳴、共感する部分と同じぐらい、拒絶、嫌悪する部分が出てくる。
当たり前だ。
偶像を追い求めるファンクラブではないのだから。

わたしは、深く付き合い過ぎると失敗を何度も重ねている。
そのせいで、深く傷つく。
いったい、いつになったら学習するのだろう。
自分を理解してもらえないと、さささーっと後退する。
わたし自身は、相手を理解しようと努力しているのに、相手はわたしを理解しようと努力しようとしても理解キャパがない。
相手の能力オーバーになってしまうため、一方的にわたしばかりが理解する役になる。
自分は理解されないのに。
わたしは、マザーテレサではない。
傾聴ボランティアのようになってしまい、疲れるし、アホらしい。
相手は五分五分だと思っているからだ。
わたしが一方的に譲歩していることがわからない。

相手が何か言うと、「そうですか、よかったですね」と、肯定の相槌を打つ。
老人ホームの介護士さんのようになっている。
かと言って、わたしと同じような人は、非常にやりにくい。
「自分」が有りすぎる。
なので、まだ自分がボランティアになるほうが、少しだけマシである。

ではあるものの、同じことを何度も言うので、その度に、「よかったですね」と相槌を打つのは度重なると、ほとほと嫌になる。
本当に同じ(自慢)話を何度もされると、アタマ、大丈夫?と思う。
友達、いないのではないかと思えてくる。
まともに相手しているのは、わたしぐらいなのではないかと。
なんで、そこまでわたしが引き受けなければならない?
姑や母が老化して脳が上手く機能しなくなった時は、それはそれで脳の状態がわかったが。

しかし、身内ではない他人である相手はわたしのことを理解していない。
理解してもらおうとすると、自慢ったらしくなるので、しない。
すると、聴く一方になる。

やはり、高齢の人と話すのは、お天気のことぐらいが良さげ。
だが、ごく稀に、面白い話に発展することもあるため、短気を起こさない。
共通のところだけを共にシェアするのが良い。
深く理解し合おうというのは、望まないほうが良い。

五分五分にならないのは、わたしが受け身一方だからだ。
自分から発したことが受け入れられない時は、さっと引く。
粘り強く強調しない。
後退して、元の場所に戻る。
で、また相手のペースになる。
それを繰り返しているうちに、すっかり嫌になる。
わたしのリアクションがマズイからだ。
自分よりキャパシティが大きい人に包み込まれると楽だが、今度はそのキャパが大きい方の人が疲れて嫌になってくる。
シーソーのように、お互い行ったり来たりでないと、一方だけが負担があるのは上手く行かない。

すると、相手を許容し深く関わるのは、親子や、きょうだい、家族ぐらいになってしまう。
それでいいとは思うが。
家族がいない一人の人は、それはそれで長い間に、人との距離の取り方をマスターし、自分と向き合って納得できる方法を身につけておられることだろう。
信頼できる友人たちとの関係性を上手に維持しておられると想像する。


母と、わたし

2024-04-20 | 老い
母がわたしの年齢の時、母はどんな風だったか。
父が他界した頃だ。 
未亡人になってもなんのその、前と変わらぬパワフルさでガンガン生きていた。
やはり、母とわたしでは、生まれつきのパワーが違うのか。
とりあえず10年はそれまでと変わらず。
だが、10年を過ぎると徐々に老化の波が見えるようになった。
今、小学6年のわたしの初孫(母のひ孫)がハイハイする頃、田舎の実家を訪れた。
孫の年齢から逆算してみると、10年ちょっと前になる。
あの頃から、今思えば、少し認知症の予兆はあった。
ああ、わたしも後10年か、、、。
しんみり、、、。
この時間、大切にしなければ、、、。

今から母に逢いに行く。
まだまだ母は元気なのだ。


①わたしの年齢(70代手前〜。バリバリ元気な今後10年)
→②次の10年(80代〜。少しずつ老化、要支援にスライド)
→③更に次の10年(90代〜。要介護)
→④また更に100歳〜(天寿を全うするまで、要介護)

父も、舅も、姉の舅も80歳になる前に他界した。
この世とのキレイなお別れだ。
男性に比べて女性は長生きする。

母は、元気ではあるが、一人では生きていけない。
ベッドからの移動は、ブランコみたいなマシーン。
更に、今度、お相手してくれるロボットが導入されるとか。
大学と実業界と福祉分野(介護)のコラボで共同開発されるらしい。
今はその実験段階だとかで、利用者としての協力、承認が必要。
借りられるものなら何でも、「人の手」以外も借りる。
人手不足である介護は、特に。

それにしても、母は幸せな人生だったと思う。
まだ元気に生きているのに、「だった」と過去形にしているが。


※写真は、先一昨日の、大規模な公園の藤





元々苦手な人

2024-04-19 | 老い
ご近所にお住まいのBさん。
蝶ブログにも何度もご登場いただいた。
(ご本人の許可は得ず。得る必要も義務もないが)
43年前から関わりがある。
初めてお会いした頃は、わたしは独身。
Bさんは、お店を長く一人で経営され、当時はご主人も存命。
華やかな方であるが、わたしは超苦手。
ご近所なので、嫌でも顔を合わせる。

「単なる苦手」が「超苦手」になり、その状態が長く続いたが、お歳を重ねてちょっと弱気になられ、最近は「普通」になったと思いきや、またまた「苦手」に返り咲いた。

今週のバス停。
いつものように、誉め殺し。
他の人の耳があるので、わたしは声を小さくしていた。
褒め殺しの内容が、聞き捨てならない、過ぎ去りし時代の過去の価値観であったため、わたしは、小さい声ながら、一気にベラベラと異論を唱えた。
すると彼女の顔色が変わった。

「上品なお声で仰るから、聞こえないわ。
80歳過ぎたら、綿棒で耳の掃除したら良くないそうですね」
と、仰る。
顔色の変わり方が、かつての姑とソックリ。
自分には理解できない、わけのわからないことを一気にまくし立てられる拒絶感、不快感が襲ってくるのだろう。
認知症初期の症状で、他人から自分に対する行動から受ける印象に、そういう感覚があるそうだ。
Bさんも、片足入っているようだ。
早かれ遅かれ、皆んなそうだけど。

顔色を変えた後、遅れてバス停にやって来たご近所Cさんの顔を見るなり、
「奥さん!お元気?
80歳過ぎたら、綿棒で耳の掃除したら良くないそうですね」
と話しかけていた。
わたしは、明らかに、聴き役から外された。

一方的に(怖い顔で)まくしたてるのは、NGであると、再認識した。
聴こえないのではなく、わからないことや聴きたくないことは、脳がシャットアウトする。
初期症状である。
高齢の人には、大きな声で、耳元近くで、ゆっくり、はっきり、短い単語で話さなければならない。
介護職や医療関係の人たちは、皆さんそういうアプローチをされている。
わたしは、家庭外であり、家の外なものだから、つい、普通の人に接するようにしていて、特別な話し方をすることを心がけていなかった。
が、複雑な話やプライベートな話なんかは、皆さんがいるバス停ではとても出来ず、相手の言うことを笑顔で聴いて頷くしかない。
わたしは、ボランティアさんでも専属ヘルパーさんでもなく、ましてや「苦手な人」歴が長い人には、そうすぐに優しく親切にできない。
これからは、高齢であることを念頭において、対応すると良い。
が、元々苦手な人にそこまで頑張るかどうかは定かではない。

やはり、元気な頃にどういう態度で接していたか、好感度はどうだったか、という過去のやりとりは、現在、未来の行動に対して受ける気持ちに影響がある。
家族であろうが、友人であろうが他人であろうが、同じかも知れない。

わたしの場合、元気な頃に、好き勝手してあちこちに敵を作ってしまっていたら、、、それはそれで、元気な頃、自分は満足している。
まだ訪れていない(予兆はあるものの)健全ではない時のことまで心配して憂慮していたら、せっかくの黄金時代が褪せる。
かと言って、人のフリ見て、やはり他人に映る自分も多少意識したほうがいいと自覚した。
この年齢になって、ようやく気づくことがある。

老化による変化なら仕方ないが、それまでのお互いの関係性の積み重ねた時間は、事実として消せない不動のものであると感じる。
関わりが長ければ長いほど、状況も変化し、色んな側面を持つ。

※写真は、一昨日、広大な公園の一角で見た、竹とタケノコ。

墓の行方

2024-04-18 | 
ある人、Aさん。
かつてお墓を買ったそうだが、霊園墓地に墓石が建っていないのは10%だとか。
つまり90%は、墓石が建てられている。
墓地だけだが、管理費を年間いくらか(1万円以下)支払うという。
で、Aさんは少し焦っておられる。
購入時には(なぜか)加えて隣続きに2区画も墓地を買い、墓石も建てず、管理費を払い、そして、空き地墓は、肩身が狭い、と。
だが、誰も墓に入る人がいないのは、不幸がなく、幸いなのではなかろうか。
Aさん(70代)の親の墓は、Aさんのお兄さんである長男(たぶん70代後半?)が管理しているが、長男の長男(Aさんの甥=40〜50代?)は遠方地に(実質的には婿入り?)暮らすため、墓管理が困難らしい。
長男の長女(Aさんの姪=40代?)も遠方地暮らし。
今後、誰が親の墓を見て行くのか?と、Aさんは、お兄さんと思案顔。
Aさんは、まだ墓石を建てていない墓地に管理費を毎年払いながら、自分の親の墓の管理が心配のタネ。

そもそもAさんは、長男ではない。
長男であるお兄さんが親の墓を建てた。
親は長男ではなかったため、子供であるAさんの兄が墓を新しく建てた。
長男ではないAさんも自分たちの墓地を別に用意した。
親の墓の維持も不安定なのに、自分(たち)の墓、しかも、墓石も建っていない墓(しかも2区画も)は、子供たちは見てくれるのだろうか?と、もやもや。
「自分があの世に行ったら、この世の動向はわからないのだから、どう確認のしようもありませんよ。
とりあえず、子供たちに、どうして欲しいか、希望、意向を伝えておかれたらどうですか?
実行する、しないは、確認できないですが、仕方ないですね」
と、わたしはAさんに言った。

Aさん夫婦のどちらかが先に亡くなったら、墓は建てるだろうから、残りの一人になった時に墓を永代供養にするかも知れない、と想像した。
墓を買ったAさんのほうが奥さんより先に亡くなるとすると、ひょっとしたらその段階で、新古品となっている墓地を返上して、永代供養にされたとしても、Aさんは知る由もない。
とりあえず、墓地を少しでも使う可能性を強めるためには、Aさんは奥さんより先に亡くなるわけにはいかない。
Aさんも奥さんも、天寿を全うして亡くなる頃は、墓のことは子供任せだろう。
生きていて、意識がしっかりしているうちに、意思を伝えるにしても、あの世間近になると、意識も思考も弱ってくる。
認知症が進み、配偶者が亡くなったことも知らされない状況も皆無なわけではない。
最後は、もつれ込むにしても、墓の維持は、維持する側の子供の考えによる。
今はまだ誰も祀る人のいない、権利だけを確保した墓地の行方が気になるところだ。

※写真は昨日の野田藤(大阪市福島区)






答え合わせ

2024-04-17 | 人生
なぜ自分は若い日々をゴージャスに過ごさなかったのか。
しようと思えば出来たのに。
知らないわけではなかったのに。

東京でのゴージャスな暮らしは、1年で飽きた。
そもそもわたしは、倹約家(「ケチ」とも言う)で、湯水のようにお金を使うのがあまり好きではない。
お金のかかる遊びは、好きではない。
高価なハイブランドの服は、気が引けて買えない。着ると肩が凝る。
また幼少期の田舎暮らしの影響からか、牧歌的雰囲気が好き。
さらに小さい頃から教育成果主義の一貫校に通っていたためか、何かしらの成果を求める。

この要素が合わさって、耽美的は好きだとしても、退廃的は、嫌い。
(どう違うんだ?
わたしの感覚では微妙に違う)
例え部屋はぐちゃぐちゃだとしても、生産性のない生活は好まない。
しかし、美的なものに対して、母の影響はかなり受けている。
母は精力的に働き、室内も室外も庭も、掃除がピカピカに行き届く、頑張る戦中派タイプ。
遊興費にはあまり使わないが、美しいモノや空間には豪快に使う。

わたしは高度成長期に生まれ育っているため、母とは少し時代背景は違う。
父はクレバー・スーパー・ミラクル働き者。
父も母も共通点は、前世は馬車馬かと思うぐらいよく働き、お上品な気取った雰囲気が大嫌い、窮屈で息が詰まると見られる。
最大限オーバーに言い過ぎるとすると、(良いように言い過ぎてかえって反発を買うことを恐れずに言うと)全てのスケールは違うが、白洲二郎と正子?
(やっぱり言い過ぎて気分が良くない、、、)
全力で頑張るタイプで、共に、ちんたらこんたら、チャラチャラは嫌い。
これらが合体して、昭和後期の創造物としての、わたしが形成されている。

なので、時代背景もあるだろうけれど、両親には、ぐうたらDNAは無い。
ではあるものの、なぜか、兄とわたしは、ぐうたら。
なんで?
科学では解明できないが、わたしが想像するには、環境、育て方だと思う。
兄=ただ一人の生き残り跡取り男子。
わたし=末子で手を掛けて躾をするのに疲れ放任。
それで、2人が、ぼーっとしている。
その間に挟まった姉は、実にシッカリしている。
両親の教育方針にも姉は反旗を翻し、抗議した。
わたしは、そんなことが過去にあったことも知らなかった。
歳が離れた姉妹ならいざ知らず、姉とは2歳しか離れていないのに。
兄は家事はしなくていい代わり、家父長制の気の毒な犠牲になった。
姉は3人分のシッカリ者の要素を一人で抱えている。

わたしは父系の遺伝を強く望んでいるのだが、どうも母系のような気がする。
悪い予感。
詳細を精密に鑑定したわけではないので、何とも言えないが。

環境のせいもあるとは言え、皆んな、働き者なのに、なぜ、兄とわたしは、(たぶん、生まれつき)ぼーっとしているのだろう。
親の加護がなかったら、今頃どうなっていたことやら。
とりあえずは、税金を納める社会人になったが。
ではあるものの、兄もわたしも(もちろん姉も)、放蕩はせず地道な道を歩んだ。
贅沢は、あまり性に合わないのだろう。
だから、ちょっと経験、試してみただけで、もう結構、もう十分、となると思われる。
深追いしない。
定位置は、ノーマル・スタンダード。
小さな暮らし、プラス、好みに応じてオプションを追加。

若き日々をゴージャスに過ごさなかったことに対しては、なんの後悔もない。 
もともとの性格なので、無理やり、誰かにそそのかされて遊びまくったわけでもなし(わたしが堅物で誰も遊んでくれなかった)、地味路線を歩いた。
ゴージャスな人を見かけると、興味本位で観察している。
自分とは別の違う人種なので、べつに衝突しない。

ツマラナイ超個人的な話を書いた。

※写真は本日、撮りたてほやほや。
堂島川沿い。


自分の昭和

2024-04-16 | 思い出
昭和レトロが人気らしい。
歌謡曲も、昭和歌謡。
令和の10代、20代は、石原裕次郎とかではない。
松田聖子、中森明菜、、、
が、似たような時代?
対象が違うだけか。
オッチャンと若者。
わたしはオッチャンではないが、いやというほど石原裕次郎の歌を誰かが安酒場で歌っているのを、かつて、聴いた。
歌が出来たのは、もっともっと前。
感情移入、全く出来ず。
世代背景は同じなのに、やはりわたしはオッチャンではないからだ。
リアルタイムでビートルズを聴いた第一期ビートルズ世代にしては、わたしは少し若い。

今、思えば、貴重な時期をつまらないことに必死になって潰してしまった。
子育て、家庭を犠牲にしてまで大切なものか?
ノン、否。
「自分育て」と「家庭育て」を同時進行していた。
当時は洗濯機の中に、あれこれ一緒くたにして回していたようなかんじか。
だが、後にならなければわからない。

家に引っ込んでいたら、もっと後悔しただろう。
当時は必死だったが、個人的嗜好に走っただけで、たいした成果はない。
何度も言うようだが、自分の欲求、満足のために、家族を犠牲にした。
(捉えようは様々だが。自分が理想とする良妻賢母ではなかった)
そして、自分のすることなど、たいしたことはなかった、ということがわかったのだから、上出来だ。
ごめん、わたしの家族たち。
「自分育て」の(結果的には)踏み台にした。
女性も時代と共に自立に向かう。

しかし、全身全霊をかけて子育てしていたからといって、自分が納得できず満足してなければ、どうか。
良い結果が得られたらいいが、悪い結果になっていたら、努力はパー。
子供たちに自分の全エネルギーをかけていたなら、成果を当然求める。
自分の理想を子供に押し付ける。
ある意味、広々柵付き放牧状態は、そう悪くはない。
過保護で子供の自主性の芽を摘むよりはマシと思っている。
自己擁護に過ぎないが。

とは言え、やってない架空のことを想像しても、実際にはやってないのだから意味がない。
やってきたことだけが残る。
あの時の選択では正しかったのだ、と思う他はない。

自分としては、親には感謝。
それだけだ。
甘いわたしは、「求め過ぎるな、足(たる)を知れ」とは言われたが。
それにしても、昭和の高度成長期はすごいパワフル。
その時代に育ったことはラッキーだった。
各、個人によって様々なケース、違いはあるにせよ。
あ、ついでに夫の親には感謝。
「ついで」で申し訳ないが。
さらについでに、夫にも感謝。
どこに最も感謝かと言うと、今まで健康にいてくれ、休むことなく働き続けてくれて。
あとは、DVも借金もギャンブルも不貞もせず、たいしたトラブルも事故もなく、平穏無事に今日まで来た。
故障しなかった身体とメンタルに、感謝。
今後は歳を取って行くので、生き物の常として、衰えることは必至。
努力も最低限、抗うのも最低限にして、受け入れながら生きていく。

※写真は、八尾市の江戸〜明治の旧家。
土間の雰囲気が、田舎での幼い頃の記憶とオーバーラップする。

コガネムシではなく小金持ち

2024-04-15 | 読む人々には興味ない話
わたしは小金持ち風ティストが苦手だ。
小金持ちそのものが苦手なわけではなく、小金持ち「風」「ティスト」が苦手。
これは、あくまでもティストであり、実際の財産、不動産や預貯金の有無は関係ない。
自分が勝手に脳内でイメージするもの。

マダムサロンに漂う雰囲気?
マダムサロンも、一種のロビー活動のような感じで、夫の仕事や出世に一役買うのなら、あるいは、コミュニケーションで仕事人間関係の潤滑油になるなら、と気配り、尽力すると思う。
「プロ野球・妻の会」「歌舞伎役者を夫に持つ妻たち→梨園」みたいな世界はさておき。
なぜ、さておき、かと言うと、自分には無縁なので関心がないから。

もっと実業界だの、法曹界だの、経済界だの、教育界だの、政界だの、、、そう世界なら身近なのか?
ノン、否。全く別世界ではあるが、興味はある。
なぜなら、「◯◯の妻」ではなく、本人の世界。
それはそれとして。
たんなる、知らない世界への好奇心。

本人が、例えば、政治家になった三原じゅん子に関心があるかというと、べつにない。
政界での活躍より、最近では高級車盗難被害遭遇のほうが実際の動きとしては印象に残る。
といっても、LINEニュースで見ただけで、わたしとは何の関わりもないが。
車庫は、都内の自宅に続くスペースのようなかんじだったので、国会議員さんは、やはり高収入のようだ。事業、多角経営とか?
これは、小金持ち?
まあそれはよいとして。

あくまでも、〇〇風、というイメージ、ティストの問題。
生き方にも関わってくる。
高級品を身につけ、高級品に囲まれた暮らしをしているのが、わたしが描く(狭義の)金持ちイメージ。
では、小金持ちとは?
金持ちのスケールを少し小さくしたかんじ?
ノン、否。

わたしが勝手にイメージ付ける小金持ちとは、、、金持ち自慢。
誇らしげに外に向かってアピールする、その鼻につくニオイが、苦手なのである。
自慢しなくても、垣間見えてしまうのはまあ仕方ないにしても、、、
ただ、わたしが苦手なだけだが。

それと、特権を振りかざす人。
このニオイには頭痛がする。
1日も早く失脚することを願ってしまう。
自分では気づかないだろうけれど、長年、積み重なると、強烈なニオイを放っている。
なんであんなに横柄な、嫌な感じになるのだろう。
家族も距離を取り、誰一人として近寄らないのではなかろうか。
特権を目当てに群がる人々も、特権を失い失墜したら、誰も着いてこないだろう。
特権に溺れた悲しき副作用。結末。
こういう人は、おそらく一生、治らないと思う。
人生には、プラスとマイナスがあるようだ。

小金持ちは、妬まれる。
妬まれないように仲間うちでワイワイしていればよいものを、チラと仲間以外の人にも見せたくなると思われる。
自慢気。
だが、性格が悪いと思われるのは避けたいため、平等精神を心掛けている、、、のが、見え見えの人がいる。
単に、わたしが捻じ曲がり、ヒネクレ者なだけであるが。
やはり、テリトリー内で活動するほうが摩擦が少ない。無難。
価値観を共有できることが多いから。
定年後、どこどこに勤めていた元〇〇、という肩書から離れられない人もいるようだが、わたしのイメージでは一昔前の定年族のように思える。
今の定年族は、リタイアする前からリタイア後の準備をしているため、職を離れても自由を謳歌する無職またはアルバイト、または第二の就職に、軟着陸しているように感じる。
(働かなくては年金では生活できない高齢ワーカーはまた別の話として)

例えば、、、偏見イメージではあるが、、、
小金持は、ホノルルマラソンに参加する。
近所を走るだけでは物足りない。
これは素晴らしい。
登山をする。汗をかく。
ブランド品をジャラジャラ身に付けない。
お金や肩書でないところで、汗を流す。
小金持を意識させない。
だが、高品質、高価格の、快適性、品質重視の普段着を着る。
ユニ◯ロの人もいるが、ハイレベルな品質に自分自身のためにこだわり、ユニ◯ロでない人もいる。

わたしが勝手に抱く小金持イメージを、決して否定しているわけではない。
良いイメージもある。
個人的な好みであって、カレーが好きな人も苦手な人もいる。
ただ、ああ、あの人のことかな、と顔が思い浮かぶ人は、一人や二人、いると思う。

別にどうってことのない、〆のない話になってしまった。

蛇足であるが、
人は、ゴシップや噂話、その場にいない人の悪口が好きである。
そんなことに全く関心がない仙人もいる。
仙人たちが集まって井戸端会議する図を想像すると面白い。
話題はなんだろう?
収拾がつかなくなりそうだ。
やはり仙人は千人集まって、世界平和を願う世界会議あたりを想像するが、決して不幸を生み出す新興宗教会議であってほしくない。


※写真は、ぼんやり小さくわかりにくいが、大阪城の上空を飛ぶ飛行機。
どんどん何機も次から次へと飛んでいる。



平成の、昭和ロマンを令和に見る

2024-04-14 | 時事&世の中
NHK TV番組が18年ぶりに蘇った。
新プロジェクトX。
一昨日、前回の再放送(深夜)と、昨夜、今回分放送(19:30〜20:15   45分)を見た。
第1回は、「東京スカイツリー」編。(23:45〜1:08   1時間23分)。
これは痺れた。じーんと痺れた。
まさに昭和の男たちだと思った。
感動した。胸が熱くなった。
時代は昭和ではなく、平成だったが。

とび職、超絶スゴイ。
設計、超絶スゴイ。
総監督、超絶スゴイ。
チーム一丸となって全力で挑む。
緊張、達成感たるや、スゴイ。
闘魂の男たち。

あれで、家に帰って皿洗いや育児、今日の報告連絡相談をやっていたとしたら、どんな感じなのか???
全神経を集中させる大事な仕事中は別居のほうがいいかも?
「じゃあ、アナタ、育児は? 介護は?」
と妻に詰め寄られたとすると、、、
あら、どうしましょ。
仕事で心身共に毎秒毎秒、燃焼しきって、家に帰ると、またもや別の仕事が待っている。
気配りもして、気が休まる時がない。
では、家庭を持てないということか。
しかし、家庭を持っても持たなくても、親はいる。
プライベートな私生活や環境と仕事は、別次元の話である。
ではあるものの、仕事に打ち込める環境は、ある意味、恵まれているのか。

とは言え、わたしは、やはり昭和人間だとつくづく自覚する。
熱い男たちの仕事に心底、敬意を抱く。
が、仕事を離れて家庭での役割を考えてみた時、自分でもよく解決できないモヤモヤがある。
子供の自立を妨げてしまうような過保護な親に通じる気持ちがまだある。
それは、、、仕事を、雑念に囚われず一生懸命して欲しいがために、家庭での役割をおろそかにしてもいいという甘い過保護傾向がある。
だがしかし、仕事を終えた後は、気持ちや役割を切り替え、家庭人になる器用さも求められている。
必要不可欠である。

オトコは黙って◯◯ビール。
キミ作る人、ボク食べる人。
というコマーシャルは隔世の感。
今ではハラスメントになる。

が、わたしは昔のロマンは消えない。
生まれ育った時代の背景の影響だろう。
それと、わたし自身が男性と対等に能力的にやっていけないこと、また、女性とも対等に能力的にやっていけないことに原因がある。
これは、なぜかというと、先日、占ってもらった、「わたし」自身の中身にすっぽり当てはまる。
自分の持って生まれたキャラクターの特徴である。
蝶ブログを貫く、自分評である「サボり=省エネ」。
占いでは、「最低限の努力しかしない」と出ていた。
ぴったり、そのもの。
どこで、見てたの? 隠しカメラ?
「既存の既得権益を手放さない」らしい。
しかし、ほとんどの人はそうなのではないだろうか。
一握りの立身出世する人や、とてつもなく不幸な人を除いて、現状維持を望むのでは。
ある意味、占いはやはり誰にでも当たると感じる。
深層心理を探るには、生まれ育った時代背景は要ポイントとなる。
わたしは、豊かになりつつある高度成長期の日本で生まれ育ったわけで、同じ時期、同世代の人々とは共通点があるはず。
だが、この占いは日本に限定してないから、アフリカや中国なら、同時代を過ごしたとしてもそれぞれの国は同じ背景状況ではない。
どうなんだろう?

それはそれとして。
昭和の男たちの仕事(実際は平成)にロマンを感じ痺れたわけだが、次回、次々回、次々々回と、番組の回を重ねる毎に、ネタ探しが大変になりそうだ。
高度成長期やバブル前なら山のようにあるサクセス・ストーリーも、日本が右肩下がりに落ちてきた近年では、勝ちストーリーは数も規模も限られてきそうだ。

いずれにしても、仕事を成り立たせるのは、究極は一人一人の個人の力。
それをどう汲み上げ、組み立てていくのか。
大きな仕事は、膨大なコンテンツで成っている。
大組織で働いた経験がある人と無い人があり、双方の思いは複雑だ。

それにしても、新プロジェクトXの第2回目は、第1回目と対比するのに、違いが明白で面白かった。
身体を張る仕事と頭脳戦との、違いがハッキリわかる。
どちらも人がする仕事。
核となるのは人。
仕事って、神聖な域があると感じた。

親の仕事を身近に見て感じて育ってきたわたしは、
「パパいってらっしゃい」から「パパおかえりなさい」の、仕事の内容を知らない、関係するのは給与と休暇だけ、という家族は、気楽でよいと感じた。
良いことも悪いことも知らない。
だが、職業によってはそうは行かない。

子供が社会を知るのは家庭環境の影響が大きい。
親がどんな仕事をしているのか、よく知らない子供もいるだろうし、成長するに従って知ることになる。
親の、家庭での顔しか知らない子供。
広い意味で、「親の背中を見て育つ」とはよく言ったものだ。