『資本論』は、貨幣の歴史的起源を論じているか? | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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 <x量の商品A=y量の商品B>は、発達した商品交換が支配的な社会においても実際に行われうる、直接的商品交換を示しています。物々交換を取り上げる場合に、過去にさかのぼる必要はありません。貨幣がすでに成立している社会で貨幣が機能停止に陥ることは、一時的例外的であるとはいえ、あり得ないことではありません。

 

 では、なぜそのような例外的な事態を出発点に置くのか?それは、貨幣がなぜ必要なのかを示すためです。"もしも、貨幣がなかったらどんな事態になるのか"、これを示すことによって、貨幣の本質や機能を浮き彫りにするためです。ひいては、それを踏まえて私的労働(商品生産労働)の自己矛盾を展開するためです。

 

 『資本論』研究の世界は、いまだに神話的誤解によって、束縛されています。それは、"マルクスは、貨幣論で貨幣の歴史的起源を論じている。彼の「貨幣生成論」は、貨幣の歴史的発生過程をトレースしたものだ"という誤解です。

 

 実際にマルクスがやっているのは、種々の私的労働労働にって構成される社会的分業が高度に発達した社会(商品交換の全面的に発達した社会=資本主義社会)において、貨幣がなぜ、何によって、いかにして存立しているのか、この意味においての、貨幣の共時的発生過程の展開です。