榎本 里司「独占資本主義の一般的性格と独占の法則について(V)」 | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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 榎本とかいう読解力に乏しいおっちょこちょいが,調子に乗って有井行夫を批判しているつもりになっている。大いに笑える滑稽なものなので紹介する。

 

《〔『帝国主義論』の〕理解上の困難の本体は,じつは,『その経済的本質からすれば帝国主義は独占資本主義である』というさいの『独占』概念の二義性にある.一方では,あきらかに,独占は資本主義一般の構造性否定形態,社会主義-の『過渡』形態として把捉されていながら,他方では,資本主義の新たな発展段階の構造たる『資本主義の独占段階』を編成している構造『原理』として位置づけられているようにみえる. 『帝国主義諭』を誤読しないための要件は, 『独占』に付与されたこのふたつの資格が直接的には互いに矛盾するということの理解である》(以上は、榎本による 有井行夫 「独占資本主義における 『構造』と 『歴史』・付論」(駒沢大学 『経済学論集』18巻 4号,. 1987年 3月) からの引用)

 

(1)「二義性」とは言われても, 「独占」や「独占資本主義」等,独占資本主義に関わるカテゴリーの論理的抽象のレベルの区別という観点がなく,並列的対置となっていること,(2)したがって,同じ論理レベルでの「矛盾」関係とされていること,(3)「独占」と「資本主義一般」が一般と特殊の関係ではなく,排他的関係として捉えられていること,したがって「独占」が「資本主義一般の構造性否定形態」として,つまり事実上「社会主義」と重ねあわせて捉えられてい》[る]

(こちらは、標記の榎本論文)

 榎本は、すっかり勘違いしているが、「独占」を「資本主義一般の構造性否定形態」として,しかも、「社会主義の前提」というポジティブな否定性とらえているのは、有井ではなくレーニンである。有井にとっては、「独占」それ自体が資本主義一般を否定する性格を持つわけではない。「独占」は否定性の現象形態に止まる。否定性があるということが「独占」を通じて証示されるのである。より正確に言えば、「独占」単体で否定性を証示しているわけではなく、「独占」と「競争」との振動的統一=振動的対立という矛盾こそが否定性を証示するのである。しかもそれは、「社会主義」の可能性というポジティブな否定性ではなく、資本主義の不安定性という意味でのネガティブな否定性である。もう一言いえば、この否定性の現れの抽象的レベルは、資本主義一般の構造性に属している。また、有井がここでいう「矛盾」については、この文脈でいわれているのは、資本主義の構造や運動における実在的な矛盾ではなく、レーニン『帝国主義論』の理論構造上の矛盾である。つまり、レーニンが「独占」概念に、一方では資本主義一般を超出する性格を認めながら、他方では、資本主義の新たな特殊形態を生み出す契機としての性格を認めるという理論上の矛盾である。

 榎本は、有井自身の見解と『帝国主義論』に示されたレーニンの見解についての有井の解釈が全く区別できていない。有井が心配している誤読の可能性について微塵も反省するところがなく、自分が誤読している可能性など絶対にないと独断しているからである。これでは、有井がせっかく「『帝国主義諭』を誤読しないための要件」を提示してもまさに「豚に真珠」ということになる。

 《いうまでもなくマルクスは,人間社会の本質諸力と人間社会に外的に作用する諸力とを論理的に区別している.そして,抽象的範疇としては,人間社会――諸個人のレベルでみようとも人間社会総体のレベルでみようとも「人間的な自然本質」を同一の実体範疇とするところの人間社会――と,それに作用する歴史的な経済法則―― 私有(商品,貨幣,), 資本一般(産業資本,)―― とを,相互に一分子も含みあわないものとして区別した上で,分析的方法に則って人間社会の発展を体系的に把握しようとしている.》(標記の榎本論文)

 榎本は、全く何の権利も獲得しようともせずに、実に恣意的にマルクスを騙る「人間社会」と「歴史的な経済法則」は、「相互に一分子も含みあわない」だって?おいおい、榎本よ,それでは「歴史的な経済法則」とやらは、いったいどこからやってくるのだ?天から降ってくるのか?人間社会の外にある「歴史的な経済法則」が「それ[人間社会]に作用する」だって?歴史的諸範疇が人間社会の内部にないとすれば、それは、考察者の頭の中にあるほかはないだろう。これは、ヒルファーディングの忠実な準え、まさに「組み入れ」論である。


 

 
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