カテゴリーを選択 解除
再読込
-
- 2つの瞑想法
- はじめに 瞑想の歴史は長く、古来から様々な様式で行われてきました。先だって「行と瞑想」というタイトルで行に特化した瞑想の方法を解説してみました。 あわせて読みたい 行と瞑想 煩悩の滅徐に通じる行としての瞑想について、手順と手法について解説してみました。 ここで紹介した方法は、煩…
路ぼうの覚書7 -
- 老いへの向き合い方
- はじめに 誰しも「老い」は訪れます。人にとって、「老いとどのように向き合って生きるか」は人生最後に待ち受ける最大のテーマだと言えるでしょう。 わたしも例外なく「老い」の真っただ中にあります。心境はともかくとして、肉体の面から言えば、腰やひざ、頭痛に不安定な自律神経と毎日どこかし…
路ぼうの覚書7 -
- 次の世までのひととき
- はじめに 以前「この世と次の世との狭間で」という記事を投稿しました。この中で、いち大乗仏教僧侶の経験から、死後、次の世へ行くまでの簡単な行程の説明と、なかなか人が次の世界へと旅立てない様々な要因をお伝えしました。 あわせて読みたい この世と次の世との狭間で 7月に盆というところ…
路ぼうの覚書7 -
- 煩悩はウィルス
- はじめに 煩悩については、以前記事にしています。 あわせて読みたい 煩悩について 煩悩の正体を知ることは、自分を知ることにもなります。一方、煩悩を執著まで拗らせないで、煩悩のまま生きることは生きがいにもつながります。仏教用語である煩悩を再考してみました。 煩悩は人が生きていく上…
路ぼうの覚書7 -
- 執著への道筋
- はじめに わたしたちは、人やもの、人との関係や自分の生きがい、色々なものに対して執着を持ちがちです。子や孫でも、かわいい愛しいと思いも深まれば、いつまでも傍に置いておきたくなります。モノ等嗜好品に対しても嗜好に留まらないことしばしばです。 一般的に、執著は良くないといいます。大…
路ぼうの覚書7 -
- 仏説の本質
- はじめに 表題の仏説とは「お釈迦さまの口伝」を指します。お釈迦さまやその弟子たち、サンガに集いし出家者たちの間では、お釈迦さまの言葉は口伝でした。文書で残すと解釈による誤謬が発生するためです。 お釈迦さまの言葉はいつしか「教え」という形態に変容して宗教化していきました。その後の…
路ぼうの覚書7 -
- 「チ。―地球の運動について―」にみえる現代人の渇望
- はじめに 「チ。―地球の運動について―」という漫画・アニメ作品をご存知でしょうか。 15世紀のヨーロッパで繰り広げられる地動説を受け継ぐ物語です。わたしは普段地上波を観る習慣がないので、すべて観ているわけではないのですが、娘が帰省した折に、アニメの方を傍で観ていました。 画像は…
路ぼうの覚書7 -
- 身辺の変化
- お断り 以下の記事において、信仰や他の仏教宗派を否定するように見受けられる文面があります。わたくしは、信仰者をはじめ、他の仏教宗派について尊重しています。万が一、不快と捉えそうな方は、読まずに離脱してくださいますようお願い申し上げます。 はじめに 今年の3月に僧侶を辞し還俗(げ…
路ぼうの覚書7 -
- ズレ
- はじめに 目に見えない縁を結ぼうとする働きが、物質界に介在していることを、うっすらと感じている人もいらっしゃると思います。しかし、あくまで「うっすら」と感じるだけで、目に見えるものではありません。 そんな曖昧な認識に過ぎない縁でありながら、わたしたちの世界は縁を基にして成り立っ…
路ぼうの覚書7 -
- 行と瞑想
- はじめに 「行と瞑想」というタイトルから何となく推測されるかとは思いますが、今回は、わたしが見出した「行」に特化した瞑想を取り上げています。少々長くなってしまいましたがお付き合いください。 行とは みなさんは、行と聞いてどのようなイメージをお持ちでしょうか。滝に打たれたり、険し…
路ぼうの覚書7 -
- 呼吸-breathing
- はじめに このブログを読み進めていく内に、これから瞑想で行でもはじめてみようかなと思っている方に、前もって知っておいてほしいことがあります。それは、今回取り上げている呼吸についてです。 画像はイメージです。 瞑想と呼吸とは、密接に関係しています。瞑想と一緒に呼吸もやれば良いので…
路ぼうの覚書7 -
- 修行と禅 Practice and Zen
- はじめに 瞑想と禅定とを明確に分けるものを修行の要素としたのが、前回の禅定に関する記事でした。 あわせて読みたい 禅定について 瞑想について今回は、禅定と瞑想の違いについてです。混同されがちな二つの言葉について、記事にしてみました。 読者の中で修行したいと思っている方は、ほとん…
路ぼうの覚書7 -
- 老病死
- はじめに 一旦筆を置くと言いつつ、性懲りもなくまた書いています。まあ、このブログの主旨は忘備録ですので、区切りは付けたものの、自分の心身の進展については、これからも、その都度書き留めておきたいと思っています。 さて、表題の老病死とは、最初に「生」を加えると、お釈迦さまが修行に至…
路ぼうの覚書7 -
- 無我-muga
- はじめに 今回は直近最後の記事とあって、少々長くなってしまいました。無我について、前置き等除いてお読みになる方は、「無我について」からご覧ください。 無我については、以前の記事内でも触れています。 あわせて読みたい 「わたし」という幻想 普段改めて考えることない「わたし」につい…
路ぼうの覚書7 -
- 2024年を振り返って
- はじめに 今年も12月後半となりました。年取るごとに、時間は早く過ぎていきますね。今回は、当ブログの内容を中心に、今年2024年を振り返ってみたいと思います。 今年印象的だったのは、元旦より始まった災害の数々です。年々、自然の変化は、激しさを増していっています。頻繁に発生する地…
路ぼうの覚書7 -
- 縁-en
- はじめに 最初にお断りです。仏教という宗教名は、文字通り「仏であるお釈迦さまの教え」に由来します。しかし、わたしがこのブログで書いていることは、仏教ではあっても、一般的に知られている「仏教」の名を冠した教えとは少し違っています。 敢えて言ってしまえば、世界的にお釈迦さまの教えが…
路ぼうの覚書7 -
- [文字]で残されたもの
- はじめに わたしたちは、さながら言葉を発するように文字を書いています。忘れずにメモったり、日々の出来事を日記に残したり、街中を見渡せば装飾された文字で溢れかえっています。 文字に記すという文化は、主流をネットへと移行しつつある今でも、わたしたちに根付いている習慣とも言えるもので…
路ぼうの覚書7 -
- こころを治めるとは
- はじめに 誰しも、こころの癖を持っています。こころを治めていくに当たっては、この癖が文字通り曲者(くせもの)で、何かと邪魔をしてきます。 しかし、こころの癖とは難しいもので、価値観多様化の時代、その曖昧さは増すばかりです。事の善悪の判断さえも人によって異なるような昨今では、ここ…
路ぼうの覚書7 -
- 日本仏教と時間
- はじめに 先だっての記事で、仏教と時間について書きました。 あわせて読みたい 仏教と時間 忙しない現代では、常に結果や効果を求めタイパを求めています。仏教は宇宙やミクロの世界をも表わしている時間の概念を内包しています。そんな現代にあって、時間と仏教の関係を考察してみました。 上…
路ぼうの覚書7 -
- 人生の節目とやら
- はじめに ヤフーニュースで以下のような記事を見つけました。 Yahoo!ニュース Yahoo!ニュース Yahoo!ニュースは、新聞・通信社が配信するニュースのほか、映像、雑誌や個人の書き手が執筆する記事など多種多様なニュースを掲載しています。 それにしても、ミッドライフクライ…
路ぼうの覚書7 -
- 「わたし」を取り巻く障壁
- はじめに 「わたし」とは、わたし(葉慶)ではなくて、一般的な自分自身を指しています。 この世界は、各個人が持っている「わたし」を介して作り上げられています。この世界は、他に2つとないあなただけの世界です。また、あなたの行動を司るのも「わたし」です。ああしたい、こうしたい、思い出…
路ぼうの覚書7 -
- ブログの趣旨の修正
- はじめに このブログでわたしが昨年決定的な過去生を経験したことを書きました。その後というもの、わたし自身はもちろんのこと、世界の事象、特に宗教や仏教や人々に対する思いなど大きく変化していきました。 あわせて読みたい 過去生への最終アプローチ 昨年2023年の3月、今世と深く結び…
路ぼうの覚書7 -
- カラダの健康はこころから
- はじめに 少し前になりますが、こんな記事を見つけました。 toyokeizai.net 上記の記事で、健康を保つ3つの結論は次の通りです。 規則正しい生活 健康的な食事 適度な運動 筆者は分かっていながら、これがなぜか難しいと冒頭で述べています。幸せな生活を営むためには健康なカ…
路ぼうの覚書7 -
- 仏教と時間
- はじめに わたしは最近時間について考えています。人々が毎日確認している時間が当たり前すぎるために、あたかもあらゆる万物に共通しているような勘違いまでしてしまいます。 ところが、おかしなことに、時間とは人間だけが認識できる特殊な概念です。人がともすれば揺れ動いてしまう時間を技術的…
路ぼうの覚書7
読み込み中 …