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- 悩んだ人ほど、真理はすぐ傍に・・・
- 『とある先生』のお供で『とある人』が海外へ行きました。 『とある人』は、そこで、日本語交じりの英語で何かいろいろ回りの外人さんに話し掛けている日本人を見かけました。 どうやら海外で迷子なって凄く動転している模様です。 迷子の人は、『ある人』が日本人であるとすぐわかったので、地獄…
法華経ブログ5 -
- 法華経を一言で言うと・・・
- 法華経の大家である庭野日敬氏は、あるインタビューで『法華経を一言で言うと何でしょう?』と聞かれました。 法華経を知り尽くし、実践尽くした庭野日敬氏は、さて、なんて答えたでしょうか・・・。 興味深々ですね! で、いろいろ想像してみてください。『六波羅蜜』『縁起観』『四諦』『十如是…
法華経ブログ5 -
- ダンナ(旦那)とは ?
- 旦那とは、そう、我々亭主のことです(独身者は除く)。 実は、旦那の語源は、古代インドのサンスクリット語で『ダーナ』といい、「布施」を意味します。 「布施」は、慈悲心や情け、思いやりを表しいます。 昔、旦那は寺院や僧侶に布施をする「施主」や「檀家」の意味として用いられていました。…
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- あらやしき(阿頼耶識)を清める
- 最近、仕事のプレッシャーなのか精神的に不安定で、夢の中でも結構叫んでいるらしい・・・。 となりで寝ているママが驚いて、私を起こしてくれるのです・・・顔面ピンタとかで(^^;; こういう時は、法華経読誦(ご供養)が効きますね。 特に陀羅尼(26番、28番)がいいようです。 ここの…
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- 釈提桓因(しゃくだいかんいん)とは ?
- 法華経序品第ーに以下のくだりがでてきます。 爾の時に釈提桓因、其の眷属二万の天子と倶なり。 釈提桓因とは、帝釈天の別名で、娑婆世界のうえにある天上界の主とされていました。 その帝釈天の眷属には、以下の天子がいました。 名月天子(月の神)普香天子(星の神)宝光天子(日の神)持国天…
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- 終日竟夜(ひねもすよもすがら)とは?
- 法華経譬喩品第三に以下のくだりが出てきます。 世尊、我昔よりこのかた、終日竟夜毎に自らを剋責しき。 終日竟夜は、「ひねもすよもすがら」と読み、「昼も夜も常に」という意味だそうです。
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- みょう牛(ご)の尾を愛するが如し
- 法華経譬喩品第二に以下のくだりが出てきます。 みょう牛(ご)の尾を愛するが如し みょう牛(ご)というのは、ヤクのことで、毛の長い(特に尾が)種類の牛です。 この牛は、この尾を大変大切にしていますが、それが元で殺されたそうです。(人間はその尾をとるために殺す) ということで、上記…
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- 高原穿鑿の譬え
- 法華経法師品第十に「高原穿鑿(せんしゃく)の譬え」というくだりがあります。 薬王、譬えば人あって、渇乏(かつほう)して水を須(もち)いんとして、彼の高原に於いて、穿鑿(せんしゃく)して之(これ)を求むるに、猶お乾(かわ)ける土を見ては、水尚遠しと知る。功(く)を施すこと已(や)ま…
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- 願生(がんしょう)
- 法師品第十で以下のくだりがあります。 衆生を哀愍し願って此の間に生れ、広く妙法華経を演べ分別するなり。 衆生を救おうという願いと慈悲心によって生まれ変わってくること。これを願生(がんしょう)という。 人間とは、もともと人の意味でなく、人と人の間のことで世間という意味です。 そし…
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- 三帰依文とは
- 三帰依文とは、仏教徒なら毎日お経を上げる前に必ず唱える例の決まり文句です。 自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、 大道を体解して、無上意を発さん。 自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、 深く経蔵に入って、智慧海のごとくならん。 自ら僧に帰依し…
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- 唯我れ一人のみ。能く救護を為す。
- 法華経譬喩品に以下の一節(偈)があります。 今此の三界は。皆是れ我が有なり。其の中の衆生は。悉く吾が子なり。而も今此の処は。諸の患難多し。唯我れ一人のみ。能く救護を為す。 意訳: この三界はみんなわたしのものだからです。 その中にいる衆生はすべてわたしの子だからです。 しかも、…
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- 一大事の因縁とは
- 法華経方便品に以下の一節が出てきます。 諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ清浄なるを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。 衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。 衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。 衆生をして仏知見の道に入…
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- 三世・三界・三世間・三世界
- まぎらわしいので、整理しときます。 三世とは* 前世:過去* 現世:現在* 来世:未来 三界とは* 欲界:淫欲と食欲に支配され、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人の六道が住む世界* 色界:欲望は離れているが物質的条件にとらわれた世界* 無色界:物質的なものから完全に離れた精神的…
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- 仏の三十二相
- 以下は、いわゆる、仏の三十二相です。 無量義経の徳行品に出てきます。 釈尊の完全な人格への賛嘆を示しているとされています。 仏像は、まさにそのような形になっていますね。 額にある月のような渦毛項(うなじ)に日の光あり渦巻く頭髪は紺青色頭上は高く盛り上がっている澄み切った鏡のよう…
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- サッダルマ・プンダリーカ・スートラ
- 法華経こと『妙法蓮華経』は、サンスクリット(梵語)でサッダルマ・プンダリーカ・スートラといいます。 サッダルマとは、サット(正しい)とダルマ(法)が合わさったもので、そのまま正法を訳した人ともいますが、鳩摩羅什は『妙法』と訳しました。プンダリーカとは、白い蓮の華で、そのまま『蓮…
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- 阿鼻地獄(あびじごく)と阿迦尼タ天(あかにたてん)
- 法華経の序品に、無量義を説いた後、三昧に入っていたお釈迦さまが、『眉間の白毫相(びゃくごうそう)より光を放ち、その光が、下は阿鼻地獄(あびじごく)、上は阿迦尼タ天(あかにたてん)に至る』というクダリがあります。 阿鼻地獄は無間地獄ともいい、人間のあり方における最低の状態(地獄界…
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- 慈悲と智慧
- まずは、おさらいです。 慈悲の慈とは、慈しみ与え幸福にしてあげること。慈悲の悲とは、悲しみを取り除いてあげること。智慧の智とは、すべての物事の違いを見分ける力。智慧の慧とは、すべての物事の共通を見いだす力。 そして、弥勒菩薩は慈悲の象徴の菩薩で、文殊菩薩は智慧の象徴の菩薩です。…
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- 三昧とは
- 普通、三昧とは、遊び三昧とか温泉三昧とかで、楽しいことをずーっとやっている意味で使われます。 また、無念無想になる行のように思う人もいるかも知れません。 しかし、仏教でいう三昧とは、そのようなものではなく、一切の雑念を断ち切り、<善き思い>と<正しい教え>に<全精神を集中>し、…
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- 法華経の教えとは
- 法華経の教えとは 悟ればこの身がすなわち仏であり、みんなが悟ればすなわちこの世が寂光土であるという教えです。 仏はわれわれの心のなかにある、極楽はわれわれの日常生活のなかにあるという教えなのです。 『新釈 法華三部経十巻』(著:庭野日敬) より 悟れば、ごく身近な心の中と、日常…
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- 仏の十号
- 法華経には、釈尊を始めとして沢山の仏さまが登場します。 過去の日月燈明仏等や弟子達の未来仏、そして他の惑星の仏さま達……。 登場するたびに、仏の十号という尊称で紹介されます。 如来(にょらい)- 真如(ほぼ真理と同じ)から来た人応供(おうぐ)- 供養を受けるに相応しい人正偏知(…
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- 四顛倒(してんどう)
- 顛倒とは、物事を逆さまに見ること、すなわち真相を見誤ることです。普通の人(凡夫)には4つの顛倒があると、仏教では云われています。 常顛倒 - 本来は無常(変化)であるのに、常(変化しない)と考える。楽顛倒 - もともとは苦であるものを、一時的な現象だけで楽と考える。淨顛倒 - 不…
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- 『劫』という時間の長さ
- お経には、『劫(こう)』という時間の単位がよく登場します。では、『劫』という時間の長さはどれぐらいでしょうか?お釈迦さまは、以下の様な旨を、おっしゃたそうです。 『たとえば、一辺が40里の大きさの超巨大な石の山があって、その頂きを100年に一度ずつ柔らかい衣の袖で撫でることによ…
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- 中道とは?
- 普通、中道とは、物事の中程の道と思われています。 しかし、釈尊は、最初に説法された初転法輪で以下のように仰いました。 『比丘たちよ。この世には近づいてはならぬ2つの極端がある。如来は、この2つの極端を捨て、中道を悟ったのである。』 この『中道』とは、『極端を離れたほどよい道』と…
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- 法華経的人生の目的
- あなたの人生の目的はなんですか? なんて、突然言われてもこまっちゃう・・・。とか、そんなこと考えたこともない・・・、と思った人がほとんどだと思います。そこで、そんな人のために、法華経の講習会で教わった、法華経的人生の目的をご紹介致します。 法華経的人生の目的人間の本質は、仏性で…
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